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ハドソン・テーラー
中国伝道に生涯をささげた宣教師



 ハドソン・テーラー(一八三二〜一九〇五年)は、イギリスに生まれ、中国に渡って伝道に身をささげた一九世紀の偉大な宣教師である。
 父は薬剤師であったが、伝道者でもあった。母は牧師の娘で、慈愛にとんだ女性であった。ハドソンはこの家庭に、長男として生まれた。
 一七歳の時に決定的な回心を経験し、しばらくして中国伝道の使命を確信、その準備に入る。二一歳のとき初めて中国に渡り、貧乏と、多くの苦難にもめげず伝道を続け、多くの実を得た。
 今日、中国は共産主義のもとにあるが、政府の激しい弾圧にもかかわらず、クリスチャンが五千万人〜一億人もいる、と言われている。彼らは中国の"隠れキリシタン"なのである。
 このように多くのクリスチャンが今も中国にいるのは、ハドソン・テーラーをはじめとする多くの宣教師たちの、血のにじむ伝道があったからである。
 テーラーは、自分の回心の時のことについて、証しを残している。ここに、彼の回心の証しを紹介しよう。以下は、テーラー自身の言葉である。


[回心記] ハドソン・テーラー

 私は自分の回心について、言い尽せない感謝に満ちた負債を、愛する両親に負っています。二人ともすでに世を去り、安息に入りましたが、両親が私に及ぼしてくれた感化は、決して消え去るものではありません。
 父は、イギリスでは熱心で、有能な福音説教者でした。一八三〇年頃に、父は何冊かの本――とくに船長ベイシル・ホールの旅行記を読み、中国の霊的状態を知って、ひどく心を打たれました。
 その後、愛する父は宣教の奉仕のために、中国に渡る望みを持ちました。しかし彼の人生の中でそれを実現することは、できませんでした。
 当時中国は、真理に対して堅く門戸(もんこ)を閉ざしていたのです。けれども父は祈りました――もし神が息子を与えてくださるならば、その子がやがて伝道者になって、この広大な渇いた帝国で労苦する機会が与えられるようにと。
 私が父のこの祈りについて知ったのは、私が中国に渡ってから七年ほどたち、初めてイギリスに帰国した時のことでした。父がこのような願いと祈りをささげていたことを、私はその時まで知らなかったのです。
 しかし私の生まれる前にささげられたそのような祈りが、いかにして答えられたかを知り、私は非常な興味を覚えたものです。


懐疑の時期

 少年時代、私は病弱で、宣教師になるなど思いもよらないことでした。両親も、何年もの間、その希望を失っていました。
 ところが神は、しだいに私を健康にしてくださり、命を保ってくださいました。また私よりずっと健康だった男女の多くがすでに亡くなったにもかかわらず、宣教地やイギリス国内でのとても疲れる奉仕に耐える力を、主は与えてくださったのです。
 私は幼い頃から、祈りと、神のみことばの尊さを学ぶ機会に恵まれていました。神が実在するなら、神に信頼して従い、すべてを捧げて主に奉仕すること――それこそ私にとっても他の人にとっても、最善で最も賢明な道である、と常に両親が教えてくれたからです。
 ところがこのような有益な模範と教訓にもかかわらず、長いあいだ私の心は、かたくなでした。
 何度か、自力でクリスチャンになろうとしましたが、もちろん失敗してしまいました。あげくの果てに、どういう理由からか、
 「自分は到底救われないのだ。どうせ墓の先には何の希望も持てないのだから、いっそのことこの世では、思う存分奔放に暮らすのが一番だ」
 と思うようになっていました。
 こんな思いになっている時、私は無神論的な考えを持つ人と、知り合いになりました。私は、もし両親の言うことが正しく、聖書が真理であったとしたら、不信者を必ず待っているという運命はどんなものだろう、と思いました。
 その後、その運命から逃れられるかもしれない、という妙な希望を持って、私は両親の信仰を受け入れるに至りました。少々変に聞こえるかもしれませんが、私は私を信仰に導いたその懐疑の経験を、幾度か感謝したものです。


真理の実験

 ところで、口では「聖書を信じる」と言いながら、むしろ"そんな本など無いほうがいい"と言わんばかりの毎日を過ごす信者がいて、彼らの生活の矛盾は、懐疑論者がしばしばキリスト教にぶつける最も痛烈な反対理由の一つになっていました。それで私は、
 「自分なら、聖書を信じるという以上、とにかく聖書どおりの生活をしてみる。そして公平に試したうえで、それが真理でもなく信頼もできないと証明されたならば、きっぱりそれを捨てよう」
 と思い、またそう語りました。私はこの考えを、主が憐れみにより私を御自身のもとに引き戻してくださった後も、持ち続けていました。
 以来、私は神の言葉を試し続けてきた、と言ってもよいでしょう。それは確かに、私をあざむきませんでした。
 御言葉の約束に信頼して後悔したり、その教訓から得た導きに従って嘆かなければならなかったことも、いまだかつて一度もありませんでした。


答えられた母と妹の祈り

 さて、私の回心について、もう少しくわしくお話ししましょう。私が懐疑を捨てて信仰に入ったとき、その回心は、愛する私の母と妹の祈りの答えでもありました。
 忘れもしない、私が一五歳頃のある日のことでした。母は旅行中で、私の学校も休みに入っていました。
 私は退屈しのぎに、何か読むものはないかと、父の書斎を捜しまわりました。別にこれと願うものはなかったので、パンフレットの入った小さなかごをかき回し、その中から福音トラクト(小冊子)を一冊選び出しました。私は、
 「これはきっと、初めに物語が書いてあり、終わりの方にお説教が書いてあるのだろう。前の方だけ読んで、後ろの方は、そうしたものが好きな人のために残しておこう」
 と考えました。私は腰をおろし、ぼんやりとトラクトを読み始めました。そのとき、
 「たとえこの中に救いがあったとしても、それは決して自分のことではない」
 と考えていましたし、
 「面白くなかったら、すぐに放り出そう」
 と心に決めてもいました。
 当時、回心とは、なにか「とても堅苦しくなること」と一般的に思われていましたし、また事実、回心した人の顔つきを見ても、まったく堅苦しいことであるように思えました。
 なぜ神の民であるクリスチャンは、受けた恵みと喜びをありのまま顔に出し、その救いの証拠としないのでしょうか。そうするなら未信者も、回心を「堅苦しくなること」などと思わずに「楽しくなること」と思うようになり、本当に素晴らしいと思うのですが・・・・。
 私が書庫でトラクトを読み始めたとき、じつは母は、一二〇キロほど離れた場所にいました。そのとき彼女の心に何が起ころうとしているのか、私はもちろん知るよしもありませんでした。
 母は旅行先で昼食を終え、席を立ちました。そのとき彼女の心が、息子の回心を求める切なる願いで、いっぱいになりました。
 こうして家を離れて、ふだん得られない独りの時を与えられたのも、息子の回心のための特別な祈りの機会なのだ、と母は感じたのです。彼女は部屋に入り、戸に鍵をかけ、祈りが答えられるまでその場を去るまい、と決心しました。
 しかしやがて、もうそれ以上祈れなくなってしまいました。というのは神の御霊が、彼女の一人息子の回心について「すでに成就した」と心に告げられたので、神を讃美するばかりになったからです。
 一方、私は導かれるまま、書庫でトラクトを読んでいました。すると、
 「キリストが成就してくださったみわざ」
 という言葉が強く私の心をひきました。
 「なぜこんな言い方をするのだろう。"キリストの贖(あがな)い"とか"なだめのわざ"とか言わないのは、なぜなのか」
 という疑問が起きたのです。やがて、
 「それはすでに成就されているのだ」
 という言葉が自然に心に浮かんできました。いったい何が成就されたのだろう――すると次の答えがすぐ浮かんできました。
 「罪に対する全き贖いと義認(ぎにん)が成就(じょうじゅ)し、神に対する負債は、キリストによってすべて支払われたのだ。キリストは、私たちの罪のために死んでくださった。いや私たちのためばかりではなく、全世界の罪のために死んでくださったのだ」。
 するとまた、次の疑問が浮かんできました。
 「すべてのわざが完成し、すべての負債が支払われたのなら、私たちに残された働きは何なのか」
 この思いは次の瞬間には、喜ばしい信仰と確信に変化しました。聖霊は光となって、私の魂にさし込んだのです。
 「この世にはもう、なすべきことは何もない。ただひざまずいて、救い主と、彼による救いを受け入れ、彼を永遠に喜ぶことだけだ」。
 このようにして私は、ひまつぶしにただ独り入っていったその古い書庫の中で、神を讃美し始めたのです。そのちょうど同じ時刻に、愛する母は遠い地でひざまずき、私のことで神を讃えていました。


祈りの力

 私が自分の回心の喜びを、思いきって愛する妹アメリアに打ち明けたのは、ようやく数日後になってからでした。それも私の魂の秘密を他の誰にも話さない、と彼女に約束させてからでした。
 二週間ほどして、愛する母が旅先から帰宅しました。母を玄関でまっさきに迎えたのは、私でした。
 「お母さん、とってもうれしいことがあるんです」
 と私は言いました。その時のことを、今でもはっきり思い出すことができます。母は私を抱きしめて、こう言ったのです。
 「わかっていますよ。お前が話そうというそのうれしいことで、私もこの二週間、喜びにあふれていたのですから」。
 私はびっくりして尋ねました。
 「アメリアが約束を破ったのですか。誰にも話さないと約束したのに」。
 しかし母は、決して人から聞いて知ったのではない、と述べ、旅先での祈りの最中に与えられたあの確信について話してくれました。
 私がもし祈りの力を信じないとしたら、これはまことに不思議な話だし、皆さんも同感でしょう。しかし不思議なのは、それだけではありませんでした。
 まもなく、私は一冊の手帳を拾いました。私の手帳にそっくりだったので、自分のだと思って開いてみると、それは妹が記した小さな日記でした。
 その日記には、神が祈りに答えて兄を回心させてくださるまで祈りを毎日捧げよう、という意味のことが書いてあったのです。主の恵みにより、私が実際に闇から光に導き入れられたのは、それが書かれた日から、ちょうど一か月目のことでした。
 このような環境に育ち、このような事情のもとに救われた私にとって、神のお約束は、クリスチャン生活の当初からじつに確実でした。自分のため、また人のために神の祝福を祈り求めるときも、神は当然それに答えてくださるものと、私は思うようになったのです。
                                                                                               久保有政著  

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