日本にあった贖いの思想
1998年7月「聖書と日本フォーラム」(大阪)講演より一部抜粋
民間では、大祓(おおはら)いは、
人々の罪汚れをつけた人形(ひとがた)を、
神職(しんしょく)が川に流すなどのかたちで行なわれる。
(京都、賀茂別雷(かもわけいかづち)神社)
日本にあった贖(あがな)いの思想
日本には昔から、贖いの思想がありました。
日本の古神道(こしんとう)には、「大祓(おおはら)いの儀式」というものが伝わっています。これは日本の国の一切の罪汚れを払いやる儀式です。宮中や各地の神社などで、毎年六月三〇日と一二月三一日に行なわれます。
大祓いの儀式の時、天皇は麻の衣を着て紫宸殿(ししんでん)に来られます。麻の衣というのは、いわば囚人服、一番卑しい姿の服です。天皇が卑しい姿になって、大祓いのお祭りをなさる。
それが終われば、その衣は小さな舟に乗せて、当時都のあった京都から加茂川に流されました。そして大阪の浪波洲まで流れ、波の中に消えるまで見届けたものです。
そのときに、ある祝詞(のりと)が唱えられます。
どんな祝詞が唱えられるかといいますと、天皇家は高天原(たかまがはら)から天降って、豊葦原(とよあしはら)の瑞穂の国、日本列島を治めることになったけれども、国中にいろいろの罪が起きてくる。これはどうしても処分しなければならない。
ところが、この罪というものはしぶといもので、なかなか処分できるものではない。だから、ちゃんと日を決めて、天皇が国民のために大祭司となって贖いの儀式をする。
そして国民の一切の罪汚れをその麻の衣に託して、川に流して捨てるということをするわけです。そういう罪のしぶとさと、贖いの必要がその祝詞の中に述べられています。
「日本人には罪の観念がない」という人もいます。しかし、罪の観念は今の日本人には乏しいかも知れませんけれども、このように古代の日本人ははっきりと持っていたんです。
詩篇五一篇でダビデは罪の処分ということで非常に苦しんでいます。古代の日本人も、罪というものは煮ても焼いても簡単には処分できない、という認識を持っていました。それが大祓いの時に唱えられる祝詞の言葉からわかります。
古代の日本人は、罪の処分ということでいかに苦しんだか。罪というものは非常に消しがたい。そして古代の日本人は、罪の処分をきちんとしなければ新しい年を迎え得ないと思ったものです。
これは旧約聖書にある思想と同じです。レビ記に書かれてあるアザゼルのやぎの風習と同じですね。
アザゼルのやぎというのは、イスラエルの大祭司がやぎの頭に手を置いて、
「ああ神様、どうかイスラエルの民が犯しました罪、いわく言い難いような罪をどうかはるかかなたに追いやり、すべてを赦して下さい」
と祈ります。そしてそのやぎに民のすべての罪を背負わせて、見えない所まで引いていきます。そして地平線のかなたに、このアザゼルのやぎが消えていくのを見届けます。そうすると、
「ああ、私たちの罪は見えない所に運び込まれてしまった。これで神様も私たちの罪をご覧にならない。我々お互いも、過去に犯した罪をあばいてはならない。だから我々はもう滅びることはないんだ」
と感謝したのです。そういう儀式を毎年やりました。
アザゼルのやぎと同じような風習が、
日本にもあった。
今日のユダヤ人にはまた、タシュリックという風習があります。今はエルサレムの神殿がありませんので、彼らはアザゼルのやぎの代わりに、タシュリックというものを行ないます。
これは、小石をじっと握りしめています。自分の体温と小石が同じになるまで握っている。そして湖か川か海に行きます。そこで、今までのすべての罪を思い起こします。そのあと、ミカ書七章の、
「すべての罪を海の深みに投げ入れて下さい」
という御言葉が読まれます。そして思いっきり遠くに、その石を投げるのです。それはその石と共に罪が海の中に投げ入れられて、神の御前から遠ざけられると考えられたからです。
これは大祓いの思想と同じです。日本では流しびなということもしますけれども、みな同じ考えから来ています。アザゼルのやぎといい、タシュリックといい、大祓いといい、流しびなといい、みな同じ考えではありませんか。
そうであれば、日本人は本来、キリストの十字架の贖いを理解しやすい国民なのです。なぜ今まで、このことに気がつかなかったのでしょうか。
なぜ西洋のキリスト教が日本に根づかないか
日本に来る多くの宣教師は、日本の伝統・文化を否定して、その上にキリスト教信仰を植え付けようと努力してきました。また日本人の牧師や伝道者も、日本の伝統・文化を否定することが日本人にキリスト教信仰を植え付ける道だと、思ってこなかったでしょうか。
しかし、聖書に書いてあることというのは、むしろ日本の伝統や文化の上に立ってこそ、よく理解できるものがたくさんあるのです。日本の伝統や文化の上に立ってこそ、よりよく理解できる聖書の世界というものがあります。
多くの宣教師が日本に来ながら、なぜ日本にキリスト教が広まらないか。なぜ西洋のキリスト教が日本に根づかないか。私たちはその理由をとくと考えるべきです。
日本の文化・伝統を否定するようなキリスト教は、決して日本に根づきません。また、私たちは日本の文化・伝統を否定する必要もないのです。
なぜなら、日本の文化・伝統の中には、本当は聖書の真の教えを理解するための非常に肥沃(ひよく)な土壌が含まれているからです。
みなさん、日本の伝統を完成し、本当の意味で実現するものは何でしょうか。
それは聖書が私たちに教えている福音です。イエス・キリストの福音こそ、日本の伝統と文化を生かしつつ、かつ完成するものです。
神道と偶像崇拝
私たちはとかく、神社といえば「偶像崇拝だ」と言ってきました。
たしかに広い意味では、もし真の神以外のものを神とするなら、それは何でも偶像崇拝です。お金でも、欲望の実現でも、神以上にそれらを大切にするなら、それは偶像崇拝です。
しかし、狭い意味ではどうなんでしょうか。
神道は偶像崇拝だ、と簡単に決めつけるのも、西洋神学しか学んでこなかった伝道者がよく陥る過ちなのです。もちろん、今の神道が全く正しいと言うのではありませんよ。
けれども、たとえば仏教の寺に行ったら、たくさんの偶像があります。ブッダの形に彫った像を作って、それを拝んでいます。では、神社には神や神々の形に彫った像があるかというと、ありません。
神社の本殿には何が置いてあるかと言ったら、そこには鏡が置いてあったり、弊(ぬさ)が置いてあったりします。では神道の信者は、それらを神様そのものと考えているかというと、考えていません。
神道では、神様は目に見えないおかたと考えられているのです。ですから彼らは決して偶像を作りません。神社の本殿に置いてある鏡や弊は、そこが目に見えない神の霊が降臨する神聖な場所だということを示すために置かれているに過ぎないのです。
本殿に置いてある鏡や弊は、偶像として置かれているわけではないのです。昔、イスラエルの幕屋の中には、十戒の石の板、アロンの杖、マナの入った壺という三種の神器が置かれていました。
それらは偶像ではありませんでした。それらはそこが神の霊の降臨する神聖な場所であるということを示すために置かれていたのです。
神社の本殿に、鏡や弊が置かれるのも、それと同様の考えです。そこが目に見えない神の霊の降臨する場所と考えられているからです。
日本神道では、神は目に見えないお方と考えられているのです。もちろん、多神教に堕落しているとか、神道には様々な欠点はありますよ。
しかし、よく考えてみると、神道で決して偶像を作らないという一点を取ってみても、非常にイスラエルの宗教に似ているのです。こうした宗教というのは、じつは世界でもまれに見るものです。
ギリシャ神話でも、神々の形にかたどった様々な偶像を作ります。ゼウス神の偶像、アルテミス神やアフロディテ神の偶像などを作ります。インドのヒンドゥー教も偶像で満ちています。
しかし、日本の神道は昔から神や神々の形に彫った偶像というものを作りません。こう言いますと、ある方は、
「神社には、狛犬(こまいぬ)といって、ライオンのような動物が参道の両わきにすわっているではありませんか。あれは偶像ではないのですか」
というかもしれません。しかし、神道の信者はあれを神様とは思っていません。狛犬というのは、神社の守り役にすぎないのです。
古代イスラエルにおいても、エルサレムの神殿には、ライオンの像やレリーフがあったと旧約聖書に記されています。それらが偶像ではなかったのと同じです。狛犬は神社の守り役にすぎません。
ここにおいても、不思議なことに神社というのは、古代イスラエルの神殿によく似ているのです。
元伊勢・籠(この)神社の神宝・オキツ鏡(2100年前)
久保有政著(レムナント1998年10月号より)
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