祖国を救った人々
日本を、また日本人を愛するとはどういうことか
ペルシャでのユダヤ人絶滅の危機からユダヤ人たちを救ったのは、
若きユダヤ人女性エステルの勇気だった。 レンブラント画
[聖書テキスト]
「エステルはモルデカイに返事を送って言った。
『行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます』」
(エステル記四・一五〜一六)
[メッセージ]
今から約二六〇〇年前、ユダヤ人は、いわゆる「バビロン捕囚」にあいました。
ユダヤの国は、バビロン帝国に侵略され、征服されました。このときバビロン帝国は、ユダヤ人の多くをバビロンに連れ去ってしまったのです。これを、ユダヤ人の「バビロン捕囚」といいます。ユダヤ人は異国の地バビロンの国で、たいへん辛い思いをしました。しかしやがてバビロン帝国は、七〇年後にペルシャ帝国に滅ぼされます。
ペルシャは、バビロンのような国ではなく、異民族にも寛大な国でした。それでユダヤ人たちの一部は、そののちペルシャの王様の許可を得て、エルサレムに帰りました。しかし他の大半のユダヤ人は、すぐにはエルサレムに帰らず、ペルシャの国にとどまっていました。ユダヤ人の多くはペルシャにおいて、その生活にも慣れ、生活も安定するようになりました。なかにはエズラやネヘミヤのように、またエステル記に出てくるモルデカイのように、ペルシャ帝国で高い地位につくユダヤ人もあらわれました。
ペルシャの宗教はゾロアスター教でしたが、彼らは他民族に自分たちの宗教を強制することはしませんでした。非常に寛大な宗教政策を取っていましたから、ユダヤ人もそこで生きることが可能だったのです。
しかし、紀元前五世紀になって、ペルシャのアハシュエロス王(治世は前四八六〜四六五年)の時代に、ユダヤ人を絶滅させようとする陰謀が企てられたことがありました。そのユダヤ人絶滅計画を未然に防いだのが、このエステル記に登場するモルデカイとエステルです。
ペルシャにおけるユダヤ人絶滅計画
モルデカイは、ペルシャに住んでいたユダヤ人です。彼は、おじの娘エステルを養っていました。エステルの両親は死んでしまったからです。モルデカイは彼女を引き取って自分の娘として育てていました。
エステルは、たいへん美しく賢い女性でした。ある日、ペルシャの王様は、宴会を催して王妃ワシュティを招きました。ところが王妃はその命令を拒んで、王様の怒りを買い、失脚してしまいます。
そののちペルシャの王様は、新しい王妃を募集しました。そのときモルデカイは、自分の養女エステルを王妃の候補として応募させます。ペルシャの王様はエステルを選びました。エステルは、こうしてペルシャの王妃となりました。ペルシャの王は一夫多妻ですので、王妃たちの中の一人となったわけです。
さて、ペルシャの王宮にハマンという悪い男がいました。ハマンは狡猾で、うまくペルシャの王様にとり入り、出世していました。王様は彼を重んじて高い地位においていました。
ハマンは、自分の前で決してひれ伏そうとしないユダヤ人のモルデカイが大嫌いでした。またハマンは、モルデカイをはじめ、ペルシャ中のユダヤ人を根絶やしにしようとたくらんだのです。ハマンは、嫌いなモルデカイを殺して、それを見せしめとするために、モルデカイを吊すための高さ五〇キュビトの柱を自分の家に建てさせました。
ハマンは、ある日王様に告げ口をしました。「ユダヤ人は王様の命令を守っていません」そうユダヤ人の悪口を言って、ユダヤ人を滅ぼすための許可をもらいます。
この計画は、やがてモルデカイの知るところとなります。モルデカイはそれを王妃エステルに告げます。そしてユダヤ人を滅ぼす計画が撤回されるように、エステルが王様に働きかけてくれるように頼むのです。
命をかけたエステル
しかし王妃とはいえ、お呼びがないときに勝手に王様のところへ行くことはできませんでした。もし勝手に行くなら、死刑になるかもしれないのです。王様が金の笏を差し伸ばしてくれれば、生き延びますけれども、そうでないなら死刑となります。
けれども、エステルはユダヤ人を救うために、自分の命をかけて王のところへ行くことを決意します。彼女はまず、ユダヤ人が断食して自分のために祈ってくれるように頼みます。そうして彼女はモルデカイに言ったのです。
「たとい法令にそむいても、私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます」
このとき彼女は、おそらく二〇歳前後だったでしょう。しかしユダヤの国のために、また同胞を救うために、自分の命をかけることを決意していました。エステルは、王様のもとへ行きます。それはハマンのたくらみを明らかにし、ユダヤ人絶滅計画をやめてもらうためでした。
さて、エステルが王様のもとへ行く少し前に、ペルシャ王暗殺計画というものがありました。モルデカイはその暗殺計画を知ります。そして、ペルシャ王を暗殺しようとたくらんでいた者たちのことをが報告します。
それによって、王の暗殺が未然に防がれました。やがて、その出来事がペルシャの王様に知れるところとなりました。王様はハマンに命じて、そのモルデカイに褒美を与えます。また町の広場で人々の見ている中で、モルデカイに栄誉を与えさせます。
また王様は、モルデカイがユダヤ人だと知って、以後ユダヤ人に好意を持つようになりました。そののち、エステルが王様に会いに生きました。エステルは、ハマンの悪辣なユダヤ人絶滅計画を王様に告げます。その場にいたハマンは、王様の前で震え上がりました。
王の前でハマンの陰謀をあばく王妃エステル アーネスト・ノーマン画
そのとき、「ハマンの家に、高さ五〇キュビトの柱が立っています」
と告げる者がありました。すると王様は、「ハマンをその柱にかけよ」と命じます。こうしてハマンは、モルデカイを吊そうと用意していた柱に、自分がかけられて息絶えるのです。こうして、ユダヤ人絶滅計画は、未然に防がれました。
彼らユダヤ人たちを救ったのは、若いひとりのユダヤ人女性エステルの勇気だったのです。そして彼女の愛国心でした。愛国心――日本ではこの言葉が聞かれなくなってから、久しいですね。しかしユダヤ人の間では、それは何千年もの昔から、脈々と生き続けてきたものです。
愛国心という言葉を口にすると、今では「右翼」とか言われてしまいそうですね。ましてやキリスト教の牧師が口にすると、おかしいとか思われる。しかし、国を愛する心は、聖書が教えているものです。私は、愛国心という言葉よりも、むしろ祖国愛という言葉を好んで使いますが、エステルの心の中には、クニを愛する心、同胞を愛する心が脈々と生きていました。モルデカイもそうでした。彼らは何とかして、同胞を救おうとしました。エステル記の最後には、
「ユダヤ人モルデカイは……自分の民の幸福を求め、自分の全民族に平和を語った」(一〇・三)
と記されています。自分自身の幸福よりも、民族の幸福を優先した人、それがモルデカイであり、エステルでした。彼らは二つのJのために生きていたのです。「二つのJ」―Jehovah(エホバ
神)と、Jews(ユダヤ人)です。神とユダヤ人という二つのJのために、彼らは生きました。神と祖国です。彼らは神にあって深い祖国愛を抱いて生きました。
この「国」とは、国家体制のことではありません。むしろ自分の民族、自分の生まれ育った伝統文化、また自分を愛して育ててくれた両親、親族、また隣りのおじさん、おばさん、また近所の子どもたち、そしてふるさとの風景、またそこに自分が刻んだ思い出など、それらすべてをさします。彼らは神にあって、それらを深く愛する心を持っていました。
日本を救った大伴部博麻
一方、この日本において「国を愛する」という言葉が登場するのは、いつのことでしょうか。それは今から約一四〇〇年前のことでした。当時、中国は唐の時代です。また朝鮮半島に、百済(くだら)と新羅(しらぎ)という国がありました。この百済が侵略を受けたとき、日本は援軍を百済に送って、百済の国を助けようとします。日本は、唐と新羅の連合軍を相手に戦いました。
白村江(はくそんこう)の戦い(六六三年)と呼ばれるものです。このとき、日本人兵士の大伴部博麻(おおともべはかま)という人が、唐の軍隊の捕虜になってしまいました。その博麻の耳に、あるとき、
「唐の軍隊が日本襲来を計画している」
との情報が入ってきます。唐の軍隊が日本に攻めてきたら大変です。それは日本にとって一大事でした。しかし、今の自分は囚われの身、当然、博麻には日本に帰る費用もありません。そこで博麻は、四人の仲間にこう言ったのです。
「私を奴隷に売れ。そのお金で君たちは日本に帰るのだ。そして唐の軍隊による日本襲来計画のことを日本に伝えてくれ」
こうして博麻は、奴隷に売られたのです。四人はその費用で無事帰国をとげました。彼らが持ち帰った情報は生かされ、そののち日本は沿岸の警備を強化しました。また都を近江に移して、防衛に努めたのです。博麻は、ひとり唐の地にとどまること、三〇年。記録には記されていませんが、想像を絶する苦難の日々だったことでしょう。しかし博麻は、やがて故郷日本に帰ることができました。ときの持統天皇は、博麻を迎え、
「あなたが朝廷を尊び、国を愛い、自分を売ってまでして忠誠を示しくれたことを喜ぶ」
と異例の詔を述べ、褒美をくださったのです。これは『日本書紀』に記されている話です。これは「愛国」という文字が、日本の文献に初登場する記事でもあります。
大伴部博麻は、ひとりの農夫にすぎませんでした。一介の庶民です。しかし彼の祖国を愛する心、犠牲的な精神が日本を救い、守ったのです。今から一四〇〇年も前に、そのように深い愛国心、祖国愛を持った人がこの日本にもいました。モルデカイやエステルのような人物が、この日本にもいたのです。
その意味で、日本は何という素晴らしい国だろうか、と思います。なんと神様に愛されている国だろうか。一介の庶民が自分の命をかけてでも守りたい、と思う日本という国があったのです!
日本は昔から治安が良かった
日本というのは、本当に不思議な国です。外国人が日本に来ると、日本が治安が非常にいい国であるということに、まず驚きます。夜でも、一人で出歩ける。強盗や殺人は少ない。外国の町に比べると、日本の町は何と安全だろうか。
しかし、これは現代に始まったことではありません。日本では、大昔から治安がよかった。
今、全国で縄文人の遺骨は約一万体ほど見つかっています。けれども殺傷痕――つまり殺されたと見られる痕跡のある遺骨は、わずかに一七例しか報告されていません。縄文人は、それだけ争いごとをすることが少なかった、ということなのです。また、古代中国の歴史書で、『隋書倭国伝』というのがあります。この本は日本についてこう述べています。
「日本人は、とても物静かで、争いごとも少なく、盗みも少ない。性質は素直で、雅風がある」
これは現代人が述べたものではありません。今から一四〇〇年も前に書かれたものです。日本はいかに治安のよい所かということが書かれてあります。争いごとも少なく、盗みも少なく、人々は素直で雅風のある人たちだと。
その後、たとえば江戸時代においても、安全と平和と繁栄が日本をおおっていました。英国の歴史学者トインビーは、
「江戸時代の日本は平和国家のモデルだ」
といいました。アメリカの学者ノエル・ペリンは、江戸時代の日本の平和を、
「歴史に残る未曾有のこと」
と言っています。それは世界の中で、ミラクル・ピースだった。
江戸時代の頃の世界において、庶民として生ま
れるなら日本に生まれるのが一番幸福だった
当時は東海道五三次を、女性が一人で旅することもできたのです。安全に旅をすることができた。一九世紀のイギリスでさえ、国内を女性が一人で旅行するのは命がけだったと言われています。しかし日本ではそうではなかった。スーザン・ハンレイというアメリカの学者は、
「江戸時代の頃の世界において、庶民として生まれるなら日本に生まれるのが一番幸福だった」
と書いています。また、心理学者の河合隼雄さんが、こんなことも書いています。河合さんが以前、文化交流のためにエジプトへ講演に行ったことがあります。そのときエジプト人参加者の一人が、こう言ったそうです。
「イスラム教の国では、いつも神に祈っていますが、人をだますことがよくあります。しかし、日本人はお祈りをしないのにモラルが高いように思えるのですが、なぜですか。以前、私は日本に行ったとき、東京駅でカメラを忘れました。ところがそれが保管されていて、私の手に戻ってきたのです。大都会で上等のカメラが戻るのは世界でも日本しかありません」
私たち日本人は、ふだんこういうことをごく当たり前のことと思っていますね。でも、世界では当たり前ではないのです。日本にはまた、「無言商売」というのがあります。私の住んでいるところにもあります。時々、道ばたに野菜や花、卵などを売っている無人の売店がある。欲しい人は箱にお金を入れて、商品を持っていくわけです。
これは相互信頼と、正直さがなければ成り立たない商売です。こんな商売が成り立つ国は、日本くらいしかないでしょう。日本人は昔から、正直で、盗みをしない、平和を愛する国民だったのです。
二つのJを愛する
だから日本人は日本の国を愛しました。
私たち日本人クリスチャンは、この日本を愛しているでしょうか。
私がいう「日本を愛する」とは、偏狭な心や、国粋主義的な心で日本を愛することを言っているのではありません。英語でいうナショナリズム(国粋主義)ではない、ペイトリアティズム(祖国愛)です。
今日も世界を見渡しますと、ときには他の国をおとしめてまでも自分の国の国益だけを追求しているような国もあります。しかし、そのようなことを愛国心というのではない。祖国愛というのではない。それは単なる利己心です。
本当に祖国を愛するとは、自分の国が世界に貢献できる国となるために、自分の国のために祈り、働き、共に生きることです。また、その国の良いところを保存し、生かし、世界に広めていくことです。さらに、国が危機に陥ったときには、必死になってその危機から救うことをいいます。かつて明治・大正時代に大きな影響を与えたクリスチャン、内村鑑三先生は、
「私は二つのJを愛する」
と言いました。二つのJとは、Jesus(イエス様)とJapan(日本)です。
彼はイエス様にあって、日本を愛していました。深く愛していました。
「私は日本のために、日本は世界のために、世界はキリストのために、そしてすべては神のために」
とも内村先生は言いました。私はこの日本への愛が、今日の日本人クリスチャンたちにあるだろうかと思います。多くの日本人が日本を愛せなくなってしまっているのです。学校で教えられた自虐史観のゆえです。
内村鑑三。「私は二つのJ(日本とイエス様)を愛する」
残念ながら多くのクリスチャンも、人々は愛しているかもしれないけれども、日本を愛していない。深い人類愛を持っているクリスチャンはいます。「私は世界のために、世界はキリストのために、そしてすべては神のために」ということがわかるクリスチャンはいます。しかし、「私は日本のために」というクリスチャンが、一体どれほどいるだろうか。
日本は昔から、世界の驚嘆の的でした。
みなさんは、世界初の女流小説家は誰だかご存知ですか。世界初の女流小説家は、『源氏物語』を書いた紫式部です。源氏物語のような本格的な文学作品を書く女流作家が、ヨーロッパに現われるのは近代以降です。しかしそれよりも約八〇〇年も前に、日本では女性が大文学作品を著していました。この源氏物語は、ヨーロッパではシェークスピアに匹敵すると言われているのです。
また江戸時代には、寺子屋が全国に一万校もありました。誰もが読み・書き・ソロバンを習った。識字率は、七〇〜八〇%にも達しました。
また、今日の大学生でも手に負えないような難しい数学の問題を、当時の傘職人や漁師などがひまつぶしに解いていたことさえありました。そのように庶民でも高度な数学を扱える能力がありましたから、一介の庶民が大土木工事をやり遂げてしまうことがありました。
東京に、玉川上水という全長四三キロもの上水道があります。これを造ったのは、玉川庄右衛門、清右衛門兄弟という一介の農民です。彼ら農民がそんな大土木工事をやり遂げてしまった。こんな高い教育をもった庶民たちのいる国は、世界のどこを捜してもありませんでした。日本の力は庶民にあった。
当時はヨーロッパでも、庶民のほとんどは文字を読むことすらできなかったのです。学校に行く庶民なんていなかった。中国や韓国もそうです。ヨーロッパの庶民で文字が読めたのは、ユダヤ人だけです。ユダヤ人は、聖書を読まないといけないので、小さい頃から読み、書き、聖書はしっかり教えられました。当時、庶民で読み書きができて、高い教育程度にあったのは、世界を捜しても日本人とユダヤ人だけでした。
日本を愛したロシア人
江戸時代の末期に、日本とロシアの関係に緊張が走る中、日本に抑留された経験を持つロシア軍人ゴローニンという人がいました。彼も、
「日本人は天下で最も教育のある国民である」
と書き残しています。ゴローニンは、日本にいたときのことをこう書きました。
「日本人は、誰ひとりとして我々に侮辱を加えたり、嘲笑したりする者はなく、みんなおよそ同情のまなざしで見、なかには心から憐憫の情を浮かべる者もあり、ことに女たちにそれが多かった。我々がのどの渇きを訴えると、先を争って世話をしようとした。我々に何かごちそうしたいと護送兵に願い出る者がたくさんいて、酒や菓子や果物その他、何やかやと持ってきてくれた」
ゴローニンは、
「現在ヨーロッパの人々たちから野蛮人と思われている日本人は、こんな感情を持っているのだ!」
と言って、日本人の優しい心に感動したのです。彼はのちに、高田屋嘉兵衛という日本人の努力によって、ロシアに帰ることができました。そしてロシアで、『日本幽囚記』という本を出版しました。それを読んで感激し、幕末の時代に日本にやって来たのが、ロシア正教会の宣教師ニコライです。東京駿河台のニコライ堂(日本ハリストス正教会東京復活大聖堂)を建てた人です。ニコライは日本人について、
「上は武士から下は庶民に至るまで、礼儀正しく、弱い者を助ける美しい心、忠義と孝行が尊ばれる国、このような精神的民族をかつてみたことがない」
と称賛しました。ニコライもまた日本を愛してやみませんでした。
それなのに、なぜ今日の日本人クリスチャンは、日本を愛さないのでしょうか。日本でリバイバルが進まないのは、そこに一つの大きな原因があるように思います。
かつて日本に巨大な影響を与えた内村鑑三先生や、新渡戸稲造先生、中田重治先生などが共通して持っていたものは、イエス様にあって日本を愛するという愛でした。この国への愛です。
ところが、今の多くのクリスチャンたちは、日本の伝統文化はみな偶像文化だといって否定して、勉強しようとさえしません。学ぼうとしない。しかし、内村先生や新渡戸先生は、そうではなかった。彼らは日本の伝統文化や歴史を徹底的に学んでいました。その上で日本を愛した。彼らは日本の伝統である武士道に生き、また日本の精神文化をになって生きました。
たとえば内村鑑三先生の著書に、『代表的日本人』という本があります。内村先生はその中で、西郷隆盛、上杉鷹山(うえすぎようざん)、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人という五人の日本人の生き方を取り上げています。内村先生は、これら五人の生き方や思想に、日本人の精神文化が色濃く現われているとみたのです。そしてその精神文化は、内村先生の魂の中にも脈々と生きていた。だからこそ、彼ら五人を選んだのです。
この本は、英語で書かれましたが、そののち世界各国で翻訳されました。それを読んだ人のひとりに、アメリカのジョン・F・ケネディがいました。彼もクリスチャンです。ケネディは、あるとき「あなたが最も尊敬する政治家は誰ですか」と聞かれて、
「上杉鷹山です」
と答えました。ケネディは、上杉鷹山の生き方というものを、内村鑑三先生の著書を通して知ったのです。上杉鷹山は、米沢藩の藩主です。江戸時代屈指の名君。彼は藩主でありながら、偉ぶるところがなく、自ら倹約を行ない、自分も農民のようになって田畑を耕して働きました。
また学問所を整えて、身分を問わず庶民に学問を学ばせたのです。こうした政策によって、破産寸前だった藩の財政が建て直されました。藩は生き返りました。そのような偉大な政治家が、日本には様々な時代に現われたのです。
祖国愛とは
祖国を愛する愛は、人類愛と矛盾しません。人類、世界全体も愛するけれども、また他の国々も愛するけれども、なおのこと自分の生まれた民族、祖国を愛するのが、祖国愛です。
それが、神様が私たちにも求めておられることではないでしょうか。自分の国も愛せない人が、どうして人類を愛せるか。私たち日本人クリスチャンは、もっともっと日本の国を愛したいものです。キリストの使徒パウロは、
「もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです」(ロマ九・三)
と言ったことがあります。自分が犠牲となってでも、同胞を救いたい。彼もそのような祖国愛を持っていました。パウロはイスラエルの中にあり、イスラエルは彼の中にありました。祖国を大切にし、祖国を愛することは聖書の教えなのです。
「神は、ひとりの人からすべての国の人々を造りだして、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました」(使徒一七・二六)
国というものを造られたのは、神様です。イエス様はまた、
「自分と同じようにあなたの隣人を愛しなさい」
とお教えになりました。私たちは祖国の中にあり、祖国は私たちの内にあります。あなたの血の中を流れているものは、祖国の伝統であり、文化です。祖国は私自身であり、また私の隣人でもあります。
かつて日露戦争で活躍した乃木希典(のぎまれすけ)大将は、人格者として名高い人でした。乃木さんはのちに学習院の院長を務めましたが、学習院の生徒には、のちの昭和天皇がいらっしゃいました。そのとき乃木さんは、殿下にこうお諭し申し上げたそうです。
「殿下、日本の国は、どこにありますか。乃木の日本の国は、この胸の中にあります。
『ああ、私は日本人だった』と思うと、悪い考えを起こすことはできません。そんなことをしたら日本人として恥ずかしい、外国人に笑われる、日本の恥になる。日本の恥になるようなことは、お国へも同胞へも申し訳ないという気持ちになります。乃木は、わが日本の国をいつも胸の中に置き、自分は日本人だということを忘れぬようにしております」
乃木大将の心の中には、そんな誇りある「日本」の国が生きていました。乃木大将といっても、今の人は知らない人も多いかもしれません。しかしトルコ共和国のイスタンブールに行きますと、「ノギ通り」というのがあります。乃木大将を尊敬し、記念してつけた名です。
またトルコやポーランドでは、「ノギ」という名前をもった人々がたくさんいます。それほどに乃木さんは世界中で尊敬されました。乃木さんがこのように尊敬を集めたのは、彼の内に「日本」が生きていたからです。内村鑑三先生の心にも、新渡戸稲造先生の心にも生きていました。だから大きな働きができたのです。
本当の日本人になることは、本当の世界人になることです。自分の国も愛せない人は、世界のどこへ行っても尊敬されません。イエス様にあって本当の日本人になったら、あなたは本当の世界人、本当の国際人になれます。
神様が日本にお与えになった精神文化は、世界に通用するものなのです。日本はあなた自身です。そのあなたがイエス様と共に歩むとき、イエス様はこの日本に住んでくださいます。日本を愛することが、日本にリバイバル(信仰の覚醒)をもたらす道なのです。
日本の危機の時代
先日、日本の国に関して書かれたある本を読んだのですが、その著者がこのようなことを述べていました。
日本史上、六つの大きな危機の時代があった。第一番目は、蒙古来襲(元寇)の時です。モンゴルが鎌倉時代の日本に攻めてきた。しかし日本人は、「元の属国になるものか」という強い意志を持って、世界的な大帝国だった元の軍隊を追い払いました。
第二番目の危機は、江戸時代の末期です。西欧諸国は、日本の植民地化をねらって様々なわなを仕掛けてきました。しかし日本人は彼らの意図を見抜いて、日本の植民地化を防ぎ、明治維新を成し遂げました。
第三番目の危機は、明治時代の初期です。鎖国をやめて開国した日本は、欧米の文化を急速に取り入れました。そのとき欧米の文化にふれた日本人の中には、それまでの日本の伝統文化は古くさいものだと蔑んで、日本の伝統文化を否定し、葬ろうとする人々があらわれました。
しかし、そのような事態を憂慮した明治天皇は、全国行脚して、日本の伝統文化を大切にしなければならないと説き、「教育勅語」をつくったのです。一番目、二番目の危機は外からの危機でした。しかしこの三番目の危機は、内側からの危機だったのです。
つぎに第四番目は、日露戦争でした。大国ロシアとの戦争です。もしそれに負けていれば、以後、日本という国はこの地上に存在しなかった。日本はかろうじて、その戦争に勝ちました。
第五番目は、大東亜戦争(太平洋戦争)に負けたときです。日本はそのとき、明治以来築き上げてきた非常に多くのものを、すべて失いました。植民地化や日本解体は免れましたが、日本人の心に大きな傷跡を残しました。
今そこにある危機
そして最後の第六番目の危機は今現在です。
この危機も、日本の内側からのものです。現在の日本人は、日本人らしさや、日本人としてのアイデンティティ、日本を愛する心を失いかけています。それは着々と進行していますが、多くの人々にはこの危機の感覚がないというのが、最も恐ろしいことです。
これは第三番目の危機のときとも似ています。いま日本は物質的には豊かになりました。しかし日本人は、かつては非常に豊かだった日本の精神文化を失いかけているのです。
先日、青少年の意識調査がありました。その結果には、世界の様々な国の青少年と日本の青少年の意識の違いが、歴然とあらわれていました。日本の青少年はいま、やる気がなくなっています。未来に希望がない、夢がないのです。
私はその結果をみて、愕然としましたね。青少年に夢がなくなる、やる気がなくなるという国に、未来はありません。日本は今、危機的な状況にあります。
最近、大学生や高校生が大きな犯罪をおかすことが増えています。なぜそんな犯罪をおかすのか、理由を聞いてみると、内容がとても幼稚なのです。大人になっていない。なぜそんな幼稚な考えで親を殺したり、盗みをしたりするのか、と愕然とします。
なぜ、こんなことになってしまったのか。理由は、いくつかあるでしょう。しかし、その一つに、青少年はいまも「日本は悪い国だ」と教えられていることがあります。
戦後にGHQが開いた東京裁判や、左翼の歴史観に基づいて、日本は悪いことばかりしてきたと教え込まれている。今の日本の教育のおかしなところは、旧敵国の歴史観や、共産主義者が言い広めた歴史観を、あたかも事実であるかのように学校で教えていることです。
その一方で、日本人がかつて世界でなしてきた数多くの偉業や、良い事柄は何一つ教えられません。だから青少年は、夢が持てなくなります。自信も希望もなくなるのです。自暴自棄な、幼稚な考えになってしまいます。こんなことでいいんだろうか。クリスチャンも、このことに無関心ではいられません。いや、クリスチャンこそが率先して、日本人の意識改革に乗り出していくべきではないでしょうか。
エレミヤの祖国愛は無駄ではなかった
旧約聖書に、『エレミヤ書』という書物があります。これは預言者エレミヤの預言の言葉を記したものです。ユダヤ人がバビロンに捕囚になる頃に書き記されたものです。
エレミヤの活動は無駄ではなかった ミケランジェロ画
エレミヤは「悲しみの預言者」と言われます。彼は憂国の志士でした。エレミヤ書には、彼の涙が幾度も記されています。ユダヤの民が堕落し、神からの裁きを目前としているのをみて、エレミヤは幾度も涙にくれました。
「ああ、私の頭が水であったなら、私の目が涙の泉であったなら、私は昼も夜も、私の娘、私の民の殺された者のために泣こうものを」(九・一)
と彼は言っています。エレミヤも、祖国ユダヤを愛してやみませんでした。そのユダヤが今大きな危機にあり、滅びていくさまを、彼は座して見ていることができなかった。
彼は神に召され、預言者となりました。その働きは辛いものだった。彼は人々に神の預言の言葉を語って聞かせますが、誰一人、彼の言葉を聞こうとしなかったのです。エレミヤは孤独な戦いを強いられました。ユダヤ人指導者は、エレミヤの言葉を聞き入れず、エレミヤを迫害し、彼を捕らえて、獄屋に入れました。
やがてエレミヤは、自分の目の前でユダヤの国が滅びるのを見なければなりませんでした。ユダヤ人たちがバビロンに連れられていく様を見なければなりませんでした。エレミヤの生涯は悲しみに満ちていた。
ある人たちは、エレミヤの活動は無駄だった、と思ったことでしょう。彼の言葉を聞く者は誰一人いなかった。しかし、無駄ではなかったのです。なぜなら『ダニエル書』をみますと、預言者ダニエルは、エレミヤ書を読んで、バビロン捕囚は七〇年間で終わることを知ったと書かれています(九・二)。
バビロン捕囚にあったユダヤ人は、エレミヤ書を読んでいたのです! そのエレミヤ書が、ダニエルの信仰を励ました。ダニエルもまた、深い祖国愛をもって信仰を貫いた人です。
そしてエレミヤ書は、のちにモルデカイやエステルの信仰をも励ましました。エレミヤの祖国愛は、モルデカイやエステルに受け継がれ、ユダヤ人たちを救いました。ユダヤ人絶滅計画を未然に防いだのです。そこには、エレミヤの献身的な働き、自己犠牲的な働きがありました。エレミヤは神と祖国ユダヤのために、自分の命と人生を捧げたのです。
日本を救うためなら
日本でも、かつて鎌倉時代に、蒙古襲来(元寇)があったとき、ときの亀山天皇は、
「日本を救うためなら、私の命を捧げます」
と伊勢神宮で祈りました。これは単なる「困ったときの神頼み」ではありません。当時、「私の命を捧げます」と言ったら、それは文字通り命がけの祈願を意味しました。
ましてや、私たちは本当の神様を知っているではありませんか。私たちもまた、自分の命と人生を神様に捧げようではありませんか。神様が愛しておられるこの日本を救い、再生させるためです。私たちの祖国愛も、神様によって必ずや大きな実をならしていきます。
私たちに必要なのは、エレミヤのような祖国愛です。また、モルデカイ、エステルのような祖国愛です。神がユダヤを愛して下さっているのだから、私もユダヤを愛してやまない。神が、はらわた痛むほどの愛で愛して下さっているのだから、私も、はらわた痛むほど愛する。
神様は、この日本をも、はらわた痛むほどの愛をもって愛し、導いてくださいました。イエス様は、日本の歴史、伝統、文化を深く愛してくださっています。クリスチャンも、それらを愛していくことが大切です。
それらを掘り起こし、大切に育て、そこにイエス様の福音を接ぎ木していくことなのです。それが、ひいては日本民族の総福音化につながっていきます。使徒パウロは、
「私は……ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです」(第一コリ九・二〇)
と述べました。私たちも、伝道するなら、日本人には日本人のようになることが大切ではありませんか。日本人であることをやめたようなクリスチャンが日本で伝道しても、実を結ぶことはできません。イエス様にあって本当の日本人になっていただきたい。そうするならば、あなたは本当の世界人、本当の国際人、本当の意味でイエス様の弟子になります。
胸を張って歩きたまえ
ジャーナリストの高木一臣さんが、このようなことを書いていらっしゃいます。
高木さんは、現在、アルゼンチンで日本語の新聞を出していらっしゃいます。彼はかつて大学を卒業したあと、二六歳のときにアルゼンチンに渡りました。当時はまだスペイン語がうまくしゃべれませんでしたので、アルゼンチンの国立夜間小学校に通いました。その学校での歴史の授業の時でした。
歴史の先生は、「○○、前に出なさい」と生徒を指名して、教壇に呼び出して、復習してきたかどうかを確認します。高木さんも呼ばれました。ところが、高木さんのときには、
「『日出ずる国』の生徒よ! 前に出なさい」
と言いました。それで高木さんは言いました。「先生、『日出づる国の生徒よ』という呼び方はやめてください」
「なぜだ?」
「先生、太陽は落ちたんです。日本はもう『日出づる国』ではなくなったんです」
「君が『太陽は落ちた』というのは、日本が戦争に負けたからなのか」
「そうです」
すると先生はこう言ったのです。
「君は間違っている! 日本が『日出ずる国』であるのは、戦争に強かったからではない。日本はアジアで最初に西洋文明を採り入れて、わがものとし、世界五大強国の仲間入りをした。
日本は、『西洋文明』と『東洋文明』という全く異質の文明を統一して、一つの世界文明を創り上げる能力を持った唯一の国だ。
この難事業をやり遂げたのは、日本をおいて他にない。日本がこの能力を持ち続ける限り、日本は『日出づる国』であるのだ。戦争の勝ち負けなどという問題は、『西洋文明』と『東洋文明』の統一という大事業の前には、とるに足りないことだ。君は日本が戦争に負けたからといって、卑屈になる必要は毫もない。俺は『日出づる国』の人間なのだ、という誇りと精神を失わず、胸を張って歩きたまえ!」
異国の先生から、こんな言葉を聞こうとは――。高木さんは、先生の言葉を聞きながら、あふれ出る涙を抑えきれなかったといいます(「生命の光」平成一四年二月号)。このアルゼンチンの先生の言葉は、なんという高い見識と、心温まる言葉でしょうか。これは五〇年以上前の話ですけれども、そのように日本を理解してくれている人が南米にもいたのです。
日本には、歴史的にみても伝統文化からみても、神様から大きな使命が与えられています。西洋文明と東洋文明を結びつけて、真の平和と繁栄に満ちた新たな世界文明を築き上げるリーダー的役割を果たす素質を持っているのが、日本です。
クリスチャンはそれを理解する必要があります。あなたがなぜこの日本に生まれたのか。その意味を知ってください。神様が、あなたをこの日本に置いている理由を、かみしめてください。
神様のなさることには、すべて意味があります。どうぞそれを心にとめて、あなた自身の人生を歩まれてください。
久保有政著
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