自己犠牲の精神
自分を越えたもっと大きな価値のために生きる
人生は神なしでは意味を持たない
人生の目的
アメリカのカリフォルニアに、サドルバック教会という大きな教会がありますが、そこの主任牧師のリック・ウォレン先生が書いた本に、「人生を導く5つの目的」(パーパス・ドリブン・ジャパン刊)というものがあります。
この本の英語版は、発売開始わずか一年で、一〇〇〇万部を越えたそうで、記録的な売れ行きをみせました。私も読みましたが、素晴らしい本であると思います。聖書そのものの教えが、非常にわかりやすく書かれてあります。この本に何が書かれてあるのか。この本は、人生が的外れなものとならず、有意義なものとなるためには、人が人生の目的をはっきり理解し、「目的に導かれた人生」を送っていく必要がある、といいます。
そしてその人生の目的は、神を離れては存在しません、と断言するのです。この本は冒頭で、
「人生はあなたが中心ではありません」
と言っています。多くの人々は、人生の主人公は自分だと思いますね。自分のための人生だからと。そして自分の人生の意味と目的を見出すために、自分の内側を見ようとします。
どんな才能を持っているか、どんな環境に生きているか、自分はどんな好みを持っているか、どんな友人を持っているか、そういうことを思って、人生の意味や目的を捜そうとします。
しかし、人生の意味や目的は自分の中には存在しないのです。それは神にあります。あなたは神によって神のために造られたのだ、とこの本ははっきり語ります。そしてそれが聖書の言っていることですね。神のために生きるということの意味をはっきり理解するまでは、人生は決して意味を持たないのです。あなたがこの地上でどんなに成功しても、どんなにお金持ちになっても、どんなに有名になっても、どんなに高い地位を築いても、神を離れてはあなたの人生の意味や目的は存在しません。
神のために生きる
つまり、神のために生きるというとき、じつはそれが本当の意味で自分のためなのです。
自分のために生きよう、と思っているうちは、自分のためにならない。人生の目的も意味も見いだせない。しかし、神のために生き始めるとき、はじめて自分の人生の目的も意味もはっきりしてきます。
こうして、神のために生きることが、自分の人生を本当に全うする道であると知ります。
自分の人生を本当の意味で神のために生きた最高の模範は、イエス様です。イエス様は、ご自分の人生のすべてを神に捧げられました。神の御旨に従って生き、神のご計画をこの地上に実現することに全力を注がれたのです。
旧約聖書のイザヤ書五三章に、そのイエス様のお姿が書かれてあります。
イザヤ書五三章は、その全体がメシヤ預言といわれるところです。とくにキリストの十字架の場面を預言しています。実際は五二章一三節から五三章の最後までがそうです。キリストの十字架の死は、ご自分の罪のゆえではなく、全人類の罪をあがなうためのものであることを、預言者イザヤは預言しました。キリストがこの地上に来られる約七五〇年も前にです。
キリストの十字架の受難は予言されていた
イザヤ書には、ほかにもキリストに関する預言がたくさんあります。イザヤ書以外にも旧約聖書には、キリストに関するたくさんの預言があります。それらすべてが、キリストというお一人のお方において成就実現しました。キリストがどこにお生まれになるか、いつお生まれになるか、また神からの救い主であること、どのような生涯を送り、どのような死を遂げ、また復活されることも、預言されていました。
そして預言者イザヤは、さらにキリストの死は、全人類を罪と滅びから救うための贖いの死であることを預言するのです。
「彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた」(イザ五三・五〜六)
イエス様の死は、ご自分の罪のゆえでない。罪のない聖いおかたが、罪ある者のように十字架の死を遂げられた。それは、その死によって、イエス様に連なるすべての者たちの罪が赦されるためだというのです。「彼は、私たちの咎のために砕かれた」といっています。イエス様は、私たちの罪咎のために十字架の死を遂げられた。彼の受難の死によって、私たちは罪と滅びの道から救われ、いやされ、神の祝福へと導かれるのです。
私たちは迷える羊となって、自分勝手な滅びの道を歩んでいたが、父なる神様は、全人類の罪をイエス様の上に置かれた。そしてイエス様は、その罪をぜんぶ背負って、ご自分の死によって、それらの罪をぜんぶ罰してくださった、ということです。だからイエス様に連なるすべての人は、神の前に罪を赦(ゆる)される。義と認めていただける。あたかも罪を犯したことがない者のように、恐れなく神に近づくことができる。罪と滅びからの救いというものが、そこにあります。
キリストの犠牲によって私たちは罪と滅びから救われた
イエス様の自己犠牲
この「救い」は、このようにイエス様の「自己犠牲」のうえにもたらされました。あの十字架の激しい苦しみと死を通して、救いが人類にもたらされました。
最も尊い仕事は、いつも自己犠牲の上になされます。このイザヤ書五三章二〜三節に、
「彼は主の前に若枝のように芽生え、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった」
と書かれています。イエス様はその公生涯において、多くの人々のあざけりや、さげすみを受けられました。パリサイ派やサドカイ派の人々、そのほか多くの人たちが、イエス様を「のけ者」にしました。
イエス様ほど孤独な人間は、他にはいなかったでしょう。私たちが、もし人々から「のけ者」にされることがあれば、イエス様のご生涯を思い起こすといいのです。イエス様ほど、人々からさげすまれたおかたはいません。人々から捨てられたおかたはいません。しかし、そうした自己犠牲を全うされたおかただからこそ、神によって高く上げられたのです。
「見よ。わたしのしもべは栄える。彼は高められ、上げられ、非常に高くなる」(イザ五二・一三)
とことん自分を低くし、私利私欲を捨て、自己犠牲を全うされたからこそ、神によって天の高きにまで上げられる。神の右の座に着座されたのです。
このキリストの自己犠牲は、私たちの最高の模範でもあります。もちろん、私たちは、キリストほどの完璧な自己犠牲を示せる者ではないでしょう。しかし、私たちの主がそのような完璧なおかたであるからこそ、私たちはその御足のあとにつき従っていきたいと思うのです。
人生の目的は神を見上げないとわからない
この世の中には、自己啓発セミナーというものがたくさんあります。そうしたセミナーが開かれたり、また自己啓発の本もたくさん出版されています。
そうした自己啓発というのは、いかに目標を設定するか、いかに目標を実現していくか、いかにやる気を奮い起こしていくかということに、おもな重点を置いています。いかに自己実現をはかるか、いかに自分を大きくするか、ということですね。
そうしたことも、大切ではあります。しかし、本当に有意義な生き方を求めるならば、それだけではだめなのです。自己犠牲の精神を持たない限り、人は自分の生かされている本当の目的を全うすることができません。
あなたは何のために、この地上に生かされているのか。人生の目的――多くの人は、人生の目的を探るために、自分の内面を見ようとします。自分の心の中や、自分の過去、自分の夢は何かと考える。
しかし、人生の本当の目的は、自分の内面を見てもわかりません。神を見上げないとわからない。なぜなら、あなたは神のために造られたからです。神があなたを見て喜び、またあなたが神を喜ぶために、あなたは神によって造られたのです。
私たちに必要なのは、神のために生きることです。自分が神のために生きることです。自分のために神を利用することではありません。神は私の生き方を見て、喜んでくださるだろうか。それを考えたいものです。そのとき、自分は何のために生きるべきなのか、自分の人生の目的は何かが、はっきりわかってきます。
自己犠牲とは、神のご計画のために、自分を神に捧げてしまうことをいいます。
無駄なことのために自分を犠牲にするのではありません。神の大いなるご計画と御旨のなされるために、私利私欲を捨てて、自分の人生を神に捧げてしまうのです。
そのとき、あなたは本当の自分になります。自分を捨て、自分を犠牲にするとき、本当の自分が始まる。逆説的ですね。しかしそこにこそ、真理があります。イエス様は、
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」(マタ一六・二四)
と言われました。自分を捨て、自己犠牲の精神を持って従って来なさいと言われています。
そうでない限り、イエス様の弟子ではないのです。「自分の十字架」とは、自己犠牲の精神のことと思ってよいでしょう。それを負ってイエス様につき従っていく。
そのとき、あなたの本当の自分が始まります。あなたの人生の目的は、神を離れてはないのです。それは神のもとにあります。イエス様と共に生きる生き方にあります。
西郷さんの自己犠牲
昔、戦時中に中国に親日政権をつくった人で、汪兆銘(おうちょうめい)という中国人がいました。彼は本当の意味で中国の未来を考え、中国人のために働いた真の英雄であると私は思っています。
汪兆銘。彼は真に中国の未来を考えた人だった
汪兆銘は戦争が始まる前に、東京の法政大学に留学していました。彼は留学中に、上野の西郷さんの銅像をよく見に訪れたそうです。彼は西郷隆盛を心から尊敬していました。西郷さんのあの堂々とした風格、堂々とした生き方に自分も少しでもあやかりたいという気持ちから、いつもあの銅像を見上げていました。その西郷さんがあるとき言った言葉に、
「命もいらぬ、地位も名誉もいらぬ、金もいらぬという人間は、まことに始末に困る。けれども、そのような人間でなければ、天下の大事をまかせることはできない」
というものがあります。命もいりません、地位もいりません、金もいりませんという人は、本当に始末に困る。これは、自己犠牲に生きている人のことを言っています。自分の命にも、地位にも、お金にもこだわらない。もしそれらが与えられるなら、それもいいだろうけれども、そのために生きているわけではない。たとえそれらがなくなったとしても、自分を越えたもっと大きな価値のために生きる。生き通す。
これを自己犠牲の人といいます。「そのような人間でなければ、天下の大事をまかせることはできない」と西郷さんは言ったのです。汪兆銘は、そのような生き方をし、そのような死に方をしています。
そして西郷さん自身も、そのような生き方をした人でした。だから、あれほど多くの人々から慕われたのです。
西郷さんは、日本の学校の教科書には、いまだに「征韓論」を主張した人物と書かれていることが多くあります。征韓論というのは、「韓国を武力をもって征服せよ」という主張のことです。西郷さんがそんな主張をしたと日本の教科書に書かれたりしているものだから、それが韓国に伝わって、韓国の人たちは西郷さんをひどく嫌うわけです。この前も韓国の大統領が日本に来たとき、そんなことを言いました。
しかし、これは日本の教科書が悪いのです。日本の教科書がウソを教えている。西郷さんの主張したのは、征韓論ではありません。(むしろ遣韓論ともいうべきものです)。当時、西欧諸国は、アジア諸国の植民地化を推し進め、分捕り合戦を繰り広げていました。このまま進めば、アジア人は間違いなく、みな白人たちの召使いになってしまいます。日本はそうしたことに早くから敏感に反応し、日本の国力をあげることに非常な努力を積んでいました。
ところがその一方で、お隣の朝鮮半島は、旧態依然とした体制の中に眠り続けていました。アジアの危機を全く理解せず、朝鮮の支配者は農民から搾取して、私腹を肥やすことしか考えていませんでした。日本は、そうした朝鮮を何とか目覚めさせようとしますが、いずれも失敗します。そうした中、征韓論というものが出てきたのです。朝鮮半島がもしロシアや中国の支配下に置かれれば、次は日本が危ない。だからそうなる前に、日本が朝鮮半島を支配すべきだ、という主張です。
しかし、このとき西郷さんは、武力をもって朝鮮半島を征服することに反対しました。西郷さんは、まず、おいどんが朝鮮に渡って、向こうの支配者と会おう。そして彼らを説得する、と言ったのです。西郷さんは、道義的な外交をたいへん重んじていました。いきなり武力制圧してはいけない。私が単身、朝鮮に渡り、武器を一切持たず、礼装した姿で朝鮮の王に会い、自分の死を賭して直談判する!
西郷隆盛。朝鮮に渡って、向こうの
支配者を説得すると言った。
西郷さんには、その説得をする自信がありました。また、もし自分が殺されてしまうことがあれば、そのときはやむを得ない。朝鮮を武力で制圧しても道義は通る、と考えたのです。
けれども、その前にすべきことがある。まずは、自分が命をかけて彼らの説得を試みる、と言ったのです。私は、こういう西郷さんの心意気が大好きです。命もいらぬ、地位も名誉もいらぬ、金もいらぬ、しかし、たとえそれらのすべてを失っても、守るべきものがこの世の中にはあるのだという信念です。
大いなるもののために身を捧げる
こういう信念というものは、「どうしたら金持ちになれるか」「どうしたら豊かな生活ができるか」「どうしたら自己実現できるか」しか考えたことのない人には、まったく理解できないことでしょう。けれども西郷さんは、自分の生命以上に守るべき価値のあるものがこの世の中にはあるのだ、と信じていました。
これはイエス様の御教えに通じるものです。自己犠牲の精神の発露なのです。
結局、西郷さんの考えは、そののち欧米の視察旅行から帰った大久保利通らによって、時期尚早とされて、封じられてしまいました。それで、西郷さんが朝鮮に渡ることは実現しませんでした。その善し悪しは別にして、いずれにしても西郷さんの生き方の真髄が、このエピソードの中にも現われていると思います。あるとき、友人が西郷さんに、「西洋の文明はすばらしいですね」と言いました。すると、西郷さんはこう言いました。
「文明とは、道義があまねく通っていることをたたえる言葉だ。西洋のは文明ではない。野蛮だ。本当に西洋が文明ならば、未開の国に対しては、慈愛を根本として、懇々と諭して開化に導くべきものだ。ところが、そうではなく、未開蒙昧の国に対するほど、むごく残忍なことをして、己の利益を図っているのは野蛮じゃ」
西郷さんがそう言うと、友人は口をすぼめて一言も言えなかったそうです。
西郷さんの言葉は、今にも生きるものです。本当の文明とは何か。それはどれほど物質が豊かかということにあるのではない。宮殿の豪華さや、服装の美しさにあるのでもない。
そうではなく、文明とは、道義があまねく通っていることをたたえる言葉だ。未開の国に対しては慈愛を根本とし、懇々と諭して開化に導くような国のあり方をいうと。そしてその本当の文明を実現するために、西郷さんは自分を犠牲にすることを決していといませんでした。
このように自分の命や、地位、名誉、財産以上に価値のあるもののために殉ずる精神、これを自己犠牲の精神といいます。自己犠牲とは、何の目的もなく自分を犠牲にすることではありません。大いなるもののために自分を捧げる心です。大いなるものに導かれ、引っぱられて自分の生き方が高められていく人生です。
私たちの人生が大いなる神のためにあるのだと知るとき、神のご計画のために自分を捧げてしまうことこそ、じつは人間の最高の生き方だと知ります。自分のための神ではない。神のための自分です。人生の目的は神を離れては存在しません。
イエス様はその生き方の最高の模範を示してくださいました。イエス様は、人類に対する神のご計画を実現するために、苦難の道を忍んでくださいました。はずかしめられ、
「さげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった」。
しかし、神のご計画は、このイエス様の自己犠牲を通して初めて成し遂げられたのです。この世の中に、自己犠牲によらずに成し遂げられた偉大な仕事は存在しません。
私たちがイエス様の弟子であるなら、私たちも自己犠牲の精神を心に刻もうではありませんか。大いなるもののために、神のために、自分のすべてを惜しまずお捧げする心です。
神はそのような人を求めておられるのです。
イエス様のためにもう一人を
「使徒の働き」をみますと、イエス様の使徒のパウロは、地中海沿岸地方を伝道してまわりました。パウロは何度も、迫害で死にそうになりました。しかし、それでも決して伝道をやめようとしなかった。あるときパウロは、エペソに住む弟子たちの前で言いました。
「私にわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません」(使徒二〇・二三〜二四)
そう言って、再び新しい伝道の旅に出発していきました。そして最後は殉教の死を遂げます。
なぜ、そこまでやるのでしょうか。温室育ちの現代人は、「なにもそこまでやらなくてもいいじゃないか」と言うかもしれません。しかしパウロは、自分の命よりも大いなる価値というものを知っていたのです。そのためには、死んでもいいと思っていた。そのためには自分の命も、地位、名誉、財産も、すべてをかけていいと思っていました。
そしてすべてを賭けたのです。パウロ以外の他の弟子たちも、みなそうでした。
先ほどご紹介した「人生を導く5つの目的」の著者リック・ウォレン先生のお父さんも、牧師でした。小さな田舎の教会の牧師でした。素朴な説教者だったそうですが、宣教の使命に生きた人でした。
彼が好んでした活動は、ボランティアの人たちを連れて海外に出ていって、現地に小さな教会堂を建てることでした。その一生の間に、彼は世界中に一五〇以上の教会を建てたそうです。
一九九九年に、彼はガンで召されました。最後の一週間、彼は病気のために意識がもうろうとして、ほとんど一日二四時間眠れませんでした。また夢を見ていたようで、大きな声で寝言を言っていました。彼が横たわっているその枕元で、息子のリック・ウォレン先生はその寝言に耳を傾けていました。いよいよ最期の晩を迎えた時、突然、彼は体を動かして起きあがろうとしました。もちろん、彼に起きあがる力が残っているはずもなく、リック・ウォレン先生の奥さんが横になるよう勧めたそうですが、彼はそれでも起きあがろうとしたそうです。そのとき奥さんが言いました。
「お父さん、何をしようとしているの」
すると彼は言ったのです。
「イエス様のためにもう一人救わなくては! イエス様のためにもう一人を! イエス様のためにもう一人を!」
彼はその言葉を何度も何度も繰り返しました。それから一時間ほどの間に、その言葉を一〇〇回も繰り返しました。そのときリック・ウォレン先生は枕元で耳を傾けながら涙が止まりませんでした。
そのとき瀕死のお父さんは、その弱り果てた手を伸ばしてリック・ウォレン先生の頭の上に置いて、任命するかのように、
「イエス様のためにもう一人を! イエス様のためにもう一人を!」
と言い続けたのです。自己犠牲に生き、人生のすべてをイエス様にお捧げした人の生き方が、ここにあります。彼は、自分よりもっと大きな価値のために生きたのです。私たちは、自分の命、財産、名誉よりも大いなる価値を知っているでしょうか。
知っています。私たちもそのために生きようではありませんか。生きるにしても、死ぬにしても、大いなるおかたのために、すべてをなそうではありませんか。
沖縄の集団自決の真実
最後に、あるふたりの人のことをお話ししたいと思います。この方々も、自己犠牲の精神に生きた人です。しかし彼らは、長いあいだ世間から誤解され、人々の非難の言葉をじっと耐えて生きました。今も誤解は残っています。彼らの名誉を回復するためにも、ここでみなさんにお話ししておきたいと思います。またこの話は、自己犠牲の意味を考えるうえで、一つの有益な示唆となると思います。
みなさんは、この前の戦争のときに沖縄がたいへんな激戦地になったことを、ご存知と思います。沖縄は本土防衛の最後の砦でした。アメリカ軍が沖縄に上陸すると、日本軍との間に死闘が繰り返されました。このとき日本兵だけでなく、沖縄の民間人も巻き添えになって、たくさん死にました。これまでの学校で教えられてきた歴史教育ですと、沖縄戦に関して教えられてきたことは、こうです。
「沖縄を守っていた日本軍は、民間人に『集団自決』を強制して、多くの住民を殺害した」
こうしたことが中学や高校で教えられる。そして、これを教え込まれた生徒たちは、日本軍はなんてひどいことをしたんだ、と思わせられてしまいます。しかし、この日本軍の命令による集団自決というのは、まったくのウソであったことが、今日では明らかになっています。
世に言われてきた沖縄の集団自決事件というのは、こうです。沖縄の渡嘉敷島、米軍の攻撃が激しくなったので、住民が日本軍の陣地に逃げ込もうとした。そのとき、赤松嘉次隊長が入り口に立って、
「住民はここに入るな。軍は最後の一兵になるまで戦って玉砕する。住民は日本の必勝を祈って自決せよ。」
と言ったというのです。そして、手榴弾を手にした村長や家長が「みんな笑って死のう」と悲壮な叫びをあげて、三二九人が集団自決したという。そのようなことが学校の教科書に書かれ、新聞でも報道されてきました。しかし、これは全くの虚偽でした。
沖縄戦では、多くの民間人も日本軍に協力していた。
集団自決という悲しい出来事もあったが、それは軍
の命令ではなく、村長の指示だった。
集団自決の現場にいた金城武徳さんの証言によれば、集団自決を呼びかけたのは、日本軍の赤松隊長ではなくて、その島の村長でした。村長が「みんな玉砕しよう」と言って、集団自決が始まり、島の住民六〇〇人のうち三〇〇人くらいが死にました。
そののち、死に切れなかった人は今度は日本軍の陣地に行って、「機関銃を貸してくれ。皆、自決するから」と言ったのです。そうしたら赤松隊長が出てきて、
「なんという早まったことをしてくれたんだ。戦いは軍がやるのだから、お前たちはしなくてもいいんだ。我々が戦う弾丸もないくらいなのだから、自決用の弾丸なんてない」
とキッパリ断ったのです。それが事実でした。赤松隊長は、止めに入ったのです。ところが、戦後、集団自決を命じたのは赤松隊長であったかのように報道されました。そう教科書にまで書かれました。そのために彼と彼の家族は、世間から猛烈な非難を浴び続けました。娘さんも、
「お父さんはそんなにひどい人だったのか」
と思って非常に苦しんだそうです。
戦後、二五年ほどたってから、沖縄で慰霊祭がありました。そのとき赤松元隊長も、その慰霊祭に参加しようと沖縄の那覇空港に降り立ちました。すると空港には、
「集団自決、虐殺の責任者、赤松よ、帰れ」「人殺し、帰れ」「沖縄県民に謝罪しろ」
の横断幕をかかげた抗議団が待ちかまえていました。彼らが口々にののしる中、赤松元隊長は、無言でじっと立ちつくしていました。彼はやがてやっと口を開き、
「事実は違う。集団自決の命令は下さなかった」
と言いました。すると抗議団は激怒して、あれこれと言い放ちました。また新聞記者たちが、
「では、真相を聞かせて下さい」
と言うと、
「この問題はいろいろなことを含んでいるので、そっとしておいてほしい」
と答えるだけでした。彼は真相を語ろうとしませんでした。
真相が明らかに
しかしやがて、真相が明らかになる日がやってきました。真相はこうだったのです。国の法律では、日本軍で働いていた人や、軍の要請に基づいて戦闘に協力した人が死んだり、負傷したりした場合は、遺族は遺族年金をもらえることになっていました。
しかし、日本軍と関係ないところで自殺したのなら、遺族年金は出ません。だから、遺族年金をもらうためには、あの集団自決は軍の命令のもとで行なわれたものだ、とする必要があった。それで遺族たちは、国から遺族年金をもらうために、集団自決は日本軍の命令で行なわれたとウソの証言をしたのです。
これは、赤松隊長だけでなく、もうひとりの人、沖縄の座間味島にいた梅沢
裕隊長の場合もそうでした。梅沢隊長も、集団自決の命令を下した責任者という濡れ衣を着せられていました。
「島の住民すべては忠魂碑前で玉砕せよ、と命じたのは梅沢隊長だった」と言われ、彼は世間の激しい非難をあびてきたのです。
しかし梅沢隊長の場合も、実際に自決を呼びかけたのは村長や村の人々でした。けれども戦後、遺族は国から遺族補償金をもらうために、集団自決を命じたのは梅沢隊長だったと、ウソの証言をしたのです。その後、梅沢隊長の人生は、地獄の日々が続きました。マスコミをはじめ、様々な人から非難され、職場にいられなくなって仕事を転々としました。また息子さんまでが反抗するようになって、家庭が崩壊し、ずっとつらい思いをしてきました。
しかし、戦後三五年たった一九八〇年のある日、宮城初枝さんというかたが、突然会いたいと言ってきたのです。この宮城さんは、「集団自決の命令を下したのは、梅沢隊長だった」とウソの証言をした当の本人です。
彼女は、自分がかつてウソをついたことを謝るために、梅沢元隊長に会いに行った。そして謝罪しました。彼らは周囲の人々の目もはばからず、泣いて嗚咽(おえつ)したそうです。梅沢元隊長は、「ありがとう」「ありがとう、よく言ってくださった」と言いました。
また、かつて国にウソの申請をした宮村幸延氏も、のちに梅沢元隊長に会って直接謝罪しました。こうして何十年もたってから謝罪された梅沢元隊長は、そのときこう言いました。
「今まで自分は心中おだやかではなかったけれども、それで村が潤い、助かったのだから、いいじゃないか」
沖縄の集団自決が軍命令ではなかったことは、
「沖縄戦・渡嘉敷島『集団自決』の真実――日本
軍の住民自決命令はなかった!」(曽野綾子著
WAC文庫)や、「先生、日本のこと教えて」(服部
剛著、扶桑社)などに詳しい。
神にゆだねて、自分はなすべきことをする
赤松隊長も、梅沢隊長も、あの集団自決は軍の命令ではなく村の人々がやったことだと、よく知っていました。ところがそれを、世間からは自分のせいにされました。
けれども、いくら非難されても、じっと我慢した。私だったら、とても出来ないことだと思います。彼らは、もし自分が真相を話したら、遺族は路頭に迷うことになるだろうと思いました。それはできない。沖縄は、もうこれ以上のものはないというほど、悲惨な目にあっている。
だから、ここは自分さえ我慢すればいいんだと考えたのです。
彼らがそのようにだまっていたことが、本当によかったのか、そうでないかをここで問うつもりはありません。彼らは、非常に難しい立場に置かれました。彼らは自分が最善と思う道を選んだのです。そしてその決断を貫き通した。島の人々のために、みずからを犠牲としました。赤松隊長や、梅沢隊長の例は、悲しい自己犠牲といえるかもしれません。
それにしても思うのですが、せめてこれからの学校の授業では、子どもたちに真実を教えるようになってほしいものです。この真実を知る先生のもとで歴史の授業を受けたある中学生は、こう感想文を書きました。
「自分のことを犠牲にして村の人たちを守ろうとした赤松隊長や梅沢隊長。やっぱり軍の隊長だけのことはある。いつでも住民のことを守る赤松さんや梅沢さんは、とても尊敬できる人です」
良いことをしても、世間が理解してくれるとは限りません。悪口雑言をあびるかもしれません。しかし神はご存知です。神がどう思われるか、それが大切なことです。そういう神様を知っているかどうかが大切なのです。イエス様も、世間から悪口雑言をあびられたかたです。ののしられ、はずかしめられ、最後には十字架につけられてしまいます。しかし、それでも、すべてを見ていて下さる神様に、何もかもゆだねきっておられた。
自己犠牲とはそういうことです。神にすべてをゆだねて、自分のなすべきことをする。地位や名誉や、お金のためではない。神のため、人のために、自分のなすべきことを黙々となし続けていくのです。しかし神は、やがてその自己犠牲が大きければ大きいほど、大きな報い、大きな祝福を用意して待っていてくださいます。
久保有政著
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