セカンドチャンス論の反響
死後のセカンドチャンス論に関する反響、感想の幾つかをここにご紹介したいと思います。
私は死後のセカンドチャンスに関し、英語ウェブサイトも開設しています。最近、とみ
に海外からのアクセスが多くなりました。セカンドチャンス論が世界各地で注目をあびつつあるのを感じています。以下に、そうした海外から
の反響や、また日本人の牧師、クリスチャンなどの反響などをご紹介したいと思います。
親しかった友を亡くして
私は英国に住む22歳のクリスチャンで、ジョーダンと申します。
久保有政さんが出しておられるセカンドチャンスの福音の文章をネットで読みました。あまりに素晴らしくて、そこに語られた聖書の真理
が、私の人生を完全に変えてしまいました。
私は最近、親しかった友を亡くしました。正直言って、彼は決して天使のような人ではなかったのです。不品行を積み重ね、信仰も全くない
ような人でした。
しかしその多くの欠点や恥ずべき行いにもかかわらず、彼の内には良い点や優しさ、深い愛情も多々あり、誰をも傷つけまいとする心もあり
ました。
彼はじつは、子ども時代に受けた心の傷から立ち直ろうと必死だったのです。それは、かわいそうに思えるほどでした。
彼が亡くなったとき、私ははじめ、彼が地獄の永遠の業火の中にいると思ってひどく悲しみ、やつれ果てたのです。耐えられなくなり、望み
も消え失せ、私は神に怒りをぶつけました。
しかし祈りを通して、やがてあなたのウェブサイトに導かれたのです。そこからどれほど大きな慰めを受けたことでしょう。私は何日も泣き
明かしました。
私は今信じています。主イエスは、罪深く世を去った未信者にも、よみでセカンドチャンスをお与えになっていることを。
主は、よみにおいても、驚くべき恵みと憐れみを注いでくださっています。よみは、主の御愛の延長線上にあるからです。そこで福音を信じ
て救われる者も少なくないことでしょう。
私の友にも希望があることを信じます。かつての地上での自分の人生を悔い改め、イエスを主また救い主と告白するチャンスが、なお彼にも
与えられています。
もちろん、よみにおいて彼は、かつての罪深い人生の結果を刈り取っていることでしょう。しかし主の福音は、なお彼のためにも存在してい
ます。私は、彼がいずれ主イエスを信じて救われるという希望を抱けるようになりました。
彼のために祈っていきます。いつの日か、天国で彼と再会できることでしょう。
残念なことに、私の教会では誰もこの「よみ」について知りません。どうかセカンドチャンスの福音を世界に広げて下さい。尊いお働きを心
より感謝いたします。(ジョーダン・ローリーさん)
オランダの神学校で教えました
「ハデス(よみ)に関する解説、および死後の救いに関する貴ウェブサイトを読みました。すばらしいですね。いつの日か、この理解が世界
に広まることを願ってやみません。
私は日本に関する研究をもう18年も続けていますが、日本の神学者たちの鋭さに感嘆しています。貴師はそのひとりです。
先日、貴師のセカンドチャンス論をもとに、神学校の私の生徒たちに教えました。彼らは驚嘆していましたよ。
このような内容を、個人主義的な西洋で教えると、しばしば異端視されるものですが、私にとってはそうではありません。私はセカンドチャ
ンス論を全面的に支持します」(ペルシャ系オランダ人の伝道者 オランダ在住)。
中国でもセカンドチャンス論
「貴師のセカンドチャンス論を私は高く評価します。私も、中国にいたとき、家の教会の人々に同様のことを語っていました」(メシアニッ
ク・ジュー運動の指導者のひとり 奥様はユダヤ人)。
大切な問題への解答
「貴師の『死者のための救い』のページを非常な興味を持って読みました。よみ(ハデス)について最も適切な説明がなれていると思います。
西洋の神学者の本には同じようなものは見あたりません。セカンドチャンス論に私は完全に同意します。それは福音を聞いたことのない人々の
死後の行き先と結末という、非常に大切な問題について最も適切な答えを与えてくれるものです」
(米国の著名なフリーランスライター)
涙がでました
いま貴師のすばらしいウェブサイトを読み終えたところです。感動がこみあげて涙があふれました。私は日本でもう25年、宣教師をしてい
ます。日本人の友人が、先祖の行き先について尋ねるたび、私は何と答えてよいか、よく答えに窮したものです。私は解答を探し求めてきて、
ついにそれに出会いました。ありがとう。すばらしい神学的労作です。これを日本でどのように広めますか? 英語で電子書籍としても出版し
てください。よいタイトルをつけて販売すれば、きっと世界中でよく読まれ、用いられると思います(日本で働く外国人女性宣教師)
熊沢義宣師、加藤常昭師も語っておられる 先日は、『聖書的セカンドチャンス論』を進呈くださり感謝です。 さっそく拝読しました。私は以前から、「セカンドチャンス論」という名称として
では ありませんでしたが、故・熊沢義宣牧師や加藤常昭牧師が説教集など
で明示 しておられる内容として、陰府での死後回心〜救済の可能性という
ものが新約、 特にペテロ一3:18以下の箇所から示されることを学んで
いました。
地上の人生 においては信仰を持つに至らなかった人々が陰府に下ってこ
られたキリストの宣教 によって福音を受け入れ、救われる可能性があると
いう内容でした。そしてそれが、 この日本という異教環境の中では有効な
メッセージとなることを感じていたのです。
しかし上記の熊澤、加藤の大御所二人による陰府の積極的解釈も、久保先生
のような体系性はなく、使徒信条にもとづいてキリストの陰府降下は語るものの、
エペソ4:8での、キリスト昇天における捕虜連行の解釈や、ヨハネ黙示20:14
での、地獄への陰府廃棄の解釈などは言われていないと思います。
それよりも、 久保先生の説では陰府だけでなく天国も中間状態であり、
新天新地とは別ものとして言われておりますが、熊澤、加藤の両先生には、天国と新天新地とを区別
する思考は見られないと思います。天国も神の(御)国も新エルサレムも一緒くた
にされていると思います。
そのような大きな違いはあるものの、死後に救いの機会 が残されている
という陰府回心の教理自体は、日本基督教団の大御所先生も 以前から提示
しておられたことは事実です。
特に意義ある点は、彼らは正統主義 の神学大学の教授として影響力ある
責任ある立場でありながら、あくまでも現場 の牧師として、信徒の亡き家
族に対する思いへの牧会的配慮という実践神学的 課題として受けとめ、そ
の結果として、陰府における死後救済の可能性の解釈を 提示したこと、そ
れも大きな批判や反対のリスクをおして大胆に公表したことです。
さらに驚くべくことは、両先生ともカルヴァンの系統である改革派教会の伝統に立つ
神学者であり牧師であることです。改革派神学では、ウェストミンスター信仰規準
に代表されているように、死後の霊魂の状態は天国と地獄の2つしかなく、陰府(黄泉)は地獄と同一視さ
れています。
セカンドチャンス説のようなことは、伝統的改革派神学においては異端視されることはあっても、熊澤、加藤両先生のように積極的に捉えら
れることはない はずです。その点では、この両先生は単なる神学者である
前に現場の牧師でした。 (大分県 牧師)
大川従道師がテレビで語られて以来
大和カルバリーチャペルの大川従道師がテレビでセカンドチャンス論を大々的に語られてのち、「ハーザー」誌での久保先生のディベート
や、「レムナント」誌での論説等、いつも興味深く読んでまいりました。最近、私も、セカンドチャンス論に確信を持てるようになってきまし
た。感謝です(長野県 牧師)
地獄と陰府の違い
「いつもレムナント誌を楽しく読ませて頂いております。貴誌の中に書かれていました『地獄と陰府』の違いを理解することによって、本当
に聖書の真理を知ることができました。またそれを知ることによってのみ、神の深い摂理と、まったく公正で義なる方であることを伺い知るこ
とができて感謝でした」。
死後の行方がはっきり
「貴社発行『死後の世界を知って生を知る』を読んで、今ま
でわからなかったノンクリスチャンの死後の行方が、やっとはっきりしました。どんなに気持ちの落ち着いたことでしょう。感謝します。
それにしても、この点を明確に知っている人は皆無でした。ベテラン・クリスチャンでもです。牧師からも一度も明確な説明を受けたことが
なく、久保先生には本当に感謝申し上げます」。
陰府における救いの可能性を信じてきました
「私は牧師をしておりますが、五〇年来、死後のセカンドチャンスについて先生とまったく同じ意見でまいりました。
戦前のドイツ映画で、スイスの湖に入水自殺した乙女の葬儀をやらないと言って、カトリックの神父が冷たく拒絶する場面がありました。せ
めてもっと人情深く対応してほしかった。困りきって葬儀をことわるのなら、まあまあ許せるけれどもと、身震いするほど憤慨したことがあり
ます。
しかしその後、自分の罪責感に苦しんでイエス様に救いを求め、信仰を与えられたのは感謝でした。私はこれまで、ペテロの手紙の聖句に
よって陰府における救いの可能性を信じ、未信者の葬儀でも引き受けてきました。
さらに今回、先生が示されたピリピ二・一〇〜一一の『地下の人々のためにも福音はある』、また黙示録五・一三の『地下からの讃美礼拝』
などの聖句には、今まで気づきませんでした。啓蒙されて感謝この上もありません」
私も臨死体験
「久保先生の著『聖書にみる死後の世界』は、一言でいっ
て、いい本でした。もっと早くからこの本を読んでいたら、正しく聖書的にクリスチャンに話すことができたものを、と残念に思いました。
一九九五年の発行なのに、一九九七年になってから読んだことが、悔やまれてなりません。これを読んでいたら、否定的なクリスチャンをも
納得させられたものを、と思うことしきりです。
とくに第四章の『臨死体験と聖書』の項は、あまりにも私が臨死体験をしたときに見たものや、思ったことと符合するものでした。私はかつ
て一〇年ほど前に脳幹梗塞で倒れ、約二ヶ月のあいだ意識不明状態が続き、その間に臨死体験をしたのです。
私があのとき体験した満ち足りた幸福感は、なぜだったのか理解できました。第二の人生を与えられたことを感謝しています。意識が戻って
から、私の中に『神が何かさせる』との思いがありました。なぜそういう思いがわいてきたのか、神のご計画を思います。
そして、いつとはなしに『五年待て』との思いが、私の中にありました。声が聞こえたわけではありませんが、神の声だったと思っていま
す。神の御用をつとめさせてくださると思っていました。
五年たったとき、教会のキャンプへ行き、一人で泊まってこれるほどになりました。両手両足の麻痺で動かなかった体が、ウソのようでし
た。神はいやしてくださったのです。ハレルヤ!
聖書の正しい理解と臨死体験の間に、根本的な矛盾はないことを確認した『聖書にみる死後の世界』。いい本を読めたことは喜びでした。先
生の言われているように、死後の世界のバランスある理解のために、聖書を中心に聞く者となります」。
モルモン教会へ行って
「僕は三年くらいモルモン教会に通ったあと、最近プロテスタント系の教会に通い始めました。モルモン教会に入る前に、プロテスタントの
友人たちに、だいぶ止められ、話し合いの時間をかなり持ちました。しかし彼らが、
『死後に福音を聞く機会はなく、聞く機会がなかった人々は地獄に行く』
というようなことを信じていると知ったとき、
『ああ、プロテスタントは絶対に間違っている』
と思いました。プロテスタントの人はみな同じことを信じていると思っていたのです。それで結局はモルモン教会を選んでしまいました。モ
ルモン教会では、死後に福音を聞く機会はある、と明確に教えているのです。
今はレムナント誌を通して『死後に福音を聞く機会があるというのが聖書の教え』だと知ることができましたが、それがなければ、おそらく
まだ、モルモン教会に行っていたと思います。聖書の教えが、正しく宣べ伝えられることを願ってやみません」
現代への福音
「死後のセカンドチャンスの記事を読ませていただきましたが、これは現代への福音だと思いました。地獄に墜ちないためにキリストを信じ
るのではなく、キリストの十字架の愛にこたえるために生き、信じ、従うのだと思いました。これは強迫観念で信ずるのとは、大いに違うと思
いました。またユダに対してさえも救いの手が差し伸べられていることに、感動を覚えます」
娘の質問に窮しましたが・・・
「『死後の回心の機会』の記事をとても興味深く読ませていただきました。死後に回心の機会があるとは思っていませんでしたので、今まで
確信なく思っていたことが明確にされ、うれしく思っています。今までは、主を受け入れずに死んだ人(福音を知らなかった人も含めて)は、
みんな地獄に行くのかなあと思っていたのです。
ですから私の祖父が昨年六月に死去した際、娘の質問に、
『じいちゃんは、イエス様信じていなかったから、天国に行けないかもしれないね』
としか答えられず、娘もそのように信じました。しかし、今回の記事を読んで解決が与えられ、娘にもすぐに話してあげました。どのように
理解できたかはわかりませんが、質問のたびにはっきりと説明してあげようと思っています」。
私はアメリカ人ですが
「久保さんが英語で書いた聖書的セカンドチャンス論を、ウェブサイトで読みました。
何と素晴らしい内容でしょう。
私は米国のソールト・レイク市(モルモン教の本部がある)に住むアメリカ人です。ただしモルモン教徒ではありません。私はカトリックの
家庭に育ち、モルモン教会育ちの女性と結婚しました。
そのときから聖書を読み始めました。私たちはしばらく単立教会に通っていましたが、モルモン教も学びましたし、カトリック、セブンスデ
イ・アドベンチスト、エホバの証人、またペンテコステの諸教派なども学びました。
しかしどこへ行っても、『死後どうなるのか』に関する満足のいく解答は、聞けなかったのです。いろいろな答えがあり、それなりに聖書的
根拠を掲げてはいましたが、聖書全体の教えからみるとき、どれも矛盾をかかえているように思えたのです。
けれども今朝、ウェブサイトであなたの聖書的セカンドチャンス論を見つけ、読んだところ、そこについに明確な答えを見つけることができ
ました。今まで頭の中でバラバラだった疑問がすべて一挙に解かれ、また互いにつながれて、一つの筋の通った答えとなりました。
『もし二通りの聖書解釈があり、それぞれが聖書的根拠を持っているが、互いには矛盾するというとき、それら二つを統合し一つにするもっ
と優れた解釈が存在する』
との考えを聞いたことがありますが、この聖書的セカンドチャンス論はまさにそれでした」。
気になっていたことでした
「『キリストの陰府降り』(第一ペテロ三・一八〜四・六)の記事は、前から気になっていたところで、興味深く読ませていただきました。
と申しますのも、私の母は私が一三歳のときに死にました。そののち初めて私が福音に接したのが、一八歳のときでした。
イエス様を信じたとき一番残念に思ったのは、もう五年早く福音を聞きたかった。もしかしたら、母と共に救いを受けることができたかもし
れない、ということでした。主を信じた自分は天国に入れても、愛する母が地獄で苦しんでいると思うと、すごく複雑な思いだったのです。
しかしレムナントの記事を読み、希望がわいてきました。ありがとうございました。まだ疑問も少しありますが、祈りながら何回も繰り返し
読んでみます」。
ユダヤ人の救いのためにも
「先日、ミカエル・ブラウン著『教会の犯したユダヤ人迫害の真実』(マルコーシュ・パブリケーション)を、もう一度読み直す機会があ
り、改めて教会のユダヤ人迫害について考えさせられました。
ユダヤ人は、ずっとキリストの名によって迫害されてきて、正しい福音を聞くどころか、十字架を呪って死んでいきました。このキリスト者
(キリスト教国の名ばかりのクリスチャンであると思いたい)たちに迫害されて死んだユダヤ人たちは、死後どうなるのか。
罪ある人々により、正しい福音が伝えられないまま死んでいった時代、場所、国々があります。教会でさえも罪を犯してきた歴史、事実があ
ります。それにより正しい福音が語られないことがありました。ですから、もし死後に正しい福音の機会があるとしたら、それは主ご自身から
の直接的な働きかけのように感じます」
主人や父の救い
「レムナント誌を読ませていただくようになり、死後の世界について強く教えられました。主人は一〇年前、父は一年半前に亡くなりまし
た。主人は信仰を持っていましたが、父はどうなのかははっきりわかりません。
信仰を持っていた主人はイエス様のところにいるという、漠然とした思いは持っていました。しかし、はっきりと天国にいることがわかりま
した。
父が地上にいたとき、父のために祈り続けていましたが、私が鬱の状態にあったために、はっきりと福音を語れませんでした。しかし父はい
ま陰府におり、そこで福音を聞く機会を得、最後の審判の際に公平なさばきがあることを知って、ほっとします」。
未信者の葬儀
「神奈川で牧師をしている者ですが、以前は未信者は死後に地獄に行っていると思っていたため、未信者の葬儀をどうやればいいか、非常な
迷いがありました。
しかし、死んだ未信者はいま陰府におり、世の終わりの最後の審判の時までそこで神様からのお取り扱いを受けていること、またセカンド
チャンスについても知ったことは非常な感謝でした。以後、未信者の葬儀であっても快く引き受け、恵みのうちに執り行えるようになりまし
た。
先日も、親戚の一人(未信者)がなくなったのですが、『あなたは牧師だから葬儀をやってくれ』と頼まれて、葬儀をしました。参列者の多
くが『いいお葬式でした。キリスト教のお葬式は清らかで、希望があっていい』と語るのを聞き、本当にやってよかったと思いました。
これから未信者の葬儀に対する考え方が大きく変わると思います」。
目からウロコ
「私は、昨年一二月に受洗したばかりのまだ『ほやほやのクリスチャン』です。一昨日、久保有政先生著『聖書にみる死後の世界』を拝読し
て、感激しました。聖書の御言葉に裏打ちされた論理的かつ明快な解説により、私のようなまだ霊的に未熟な者にも、本当にわかりやすく、砂
が水を吸い取るように理解できました。
神の御言葉のすばらしさ、なぜ福音を告げ知らさなければならないか、なぜ日本におけるキリスト教の普及が進まないかなど、本当に『目か
らウロコが落ちる』ような実感を得ました。とくにキリスト・イエスを知らずして亡くなった母、兄姉なども、陰府で福音を聞くチャンスがあ
ることを知り、ほっとしました。
ありがとうございました。『死後の世界』を正しく理解することがいかに大事なことか、また正しく『聖書』を理解する上でもいかに重要
か、ということがわかりました。そして福音伝道に強力なパンチとなると確信しました」
安心と神への感謝
「貴社の『聖書にみる死後の世界』を購入し、読ませていただきました。私はまだ洗礼を受けていませんが、現在クリスチャンの妻と毎週、
東京にあるプロテスタント系の教会に通っています。死後の世界については、クリスチャンでさえ誤解したり、わからなかったりすることが多
いので、この本からとてもたくさんのことを学び、安心と、神への感謝をおぼえました」。
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