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創価学会幹部、幸福の科学幹部からキリストへ

かつて「創価学会」幹部として歩み、その後「幸福の科学」の幹部だった小澤利夫さん。彼はその後、いかにしてキリストを信じるようになったか。


創価学会時代の小澤利夫さん。公明党推薦で、
市議会議員選挙に第二位当選(37歳の時)。


[小澤利夫さんプロフィール]

 小澤利夫(おざわとしお 七五歳)さんは、かつて創価学会幹部として、熱心に仏法に励んでいました。
 創価学会時代は、二五六世帯ほど折伏(伝道)して、創価学会に入信させたほど。公明党に属し、市会議員も務めていました。
 彼は創価学会理事会のメンバーとなり、会長の池田大作氏のもとで、側近中の側近として熱心に活動していたのです。
 けれども、創価学会のあり方に失望して脱会。そののち、「幸福の科学」に入信します。
 そこでも彼は熱心さと誠実さを買われ、やがて幹部となります。教祖・大川隆法氏の側近、幸福の科学のナンバー2として活動していました。
 しかし幸福の科学でも、失望を味わいます。そこを抜けた彼は、今はクリスチャンとして生きるようになりました。
 2001年8月に家族と共に洗礼を受け、一家そろって、クリスチャンとして歩んでいます。そこには、いち早くクリスチャンになっていた娘さんの影響もありました。
 現在は、かつて自分が創価学会や幸福の科学に導いた人々に対し、キリスト教再伝道をする毎日です。
 今月は、
 「ようやくホンモノの教えに出会いました」
 と語るこの小澤さんに、お話をうかがいました。



[小澤利夫さんの感話]


焼け野原で

 昭和二〇年一〇月秋、上野駅に帰ってきた当時二〇歳の私が見た光景は、無条件降伏下にある日本でした。
 「二六〇〇年の神国」と威張っていた日本の長い歴史が、敗戦国という汚名に変わったのです。
 海軍に志願し、そこに属していた私でしたが、数え切れないほどの若い友人と知人を戦死によって失ないました。
 命からがら、私もやっとのことで上野に到着。大東京は、それまでに受けたB二九による爆撃のために、無惨な焼け野原となっていました。空飛ぶ雀や、カラス一羽もいない。
 戦争の悲惨に、私の夢も希望も消されました。今後いかにして生きていったらよいのか、そのすべも失なっていました。
 私は茨城の田舎町に帰りました。
 当時、東京に嫁いでいた姉は、二歳の女の子をかかえて病の床にふせていました。老いたる母は、姉の看病に必死でした。
 父は、私が一三歳のときに他界。姉の夫は、シベリヤ方面に敗残兵として抑留されて、生死不明。
 絶対絶命の我が家でした。それでも、それ以上の不幸と悲運の家庭が、無数に存在していたのです。
 姉はほどなく他界。残された二歳の子を面倒見ながら、生きていくことで必死でした。
 「神風が日本には吹く、輝かしい戦勝を」と叫んだ当時の軍国主義者らが、戦後五〇数年たった今日において、なお東京・九段の靖国神社に、軍神として祭られています。
 考えてみると知識豊かな日本であるのに、宗教関係に至ると、本当に馬鹿げたことを平気でやっている。昔も今も、世の指導者たちの権力と、名誉と、傲り以外の何ものでもないのです。
 肉体を有する人間は、生きていても、死んでも人間に変わりありません。ところが日本の宗教界には、「我は神なり」「私は仏なり」等と言っている者たちがいます。
 神仏であるなら、人智で計り知れない現代日本の深刻な経済を、好景気に変えてみよ。神仏であるなら、三百万人の失業者に対し、納得のいく仕事や職場を与えてみよ。
 しかし、三位一体の位格を具備する神のもとより御子イエス・キリストは来て、二〇〇〇年前にナザレの地から始め、人類の真の救済のため、命を張った伝道をされました。
 人間で最も大切なものは命。イエス様はご自分の生命を私たちのために血に染め流し、人々を罪と滅びから救うため、十字架上で救いの道を開かれました。真の救いはこの方にしかありません。


創価学会への入信

 インドの釈迦、中国の孔子、あるいは日本の宗教界の教祖たちの中に、人類の救済のために十字架にかかりし者がいたか。
 そればかりではありません。ゴルゴタの丘でイエス様は、最後の息を引き取る瞬間に至るまで、ご自分の命を取る者たちのために、とりなしをされました。
 「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(ルカ二三・三四)
 と、心を振りしぼり、私たち全人類のため、尊い命を惜しげなく捨てていかれました。
 このイエス様こそ、人間の肉体の姿をとられた神の御子。地上における人々の罪をすべて、背負って死んでいかれたのです。
 人間は愚かです。自分の目に見えるものは信じるが、見えない世界は信じない。けれども、見える世界だけでなく、見えない世界が存在します。
 空気や、人の心や、電流等も目では見えません。しかし存在します。同様に、見えなくとも神様はおられますし、他界した人々の魂も永遠に存続しています。
 私は、当時の複雑な心境により救いを求めていたとき、創価学会員の折伏(伝道)にあい、入信していきました。
 釈迦の仏教的流れの中に、かつて日本において、法華経を本尊とする日蓮の宗派が現われました。創価学会は、その流れを汲みながら、信心によって自分の幸福を作っていこうとするものです。


創価学会時代の小澤さん(中央)。

 私は法華経を本尊とし、折伏に、座談会(家庭集会)に、学会の発表等のためにと、全力投球していきました。
 やがて公明党議員として二〇年、さらには本部の理事として、私は何千人、いや何万人の会員を相手に、その指導に日々を追われていました。
 私たちの住む俗世間には、様々な国があります。人間には主義や思想があります。たくさんの宗教が存在しています。
 その主義や思想、宗教が、正しき神の御心に一致しているか、あるいは反しているかによって、善悪が分かれると思います。誤った宗教や思想がいかに人間を不幸にするか、人間の生命や肉体に悪影響があるか、それは私が言うまでもないことでしょう。
 創価学会の内部事情をみて、やがて私は深い失望感を味わうようになりました。そして、いつまでも自分の良心を偽ることができなくなり、ついに五四歳の春に、創価学会を脱会しました。
 当時、私は著名なジャーナリスト、藤原弘達/内藤国夫の両氏のお力を借り、インタビューに答える形で、創価学会を出た理由を詳しくお話ししています。それは一冊の単行本にもなりました(日新報道出版部刊『創価学会に未来はあるか』内「だから私は創価学会を脱会した」)。


創価学会への失望

 今にして考えてみると、私の人生の途上において病気あり、経済苦あり、失業あり、倒産あり、夜逃げあり、自殺未遂あり、この世の生き地獄を、七五歳の今に至るまで歩んでまいりました。
 四苦八苦の苦しみの道を、涙と共に歩みました。弱き人の心ですから、己以外の力に救いを求めるのは、人の常です。
 その救いのための宗教の道であり、その奥にこそ、人智で計り知れない神の恵みが存在している、と思っています。
 人生とは、まさに一冊の問題集です。過ぎ去った昨日までの過去は、なんびとにも変えることはできません。しかし、いまだ手のつけられていない明日からの人生は、己の心いかんで変えることが可能です。
 とするなら、私たち人間を造った方は一体誰なのか? 昔々、そのまた昔、猿が人間に進化したのか?
 私はそんな野暮な低次元の考えには、とうてい納得ができません。なぜなら、たとえば二〇世紀最大の科学者と言われ、私たちの尊敬と信頼を得ているアインシュタイン博士も、
 「私は神の天地創造の足跡を真剣に探し、求めていく人間なのです」
 と言っています。さらには、世界の心ある多くの人々からその死を惜しまれたあのインドの聖人ガンジーは、
 「私の生涯に最も深い影響を与えたものは、新約聖書です」
 と告白しています。ロシアの大文豪トルストイや、ドイツの詩人ゲーテも、
 「信仰こそは生の力なり」
 と。そして聖書の福音こそ最高であり、キリストの高潔さは道徳的修練をはるかに越えている、と述べています。
 マザー・テレサや、シュヴァイツァーも同様のことを言っています。
 日本においても、芥川龍之介をはじめ有名な方々が、聖書とイエス・キリストを心から讃美しているのです。
 私は創価学会に愛想を尽かせてしまいました。そして心を無にし、新しい人生をもう一度やり直そうと、決意したのです。
 そのあいだ、何度かクリスチャンの方からも伝道を受けました。しかし私の心の片隅には、
 「教会は暗い所である」
 「クリスチャンは弱々しい善人だ」
 「情熱がない」
 「そのくせ排他的」
 「一人よがりの堅苦しい人たちだ」
 「好奇心や愛の心からにじみでる笑顔も、あまり見受けられない」
 といった思いがありました。とくに聖書に至っては、マリヤ様が処女であり、その子がキリスト、イエス様であるというのが非科学的な文章に思え、いつも心のどこかに引っかかっていたのです。
 イエス様が地上に生息する人々を現に救うなら、普通の人間と同じ誕生ではいけないのか? 処女マリヤから生まれた等と、きれいに美しく人々に見せるために、後世の使徒たちが美化したのではないのか。
 そう私は考えていたのです。そして宗教そのものが、あまりにも美化しすぎる、きれい事にみえました。


幸福の科学への転向

 私は創価学会を抜けたあと、「幸福の科学」に入信しました。その教祖の本には、私が思っていたと同じ意味の事柄が、よく文章化されていたのです。


「幸福の科学」時代の小澤さん。
大聴衆の前で教えを語る。

 人智で計り知れないこの地上には、たくさんの事件や出来事が起きています。
 動物園の猿が、人間になるわけがありません。私たちの目には見えないが天上界という高次元に厳然とおられる、すべてのすべてを創造された「造り主」なる神様が、人間を造り、人間の生息できる大宇宙大自然をも創造されたのです。
 いつ誰が詠んだものか不明ですが、私の心の片隅に焼きついている和歌があります。
 「闇の夜に 鳴かぬカラスの 声ぞする
  生まれぬ先の 父ぞ恋しき」
 人間の一寸先は、真っ暗な闇夜と全く同じです。その暗い闇の中を手探りで、死出の道を歩んでいるのだとすれば、いつ、どこで、何が人の道に起きても、それこそ当然です。
 今年の九月一一日、世界一を誇るニューヨークの大空に誇らしげにそびえ立っていたあの二つの世界貿易センタービルが、テロ攻撃のゆえに一瞬のうちに炎上、そののち無惨にも崩壊してしまいました。
 テロ事件を実施した者たち以外には、それが起こるであろうことは、誰にも知るよしもなかったことです。あのとき一万人近い尊い人命が失われました。そしていまだに多くの遺体が、発見されないままです。
 科学や文明がいかに発達し、天にそびえ立つような近代的な建物を人間が造ろうと、あるいは誇らしげに立派なものを幾つ造ろうと、所詮この世には、人間の力だけではどうしようもないものが存在しています。
 今こそ、それを悟っていくことが大切です。目には目を、歯には歯を、を取る手段を繰り返すなら、やがてその恨み、つらみがますますつのって、その報いは忘れたころに数倍にもなって再び返ってくることでしょう。
 己が天に向かってするツバは、やがて己の顔に戻ってくるのです。
 神を愛し、祈り、隣人を心から愛して祈り、そして己の人生の途上にやがて起こりうる苦悩の解決のために祈り、神に真心こめて仕え、その愛をもって人に仕える。
 それが各自に成就することが急務です。
 「幸福の科学」という、仏教系とキリストを含めた「神々の霊言」を中心にした教えそのものは、本当に偉大であり、万人に通じる教えだったと思います。
 宗教に無知な人々にとり、特に『太陽の法』という「幸福の科学」の本は、宗教の何たるかを、やさしく解き明かしたものです。だからこそ、わずか十年の歳月で、数十万人の会員が世界中からその神の教えを求めて集ってきたのだと、思っています。
 でも残念なことには、「我は神なり」という誤解される教祖の言動に、その頃から、その会にもいられなくなりました。私以外にも、去る人々が少なくありませんでした。
 今、世で「私は神仏なり」という者を真に受けるのは、危険なのです。宗教界の中で、己が神であり仏であるとは、その教祖が口にすべきことではありません。


幸福の科学の集会で
(一番後ろで立っているのが小澤さん)。

 会員とか信者を含めた万人の人々から、「あなたこそ神なり」と、心から尊厳される方こそ神であり、その方は人間ではなく、被造物でもなく、創造主であって、大宇宙にただおひとりしかおられません。
 「正」しいという字は、「一に止まる」と書きます。唯一の神に止まるのが正しく、真に正しき方はただお一人です。また、ただおひとりで充分なのです。


「幸福の科学」の職員の方々と共に
(前列中央が、当時「幸福の科学」理事長だった小澤さん)。


キリスト教との出会い

 明治四〇年代に、旭川国鉄運輸事務所に働く、ひとりのクリスチャンがいました。長野政雄さんといいます。
 二月二八日、一台の列車が、たくさんの乗客をのせて塩狩峠にさしかかったとき、後尾の列車の連結がはずれ、ブレーキも故障して坂を暴走し始めました。
 その列車に乗っていた長野さんは、線路に飛び降り、自分の体を横たえてブレーキにし、ついに列車を止めました。
 鮮血が、真っ白く降り積もる雪を染めました。しかし彼が投げ出した命と、その愛の犠牲により、乗客の全員が助かったのです。
 長野さんは若い頃、北海道の札幌において、信仰に入りました。一人の伝道師が、雪の降りしきる街角で、路傍伝道をしていたのです。
 「道いく皆さん、歩きながらで結構です。二〇〇〇年前にあった真実の話を聴いてください。
 一人の馬鹿な男、あまりにも正直な男がいたのです。その人の名前こそ、イエス・キリストです。
 何一つ悪いことなんかしたこともない。否、すべて彼の行為は善に満ちあふれていたのです。その男が、人間で一番大切なものを、惜しげなく与えていくのです。
 最も大切なものは、みなさん、命です。後にも先にもたった一つの尊い彼の命を、多くの苦しみ悩み多い人々にあげてしまったのです。
 そしてゴルゴタという丘で、十字架にかけられて極刑になり、己の五体を鮮血に染めて息たえていくのです。
 みなさん、その死に至るまで、イエス様は絶叫したのです。天の神様、槍で私の胸をさすこの者たちは、何をしているのか自分でわからないのです。だから赦してあげてください……と。
 みなさんの中で、自分を侮辱する者のために、あるいは、自分の心臓に刃物を突き刺して殺そうとしてくる者のために、愛の心をもって神に祈れる者があるでしょうか。」
 この伝道師の話、そしてその涙する愛の心に打たれ、長野さんは教会に行き、受洗されたとのことです。
 私も長野さんと同じく、同じ天の神様がお造り下さった人間の一人。私は、現代日本における二大宗教を脱会後、これらの真理、また真実世に起こったこの尊い出来事を知り、身も心もリバイバルできました。
 そして、もう一つの転機は、昨年の末、鈴木啓之牧師と出会えたことです。
 先生は、昔は極道者でした。三本の指をつめた、大阪きってのヤクザでした。その回心記は、「親分はイエス様」という映画となりましたから、ご覧になった方も多いかと思います。
 私ははからずも、鈴木先生から直接、お話を聞くことができました。背中から両腕に、まぶしいくらいの入れ墨があります。
 三人のヤクザ者が悔い改めて、某教会の中で、三人とも涙ながらに信仰告白をやったそうです。
 鈴木牧師の涙で語る真実のその姿の向こう側に、私は偉大なる神の愛の光と、恵みを見ました。二〇〇〇年前、私たちを罪と滅びから救うために十字架上で犠牲となり、血潮を流されたイエス様の愛を見たのです。
 私の体がふるえ出し、その場にいることすら出来なくなりました。涙、涙で、ほおを濡らしたのです。七五歳になった私が初めて見た、初めて知った神様の愛! そして御恵み。
 あれほど自分がみくびっていたはずの聖書の一言一句が、心に染みわたってきました。
 申し訳ない、神様、私が今まで心の底から求めていた真実真理の神様は、あなたでした。この牧師の口から語られている愛の神様こそ、真の神様です。
 今日まで、あれほど教会や、そこに集うクリスチャンたちを嫌っていた私であるのに――。ああ私は、そうした自分の心に「愚か者」のレッテルを張り、過去の自分と別れました。


すべてが益に変えられ

 さらにつけ加えるなら、久保有政師との出会いです。
 鈴木牧師と年代は同じくらいの、人類救済の熱血漢。四五歳くらいの素晴らしい方です。
 レムナント出版を経営しており、聖書に関する書籍を発行している方です。高校時代に受洗して、日本を中心に世界を飛び回っては、秘めたる学説、数々の書籍を出版している先生です。
 この世の中で最も多いのは人の数であり、その中で最も少ないのも人です。人生の途上において己が出会った人によって、幸も不幸も人生の多くが決まります。
 私の場合、これら二人の先生との奇跡的な出会いの中に、目に見えない神様との出会いが秘められておりました。
 二〇歳の時から現在の年齢に達するまで、人生の問題集を自らが解き明かす中で、私はかつて創価学会や、幸福の科学にも身を置きました。そのこと自体は、幸いにして決して無駄ではありませんでした。
 なぜなら、学会の信仰の道においては、不惜身命、いかなる苦難にも耐え抜く、かの日蓮の雄々しい情熱を学ぶことができたからです。
 また幸福の科学においては、東京大学出身の大川隆法ご夫妻から、イエス・キリスト様こそ、天上界の十大天使の中で最高の霊力を持たれる「神の中の神」だと、教えられてきました。
 イエス・キリスト様のことは、今では聖書的な教えから理解しておりますが、イエス・キリスト様こそ最高の方であることは、じつは幸福の科学時代から教えられていたことなのです。
 こうして、いまや私は、偉大なる最高神である主イエス様の下僕となることができました。死に至るまで忠実に、不惜身命、学会で身につけた雄々しい情熱をもって、己の命を惜しまず信仰に励み、神と共に生き抜いていく所存です。


クリスチャンとなった
現在の小澤利夫さん。


不惜身命の伝道

 創価学会や、幸福の科学で経験したことの中には、なかなか文字にしにくいような事柄も、たくさんあります。イエス様は、
「さばくな、さばかれないためである」
 と言われましたので、そうしたことなどはすべて、神様におゆだねしたいと思います。また御言葉に、
 「あなたの隣人を自分のように愛しなさい」
 とありますから、つねに愛の心をもって、心に平安を保ちながら真実を伝えていきたいと思います。イエス様が十字架の死の直前に言われたあのお言葉、
 「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」
 の心に、今こそ立ち返りたいのです。
 聖書の御言葉に真っ向から反対する人々も、自分で何をしているのか、わかっていません。彼らが誤った偶像崇拝を良しとしていることを、かわいそうと思い、心に祈りながら、あたたかい伝道の手を差し伸べていくことが大切です。
 ややもすると私たちクリスチャンは、受洗したときのあの喜びを、歳月とともに忘れてはいないか。今こそ、私たちは神の霊に燃え、主イエスの恵みを伝えていきたい。
 主が二〇〇〇年前におとりになった言動や行動、それは迷える小羊である私たちに対する、天の神の恵みと愛です。聖言の中に、
 「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい」(Uテモ四・二)
 と。伝道が大事です。さらに聖言には、
 「みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません」(ヤコ一・二二)
 と述べられています。教会に礼拝式や学習会に参加して、天の神に祈り、聖書の学習をするだけだったら、信仰とは申されません。
 主の御言葉を心から伝えていく――その実践活動こそ、信仰心その誠の道であるのです。


棺の蓋の閉じる日まで

 長い人生の途上には、日本国に四季があるがごとく、冬の身を切られる寒さがあってこそ、やがてくる春の暖かさがわかります。人の心の立場の痛みを己が知らずして、真の愛は表現できません。
 己の苦しみを信によって乗り越えた時にこそ、本当の喜びや、他の人々の涙の痛みがわかってきます。
 所詮、私のような者には、かつて主が歩まれた救いのための尊い道を、一〇〇%理解することなどできません。しかしその茨の道を、主のあとから、迷うことなくついて行きます。
 苦しみや喜びを共にする人生こそ、大切ではないかと思っています。
 私は、正しいはずのキリスト教会が数え切れないほどの派閥に分かれていることを、悲しく思います。確かに、どこの分派であっても、聖書を信じ、三位一体の神を信じてはいますが、なぜに統一できないのか。
 純真な心で宗教の道を求め続けた私にとって、その派閥、分派を見て、本当に失望したことがあります。やっぱり、いずれの信仰の道も同一なのか?
 本当かウソか、カトリックでは三位一体の神に加え、マリヤ様も神のようにして礼拝しているとか、今もってその本意がわかりません。
 マリヤを「神の母」と呼び、神様を生んだ母だからといって彼女を神のようにして礼拝するようになってしまうと、その意味が私たちにはわからなくなってしまうのです。
 でも、いつまでもそのような事に悔やんでいても、いたしかたのないことです。せめてプロテスタント派は、いずれ大同団結して、事にあたっていく。異体同心の交わりこそ、大事と思います。
 考え方によっては、たくさんの派があれば、自分たちの好きな教会が自由に選定できて、いいんじゃないのという若者もいる。……そうかも。
 私は今、心静かに私の良心に従って決定した教会に参り、いくばくもない命ですが、棺のふたの閉じるその日まで神の下僕として、聖言の実践運動に仕えていく心です。
 今後とも、よろしく温かく導いてください。最後に、天なる主の恵みを心から感謝申し上げます。アーメン。(レムナント2001年12月号より)


 小澤さん(シロアムキリスト教会役員)は今、残された生涯をキリストの福音のあかしに用いていきたいと願っています。講演・あかし等ご依頼のかたは、教会のほうへ連絡をお願い致します。
 

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