聖書の数学―その驚異
聖書のゲマトリア
キリスト復活後、弟子たちが主のお言葉通りに
網をおろしてみると、「153匹」もの魚で網がいっぱいになった。
聖書のヨハネの福音書に、復活後の主イエスが弟子たちに命じて、ガリラヤ湖で網を張らせ、そのとき「153匹」の魚が網にかかった、と記されている。
「シモン・ペテロが彼らに言った。『私は漁に行く。』彼らは言った。『私たちもいっしょに行きましょう。』彼らは出かけて、小舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。・・・・
イエスは彼らに言われた。『舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。』そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。・・・・
シモン・ペテロは舟に上がって、網を陸地に引き上げた。それは百五十三匹の大きな魚でいっぱいであった。それほど多かったけれども、網は破れなかった」(ヨハ21・3〜11)。
イエスのご命令によって網をおろしてみると、「153匹」もの魚がかかったという。この数は、一見何の変哲もない数字に見えるが、この数字にはじつに深い意味が隠されているのである。
「153」は三角数
まず、「153」は、1〜17までの整数を全部足した数である。
1+2+3+4+5+6+7+8+9+10+11+12+13+14+15+16+17=153
こうした数は、「トライアングル・ナンバー」(triangle number)または、「三角数」と呼ばれている。
三角数は、1から始まり、3(1+2)、6(1+2+3)、10(1+2+3+4)・・・・と続く。153は17番目の三角数である。
三角数
(153は、17番目の三角数である)
読者はボーリングをやったことがあると思う。ボーリングのピンは第1列目にピンが1本あり、2列目に2本、3列目に3本、4列目に4本並んでいる。
合計10本であり、これら全体が三角形を作っている。この後ろに、もし5列目として5本並ばせれば計15本、6列目として6本並ばせれば計21本となる。
しかし、全体の形はつねに三角形のままである。「三角数」の名は、これに由来する。次ページの表1は、三角数を表にしたものである。
じつは聖書の中、また聖書に関連した数として、三角数がよく出てくる。次のものはみな三角数である。
●神は唯一──1
●神の三位一体──3
●神が天地創造のみわざをなされ た日数──6
●カナの結婚式でイエスは、6つ のかめに入った水を全部ぶどう 酒に変えられた(ヨハ2・6) ──6
●イエスは受難の予告から6日の 後に変貌された(マコ9・2)――6
●「主の祈り」は6つの願いから 成る――6
●神はモーセに「十戒」を与えら れた。──10
●聖書巻頭の言葉、創世記1・1 「はじめに神が天と地を創造さ れた」を構成するヘブル語の文 字数──28
●聖書の書物数──66
●ペンテコステの日に二階座敷に 集まっていた弟子達の数(使徒 1・15)──120
●難破した船でパウロと共に救わ れた人々の数(使徒27・36) ──276
●ノアの箱舟の長さ(創世6・15) ──300(キュビト)
●患難時代の独裁者「獣」を現わ す数(黙示13・18)──666
●創世記1・1のヘブル語を数字 に換算したもの(後述するゲマト リア)――2701
これらはみな三角数である。そして、今私たちが見ている「153」も、三角数なのである。
「153」の特殊性
153は、三角数の中でも非常に特別である。いや、すべての数の中でも、非常に特別な意味を持った数である。
数学者は、たとえば1 2 3 4というように、連続した整数をかける場合、これを4!というように書く。すると、
1!=1 = 1
2!=1×2 = 2
3!=1×2×3 = 6
4!=1×2×3×4 = 24
5!=1×2×3×4×5=120
であり、
1!+2!+3!+4!+5!=153
となる。このように153は、非常にまれな数であることがわかる。
また、153を逆さまに読んだ351も、153と同様、三角数なのである。351は26番目の三角数である。
表1 三角数
153は数の3分の1を代表する
さらに153に関し、次のような数学的操作を施してみよう。
●153の各桁の数値は1、5、3である。これら各桁の数を3乗して、たす。すると、どんな数が出てくるか。
153→(1の3乗)+(5の3乗)+(3の乗)
=(1×1×1)+(5×5×5)+(3×3×3)
=1+125+27
=153
つまり、各桁の数字を3乗して足すと、もとの153に戻る。この「3乗」というのは、本誌が「立方体化」と呼ぶことなのであるが、なぜこのような作業をするかという詳しいことは、後述する。
ただここでは、幕屋の至聖所が立方体であったことにも見られるように、立方体は重要な神的象徴であり、「3乗」というのはそれにかかわっている、ということだけを述べておきたい。
「各桁の数値を3乗して足す」という作業を153に施すと、もとの153に戻ると述べたが、では、各桁の数字を入れ替えた場合──135、513、351などの場合はどうだろうか。
135 → (1の3乗)+(3の3乗)+(5の3乗)=153
513 → (5の3乗)+(1の3乗)+(3の3乗)=153
351 → (3の3乗)+(5の3乗)+(1の3乗)=153
やはり、153になる。これはすぐ理解できるであろう。
じつは、各桁の数字を入れ替えた場合だけではない。どんな数であっても、それが3で割り切れる数であれば、この作業を施せば必ず153に帰結するのである。
何でもよいから、読者は、3で割り切れる数を何か頭に思い浮かべてほしい。たとえば、33は3で割り切れる。99、273、12、14万4000・・・・これらは、みな3で割り切れる数である。
例として、99でやってみよう。99に、先ほどの「各桁を3乗してたす」――立方体化という作業を、4回施してみる。
(1) 99 → (9の3乗)+(9の3乗)
=1458
(2) 1458 → (1の3乗)+(4の3乗)+(5の3乗)+(8の3乗)=
702
(3) 702 → (7の3乗)+(0の3乗)+(2の3乗) =
351
終 351 → (3の3乗)+(5の3乗)+(1の3乗) =
153
こうして、最終的な答えは必ず153になる。以後は、何度やっても153のままである。99だけではない。何でも153になる──3で割り切れる数なら。
たとえば、1080は3で割り切れる数だから、この作業を施すと153になる。途中の計算を省略して書くと、
1080→513→153
となる。そのほか375、2001、99999・・・・、たとえ何億という数であれ、どんな数でも3で割り切れる数であれば、この作業を施せば何回かの後に、必ず153に帰結する。
読者は電卓を出して、自分の思う数を思い浮かべて、これを確かめて欲しい。
「3で割り切れる数」ということは、じつは言い換えれば3つごとに153に帰結する数がある、ということである。つまり、すべての数の3分の1は、この作業を施すことによって必ず153に帰結する。
153は、すべての数の3分の1を代表するのである。
153は、復活後のイエスが弟子たちに網をおろさせて漁をさせたとき、網にかかった魚の数であった。かつてイエスは、弟子たちに言われた。
「あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」(マタ4・19)
網にかかった「153匹の魚」は、福音を信じて最終的に救われる人々を象徴していたのである。ゼカリヤ書にこう預言されている。
「全地はこうなる。──主の御告げ。──その3分の2は断たれ、死に絶え、3分の1がそこに残る。
わたしは、その3分の1を火の中に入れ、銀を練るように彼らを練り、金をためすように彼らをためす。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『これはわたしの民。』と言い、彼らは『主は私の神。』と言う」(13・8〜9)。
最終的に、神の救いに入る人々の数は、全人類の3分の1なのである。あとの3分の2は、神への信仰を拒むために、自分の罪の中で滅びるであろう。
「わたしについて来なさい。人間を取る漁師にしてあげよう」。
ガリラヤ湖畔(カペナウム)
ヨハネの黙示録を見てみても、第六のラッパの時に「人類の3分の1」が死ぬ、と記されている(9・15)。あと3分の1は、疫病や、地震、戦争、独裁者「獣」による災い、その他で死ぬであろう。そして生き残る人々──クリスチャンの数は、全人類の3分の1と思われる。
実際、今日全世界の人口に占めるクリスチャンの数は、約3分の1であると言われている。
弟子たちの網にかかった「153匹の魚」は、これを象徴する数だったのである。
「153」のゲマトリア
さらに、次のことも重要である。
クリスチャンたちは「神の子たち」である。「神の子たち」というヘブル語のゲマトリア――数値研究を調べてみると、153であることがわかる。
「ゲマトリア」というのは、ヘブル語ないしはギリシャ語のアルファベットのそれぞれを数字に換算して、そこに意味があるかどうかを調べる研究をいう。
ヘブル語やギリシャ語のアルファベットは、表2に示したように、同時に数字としても使われる。
表2a ギリシャ語アルファベットの数値
1. スティグマは、ギリシャ語アルファベットにはないが、
6として用いられる。シグマの語尾形に形が似ている。
2. コッパは、オミクロンの小文字と同じだが、
今のギリシャ語アルファベットにはない。
古い時代に90として用いられた。
3. サンプシィも、今のギリシャ語アルファベットにはないが、
古い時代に900を表す数字として用いられた。
ギリシャ語アルファベットの最後はオメガである。
表2b ヘブル語アルファベットの数値
ヘブル語アルファベットは22文字であり、タウが最後である。
だがカフ、メム、ヌン、ペー、ツァディの語尾形の文字を、
500以上の数値を表すものとして使用することがある。
たとえばペーの語尾形は、内容により80または800を表す。
旧約聖書ヨブ二・一で「神の子たち」と訳されたヘブル語の各アルファベットを、数字に換算し、それらを足すと、次のように153になる。
神の子たち (ムーヒロエハーニベ) ヘブル語と読みがなは右から読んで下さい
40+10+5+30+1+5+10+50+2
=153
また、同じくクリスチャンたちを表す「共同の相続人」(ロマ8・17)という言葉のゲマトリアも、153の倍数である。
共同の相続人
συγκληρονομοι(スグレロノモス)
200+400+3+20+30+8+100+70+50+70+40+70+10=1071
=153×7
=153+153+・・・・+153
それだけではない。「網」「魚」というギリシャ語のゲマトリアも、153の倍数である。
網 το δικτυον(トー ディクオン)
300+70+4+10+20+300+400+70+50=1224
=153×8
魚(複数) ιχθυεs(イクスース)
10+600+9+400+5+200=1224
=153×8
「網」も「魚」も、両方ともゲマトリアは153の8倍になっている。
この8という数字は、じつは非常に重要である。
8はイエスの数
「8」は、イエス・キリストに深く関連した数字なのである。なぜなら、「イエス」というギリシャ語のゲマトリアは888である。
イエス Ιησουs(イエスース)
10+8+200+70+400+200=888
ちなみに、888も3で割り切れる数であるから、先ほどの作業を施せば、153に帰結する。
「イエス」のギリシャ語ゲマトリアは、888である。
【ギリシャ正教会のイコン(聖画像)】
また、イザヤ52・10に、こう記されている。
「主はすべての国々の目の前に、聖なる御腕を現わした。地の果て果てもみな、私たちの神の救いを見る」。
この「私たちの神の救い」は、具体的にはイエス・キリストの救いをさしている。そして、「私たちの神の救い」のヘブル語ゲマトリアも、888である。
私たちの神の救い(ーヌヒロエ トアウシェイ)
6+50+10+5+30+1+400+70+6+300+10=888
しかもこのヘブル語は、「私たちの神のイェシュア」とも読める。イェシュアは、イエスのヘブル名である。メシヤニック・ジューは、イエスをイェシュアと呼ぶ。
さらに、ギリシャ語の「主」「キリスト」「救い主」「御子」「人の子」「神性」という言葉も、すべて8の倍数である。
主 Κυριοs(キュリオス)
20+400+100+10+70+200=800
=8×100
=8+8+・・・・+8
キリスト Χριστοs(クリストス)
600+100+10+200+300+70+200
=1480
=8×185
=8+8+・・・・+8
救い主 Σωτηρ(ゾーテール)
200+800+300+8+100=1408
=8×176
=8+8+・・・・+8
御子 Υιοs(フィオス)
400+10+70+200=680
=8×85
=8+8+・・・・+8
つまりギリシャ語では、「イエス」「キリスト」「主イエス」「主キリスト」「主イエス・キリスト」「救い主イエス」「御子イエス」など、それらすべてが8の倍数なのである。
「人の子」「神性」も、8の倍数である。
人の子 Υιοs(フィオス) Του(トー) Ανθρωπου(アンスロポー)
400+10+70+200+300+70+400+1+50+9+100+800+80+70+400
=8×370
=8+8+・・・・+8
神性 Θεοτηs(セオテース)
9+5+70+300+8+200=592
=8×74
=8+8+・・・・+8
また初期のキリスト者たちは、「キリスト」というギリシャ語を簡略化して、その最初と最後の文字だけをとり、Xsとも書いた。
キリスト(簡略形) Xs
600+200=800
これも、8の倍数であることがわかる。
8は救いとイエスを象徴する
じつは聖書では、8は救いを表す象徴数でもある。
●ノアの大洪水の時、箱舟に入った人々の数は、ノア夫妻、セム夫妻、ハム夫妻、ヤペテ夫妻の計8人であった(Tペテ3・20)。
●モーセは80歳のとき、出エジプトのために遣わされた。
●贖いの儀式は、8日目に行なわれた(レビ14・10)。
●キリストの先祖、ダビデ王は、エッサイの8番目の息子であった(Tサム17・12)
●イスラエルの民となる儀式である割礼は、生後8日目に行なわれた。
●過越の祭りと仮庵の祭りは7日間行なわれ、8日目は「きよめの集会」であった。
●イエスはエルサレム入場後8日目の日曜日に復活された。
●さらに、復活後8日目に、再び弟子たちの所に来られ、トマスに手とわき腹の傷をお見せになった。
●8年間、中風で床についていたアイネヤは、イエスの御名によっていやされた(使徒九・三三)
●復活の記事は、主イエスご自身と聖徒たちの復活以外でいうと、全聖書(旧新約)を通じて全部で8つ記されている。
旧約聖書に3つ(T列王17・22、U列王4・34〜35、13・21)、福音書に3つ(マタイ9・25、ルカ7・15、ヨハ11・44)、使徒の働きに2つ(9・40、20・12)。全部で8つである。
●ヨハネの福音書において、イエスの復活は、8番目の主要な奇跡である。
●「主なる神」というギリシャ語のゲマトリアも、8の倍数であり、しかも153と8をかけたものである。
主なる神
Ο Κυριοs Ο Θεοs(ホー キュリオス ホーセオス)
70+20+400+100+10+70+200+70+9+5+70+200=1224=153×8
●バビロンにおいて、ダニエルは獅子のいる穴において守られ、また彼の3人の友人も、猛火の燃える炉のただ中で守られた。彼らの名──「ダニエル
」「ハナヌヤ )「ミシャエル
」「アザルヤ
」(ダニ一・六)の4人のヘブル語ゲマトリアの合計は、888である。
つまり、イエスの御名のゲマトリアと同じである。これは彼らと共にイエスがおられたことを示す。
このように、8は救い、あるいは主イエスご自身に深くかかわった数字なのである。153は救われる人々を象徴し、8は、救い、あるいはイエスを象徴する。
8は、2の3乗である(2×2×2=8)。それは一辺の長さを2とする立方体の体積に等しい。
立方体は、後に述べるように神的な象徴である。 また2は、神学者が述べる三位一体の神の「第2位格」である御子イエスの2に関係している。
これについても後述する。
初代教会の魚のマーク
初代教会の人々は、自分たちがクリスチャンであることを示すために、しばしば魚のマーク( )を用いた。
その理由は、「魚」を表すギリシャ語イクスース(ΙΧΘΥΣ)の各文字が、それぞれ「イエス」「キリスト」「神の」「子」「救い主」という五つのギリシャ語の頭文字に相当する、ということであった。
イエス キリスト 神の 子 救い主
Ιησουs Χριστοs Θεου Υιοs Σωτηρ
(イエスース クリストス セウー フィオス ソーテール)
これらの言葉のうち、「イエス」「キリスト」「子」「救い主」という言葉のゲマトリアは、先に述べたように、すべて8の倍数である。
そして、これらの頭文字からなる「魚」であるが、その複数形のゲマトリアは、153×8である。
魚(複数) ιχθυεs(イクスース)
10+600+9+400+5+200=1224
=153×8
つまり「魚」は、救われる人々を象徴する153と、イエスの救いを象徴する8をかけ合わせたものなのである。
このように初代教会の人々が、魚を、クリスチャンであることのマークにしたことは、非常に意義深いことだったと理解される。
「魚」のギリシャ語ゲマトリアは、153×8である。
箱舟のゲマトリア
さて次に、ノアの箱舟について見てみよう。ノアの箱舟の長さは「300キュビト」であった(創世6・15)。キュビトとは、人の手のひじから中指の先までの長さをいい、約44センチである。
300(キュビト)というこの数字は、24番目の三角数である(1+2+3+・・・・+24=300)。
24は、8+8+8でもあり、8が3つ並んで、イエスに関連していることがわかる。私たちは、イエス・キリストという新しい箱舟によって救われるのである。
一方、箱舟の幅は「50キュビト」、高さは「30キュビト」であった(創世6・15)。つまり、箱舟の長さは、幅の6倍、高さの10倍であった。6、10は、やはり共に三角数である。
この箱舟の形は、じつは人間の体の形に深く関係している。
たとえばあなたが、床に仰向けになって水平に寝て、背泳ぎをする人のように腕を頭の上にまっすぐ伸ばしてみる。
すると、あなたの手の先から足のつま先までの長さは、あなたの肩幅の約6倍、また高さの約10倍になる。もっとも、あなたのお腹が出ていれば、10倍ではないだろうが・・・・。
箱舟の長さ・幅・高さの比は、人間の長さ・幅・厚みの比と、同じなのである。おそらく、人類の始祖アダムの持っていた肉体の長さ・幅・厚みの比は、ノアの箱舟の比と完璧に同じだったと想像される。
ここで、箱舟の容積を計算してみよう。
箱舟の容積=長さ×幅×高さ
=300×50×30
=450,000
=45×10000
ここに45という数字が出てきたが、これはアダムに深く関係した数値である。「アダム」というヘブル語のゲマトリアは、45なのである。
アダム (ムダア)
45=40+4+1
この45も、三角数である。
箱舟の容積は、このアダムの数値45を10000倍したものなのである。10000は、10の4乗である。10や100、1000、10000など、10の倍数はサイクル(繰り返し)、または完全な集合を意味している。
イエス・キリストは、終わりの時代に、私たち人間を完全に救う箱舟となられる。私たちはその箱舟に、彼への信仰によって入れられるのである。
神学者は、イエス・キリストを「第二のアダム」とも呼ぶ。第一のアダムは、罪と死をもたらし、第二のアダムは、義と命と救いをもたらされる。
イエス・キリストは、第二のアダムとも言える箱舟となって、私たちを罪と滅びから救って下さるのである。
また、300・50・30という箱舟の比は、タンカー級の巨大船にとって全く理想的な形である、ということも、今日では科学者たちによって明らかにされている。
船は、もし長すぎると、嵐の際などに大波の間で折れる危険がある。また短すぎると、揺れが激しくなる。これは、幅、高さについても同様に言える。
そこで、船には最も理想的な形というものがある。そこで現代の技術者は、大型船における理想的な形というものを研究した。
その結果、理想的な形は、長さ・幅・高さの比が300・50・30の場合だということがわかった。つまりノアの箱舟の形と同じである。
箱舟の容積の45×10000の「45」は、
アダムのヘブル語ゲマトリアに等しい。
箱舟がアララテ山に漂着したのは、第7月の17日であった。
数学的完全数と聖書的完全数
つぎに、数学的完全数と聖書的完全数について見てみよう。
そのため、まず28という数字を考えてみよう。
28は、7番目の三角数である(1+2+3+4+5+6+7=28)。
28はまた、次のような性質を持っている。
28を割り切れる数は、自身の数28以外に、1、2、4、7、14がある。これら、28を割り切ることのできる数を全部たしてみる。すると、その計はやはり28になる。
1+2+4+7+14=28
こうした性質を持っているものには、他に6がある。6を割り切れる数は、自身の数6以外に1、2、3がある。これらの数を全部たしてみる。すると、やはり6になる。
1+2+3=6
こうした数を、数学の上では完全数と呼ぶ。ここでいう完全数とは、自身を割り切ることのできる数を全部たすと、また同じ数に戻るものをいう。
こうした数は、非常にまれである。スーパー・コンピューターが45万5663桁の数字まで探した中でも、32個しか見つからなかった。
28と、6は、こうした意味での完全数である。また、1も完全数である。なぜなら1を割り切れる数は、1しかない。たすのは1しかないから、たした結果は1となり、1は完全数である。
つまり私たちはここで、数学的な完全数として、1、6、28の3つを得た。これら完全数はどれも、同時に三角数でもある。
1=1
6=1+2+3
28=1+2+3+4+5+6+7
じつは、数学的な完全数は、つねに三角数でもある。三角数でない数字に、数学的完全数は存在しない。
興味深いことに、完全数6からなる6、66、666は、そのいずれもが三角数である(ただし6666は違う)。6はこのように、最も基本的な数学的完全数と言ってもいい。
7の起源
さて、かつて神は6日にわたって創造のみわざをなされた後、7日目に休まれた。これが7日間の天地創造の週である。これをもとに、一週間が7日になった。7は、6と1の合計である。
7=6+1
7は、完全数6と完全数1とから成り立っているわけである。
そのため7は、聖書的完全数とされ、聖書中に非常によく出てくる。
7日目ごとの安息日、黙示録の7つの封印、7つのラッパ、7つの鉢、幕屋の7枝の燭台、そのほか、数多く出てくる。
また聖書冒頭の創世記1・1の御言葉は、ヘブル語では7つの単語から成る。
はじめに神が天と地を創造された
(ムーヒロエ ーラーバ トーシーレベ)
(ツレアハ トェデ ムイマヤシハ トエ)
またこの御言葉は、28のヘブル文字からなっている。28は数学的完全数である。28はまた、三角数の7番目でもある。
(ヘブル語は右から読む――ふりがなも)
この言葉は7単語、28文字から成る。7は創造の週の7である。
28は、数学的完全数であり、また7番目の三角数でもある。
そしてこの聖句全体のゲマトリアは、2701であり、これも三角数である。
12の起源
聖書にはまた、12という数字がよく出てくる。ヤコブの12人の息子、イスラエルの12部族、イエスの12弟子、新エルサレムの12の門・・・・。
この12という数字は何だろうか。それは数学的完全数6を二つたしたものである。
12=6×2
=6 + 6
6という完全数を、2つ合わせたものなのである。2は、三位一体の神の第2位格であるイエス・キリストの2である。
17の意味
さきに、153は、17番目の三角数であると述べた(1+2+3+・・・・+17=153)。
17も、聖書では特別な意味を持つ。
●ノアの箱舟がアララテ山に漂着したのは、ユダヤ暦第7月の「17日」であった(創世8・4)。つまり、新月(1日)から数えて17日目である。
●イスラエル民族の父祖ヤコブは、エジプトに移住してから、そこで「17年」生きた(創世47・28)
●ヤコブの子ヨセフは、17歳のときに、エジプトに連れられていった(創世37・2)。
●ローマ人への手紙8・35〜39において使徒パウロは、いかなるものも私たちをキリストの愛から引き離すことはできないということを述べるために、まず、
「患難、苦しみ、迫害、飢え、裸、危険、剣」
の7つをあげ、つぎに、
「死、いのち、御使い、権威ある者、今あるもの、後にくるもの、力あるもの、高さ、深さ、そのほかのどんな被造物」
の10の例をあげている。合計17である。
17は、完全数1、完全数6、また後述する完全数10の合計である。
40の起源
聖書にはまた、40という数字がよく出てくる。
イスラエル民族の荒野の40年間の流浪、イエスの40日にわたる荒野の断食、ノアの大洪水の際の40日の大雨、モーセが十戒を受けるまで40日間シナイの山中にいたことなど。ほかにも数多く出てくる。
40は、完全数28と12の合計である。
40=28+12
=28+6+6
40はまた、完全数28+完全数6+完全数6というように、3つの完全数の合計としても説明される。
ここで3は、神学者がいう三位一体の神の「第3位格」である聖霊の3である。なぜなら40は、聖霊によって取り扱われる期間だからである。
10の起源
聖書には、10という数字がよく出てくる。
10戒の石の板、イスラエル民族の出エジプトの際エジプトに下った10の災い、大贖罪日は第7月の10日だったこと。・・・・
10は、聖書的完全数の拡張としても、しばしば現われる。40の10倍である「400」、7の10倍である「70」、12の10倍である「120」や「1200」「12000」など。
10は、4番目の三角数である(1+2+3+4=10)。
そればかりか、それ以前の3つの三角数の合計にも等しい(1+3+6=10)。つまり10は、最初の三角数1、および2番目の三角数3、それに3番目の三角数6の合計とも一致する。
自身が三角数であるだけでなく、自身の前の三角数を合計したものにも等しいという、言ってみれば"二重の三角数"であるのが、10なのである。
このような数は、すべての数の中で、ただ一つ、10しかない。ほかの数字は一切、このような性質を持っていない。
その意味で10は特別であり、聖書的完全数、また聖書的完全数の拡張として用いられるのである。
3乗の意味
先に、2は三位一体の第2位格であるかた(イエス)の2、また3は第3位格(聖霊)の3であると述べたが、その理由を説明しておきたい。
神学者は、三位一体の神における御父を「第1位格」、御子キリストを「第2位格」、御霊を「第3位格」と呼ぶ。これは、ゲマトリアの面からも、意味のないことではない。
第1、第2、第3位格というのは、能力や本質においてその間に差があるということではなく、三位一体の神における順位、または序列を意味している(ヘンリー・シーセン『組織神学』聖書図書刊行会、241ページ)。
御子は御父から出た方であり、御霊は御父と御子から出た方である。1、2、3は、そうした意味での順位、または序列なのである。
三位一体論は、三位の神が「一体」だという教えであるが、三位の間に区別がないという教えではない。「三位一体とは、一つの神の本質のうちに、父、子、御霊としてそれぞれ知られている三つの永遠の区別があるということである」(ヘンリー・シーセン)。
御子キリストの位格数2について見てみると、2の3乗は8であり(2×2×2=8)、8は先に述べたように、イエスご自身(の救い)を象徴する。イエスのゲマトリアが888であることは、すでに見た。
同様に、3の3乗である27(3×3×3=27)は、聖霊に深く関係した数である。なぜなら、「聖霊」というギリシャ語のゲマトリアは、27の倍数になっている。
聖霊
Το(トー) Αγιον(ハギオン) Πνευμα(プニューマ)
300+70+1+3+10+70+50+80+50+5+400+40+1
=1080
=27×40
「聖霊」のゲマトリアは1080であり、これは27の40倍になっている。40は、先ほど見た聖霊のみわざに関係した聖書的完全数である。27、すなわち3の3乗=27が、聖霊に関する基本的数字である。
聖霊は、聖書でしばしば「息」にたとえられている。人間が一時間に息をする呼吸の回数は、おそらく偶然だろうが、平均1080回である(試してみるとよい)。
また、聖霊の1080という数は、888と同様、3で割り切れる数であるから、各桁の数字を3乗してたすという先に述べた作業を施すと、やはり153に帰結する。153は、神に属する数なのである。
一方、三位一体の第1位格である父なる神を象徴する数は1である。
1は、父なる神に深く関連している。神は唯一である。万物は神から出、神によって成り、神に帰する。神は全一であられる。
1の3乗は1であり、三位一体の第一位格である方(御父)を表す。また2の3乗は8であり、三位一体の第2位格である方(御子イエス)を表す。そして3の3乗は27であり、三位一体の第3位格である方(聖霊)を象徴する。
1の3乗= 1(御父の象徴数)
2の3乗= 8(御子の象徴数)
3の3乗=27(御霊の象徴数)
そしてこれら3つの数の合計は、36である。
(1の3乗)+(2の3乗)+(3の3乗)=36
この36は、じつは8番目の三角数である(1+2+3+4+5+6+7+8=36)。三角数が、聖書においていかに重要な意味を持っているかがわかるであろう。
36はまた、数学的完全数6を二回かけたものでもある(6×6=36)。36は、神的な聖数なのである。それは、これから見ていくように三位一体神を表す聖数である。
36はまた、3で割り切れる数であるから、各桁の数字を3乗してたすという先に述べた作業を繰り返せば、やはり153に帰結する。
ペンテコステの日の聖霊降臨を描いた絵。
そこに「120人」が集まっていた。「120」も三角数である。
「聖霊」のギリシャ語ゲマトリアは、
27の倍数、つまり3の3乗の倍数である。
神と立方体
36は、
36=(1の3乗)+(2の3乗)+(3の3乗)
であり、神の第1位格、第2位格、第3位格を合わせた三位一体神を象徴すると述べたが、なぜ「3乗」なのか。
立方体の体積を計算するとき、私たちは一辺の長さを3乗する。
空間は、縦と横と高さとから成る。縦と横と高さは、別のものではあっても、決して切り離せない一体のものである。同様に、三位の神――御父・御子・御霊は、互いに区別されるが、一体のおかたである。
聖書では、立方体は神の神殿と深くかかわっている。幕屋、および神殿において、その至聖所は立方体であった。
立方体は、じつは神的な御臨在を象徴する形である。神が立方体をしているという意味ではない。神は形なきおかたである。しかし霊的な意味で、立方体は神の御臨在を象徴する。
至聖所は立方体であった。
ユダヤの幕屋の至聖所は、立方体をしていた。幅も奥行きも高さも10キュビトの立方体であった(出エ26・31〜35)。したがってその容積は、10の3乗立方キュビトであった。
幕屋の至聖所(立方体)の容積
=10の3乗立方キュビト
10は、先ほど述べたように、言わば二重の意味の三角数である。10の3乗は、非常に神的な数なのである。
その後、ソロモン王の時代になって、ソロモンは幕屋の形をもとに、それをさらに大規模にした神殿を建造した。その至聖所の内部も立方体であったが、神殿全体では、次のような寸法であった。
「ソロモン王が主のために建設した神殿は、長さ60キュビト、幅20キュビト、高さ30キュビトであった」(T列王6・2)。
したがって、その総容積は、
60×20×30=36,000
= 36 ×10の3乗
=(1の3乗+2の3乗+3の3乗)×10の3乗
となる。これは、御子・御父・御霊を表す1、2、3のそれぞれを3乗した数の合計である「36」と、幕屋の至聖所の容積――「10の3乗」とを、かけ合わせたものとなっている。
36は三位一体の数、一方、10の3乗は至聖所の立方体に見られる神的な数である。
そしてこの3万6000立方キュビトという総容積も、3で割り切れる数であるから、各桁の数字の3乗をたすというあの作業を繰り返せば、やはり153に帰結するのである。
聖数36の意味
36の意味を、もう少し詳しく見てみよう。
聖書は、キリスト再臨の後、千年王国があり、そののち古い天地は過ぎ去って新天新地が創造されると、記している。この新天新地の中心は、神の住む「新エルサレム」である。
新エルサレムは、幕屋や神殿にあった至聖所と同じく、立方体の形をしている。ただし、巨大な立方体である。
「都は四角で、その長さと幅は同じである。彼がそのさおで都を計ると、1万2000スタディオンあった。長さも幅も高さも同じである」(黙示21・16)。
新エルサレムは「長さも幅も高さも同じ」であり、1万2000スタディオンずつの立方体なのである。その容積を計算してみると、それはやはり36の倍数である。
12000×12000×12000
=1,728,000,000,000
=36×48×1,000,000,000
ソロモン建造の神殿の総容積は、
幕屋の至聖所の容積の36倍であった。
ここに出てきた1728という数字は、36×48であり、36の倍数である。48は8の倍数である。
つまりこの都は、三位一体の神の神性によって貫かれ、そこにはイエスの救いに入った人々が住んでいることがわかる。
新エルサレムは、神が聖徒たちと共に住んで下さる都である。そこで「エルサレムの聖徒たち」というギリシャ語のゲマトリアを調べてみると、それもやはり36の倍数であり、同時に8の倍数である。
エルサレムの聖徒たち
Ιερουσαλημ(イェルーサレム) Αγιων(ハギオン)
10+5+100+70+400+200+1+30+8+40+1+3+10+800+50
=1728
=36×48=36×8×6
=36×(8+8+・・・・+8)
ここにも、1728という数が出てきた。これは三位一体聖数36の倍数であり、同時にイエスの数である8の倍数である。彼らクリスチャンのうちには、三位一体の神がおられる。
一方、「祭壇」というギリシャ語のゲマトリアも、1728であり、これは36、および8の倍数である。
祭壇
Το θυσιαστηριον(トー スシアステーリオン)
300+70+9+400+200+10+1+200+300+8+100+10+70+50
=1728
=36×48=36×8×6
=36×(8+8+・・・・+8)
新エルサレムは、新天新地における生ける「祭壇」なのである。
その数値1728は、やはり3で割り切れる数であるから、各桁の数字を3乗してたすというあの作業を繰り返して施すと、153に帰結する。
このように、三位一体聖数36と、イエスの数8は、神的なものに深くかかわっている。
また、「エルサレム」のギリシャ語ゲマトリアは36×24である。これは、36×(8+8+8)とも書き表せる。
「聖徒たち」のゲマトリアも、36×24、または36×(8+8+8)と書き表せる。
「聖徒たち」のギリシャ語ゲマトリアは、36×(8+8+8)である。
さらに、「神殿」、「神の群れ」(神に属する人々の群れ Tペテ5・2)のゲマトリアもすべて、36×(8+8+8)である。
神殿 Θεων(セオーン)
9+5+800+50
=864
=36×(8+8+8)
神の群れ
ποιμνιον(ポイムニオン) θεου(セウー)
80+70+10+40+50+10+70+50+
9+5+70+400
=864
=36×(8+8+8)
つまり、こうしたもののすべてが、三位一体聖数36と、イエスの8とで貫かれている。ほかにも、以下の聖句のギリシャ語のゲマトリアもすべて、36の倍数であり、同時に8の倍数である。
●「小羊とその花嫁の婚姻」(黙示19・7) 36×8×12
●「たくさんの人が東からも西からも来て、天の御国で、アブラハム、イサク、ヤコブといっしょに食卓につきます」(マタイ8・11) 36×8×30
●「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか」(Tコリ3・16) 36×8×12
●「民の贖いをなし」(ルカ1・68) 36×8×15
これらは、いずれも36の倍数であり、同時に8の倍数である。
そして、これらはいずれも3で割り切れる数であるから、やはり各桁の数字を3乗してたすというあの作業を繰り返して施せば、どれも153になる。
14万4000人
つぎに、14万4000、また144という数字について見てみよう。
144も、14万4000も、三位一体聖数36の倍数である(36×4=144)。
また144も、14万4000も、3で割り切れる数であるから、先の"3乗してたす"という作業を繰り返し施せば、やはり153に帰結する。
ヨハネの黙示録に出てくる14万4000や、144は、一体何を意味しているのだろうか。
黙示録7章では、14万4000人はイスラエル12部族の各部族から12000人ずつ選ばれた合計とされている。すなわち、
12000×12=144,000
である。このことから、14万4千人は、肉によるイスラエルの12部族であると解釈する人は少なくない。
しかし、この箇所だけから14万4000という数字を考えてしまうと、黙示録はわからなくなってしまうのである。
聖書は、全体から解釈しなければならない。14万4000、あるいは144という数字は、黙示録にもう一度出てくる。それは新エルサレムに関する記述である。
「彼がその城壁を計ると、人間の尺度で144ペーキュスあった。これが御使いの尺度でもあった」(黙示21・17)
また、新エルサレムには「12の門」があって、「イスラエルの子らの12部族の名が書いてあった」とも書かれている(黙示21・12、16)。それらの門には、ユダ、ルベン、ガド・・・・など、12部族の名前がそれぞれについているというのである。
では新エルサレムは、肉によるイスラエル民族だけの都であろうか。そうではない。それはあらゆる民族からなる、霊によるイスラエル民族の都である。にもかかわらず、その都には、「イスラエルの12部族の名が書いて」ある。
新エルサレムは、あらゆる民族からなるクリスチャンたちの都であるが、そこは象徴的にイスラエルの12部族の名が冠せられているのである。
さらに、新エルサレムは随所で、12000、144、14万4000の数字から成り立っている。
新エルサレムの一辺の長さは「12000スタディオン」である。新エルサレムは立方体だから、辺の数は12ある。12000の12倍は、14万4000である。
このように、「14万4000」は、新エルサレムの数字なのである。
また、先ほど見た「エルサレムの聖徒たち」のゲマトリア1728は、144の倍数である(1728=144×12)。
「神の群れ」(Tペテ5・2)のゲマトリア864も、144の倍数である(864=144×6)。
さらに、「選ばれた者」というギリシャ語ゲマトリアは、144に等しい。
選ばれた者(ロマ11・7)
η Εκλογη(ヘー エクレゲー)
8+5+20+30+70+3+8
=144
この「選ばれた者」とは、信仰を認められて神に選ばれた者――クリスチャンたちのことである。つまり144や、14万4000という数字は、じつは霊によるイスラエル=クリスチャンたちを示す象徴的ゲマトリアなのである。
144、または144,000は、クリスチャン
たちを示す象徴的ゲマトリアである。
(ローマ時代の迫害の中、ローマの円形競技場で最後の祈りを捧げる殉教者たち。J.L.ジェローム画)
聖書は、原則的にはできるだけそのままの意味に解釈すべきであるが、象徴と解釈すべき示唆が存在する場合は、象徴ととる必要がある。
イスラエル12部族から12000人ずつ選ばれた「14万4000人」という黙示録7章の記述は、このように肉によるイスラエルではなく、新エルサレムに入るべきすべてのクリスチャンたちをさす象徴であろう。
黙示録の記者ヨハネは、144がクリスチャンたち全員を示す象徴的ゲマトリアであることを、明らかに念頭に置いていたはずである。
さらに、聖書中最も有名なヨハネの福音書3章16節のゲマトリアは、いくつになるであろうか。これも、144の倍数である。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」
=144×95
この聖句全体のゲマトリアは、144の倍数なのである。
「(イエスの)信者」「(イエスに対する)信仰」「(イエスの)聖徒たち」「天の御国」などの言葉も、みな144の倍数である。
信者(Tテモ4・12)
πιστων(ピストーン)
80+10+200+300+800+50
=1440
=144×10
信仰(黙示14・12)
την πιστιν(テーン ピスティン)
300+8+50+80+10+200+300+10+50
=144×7
聖徒たち(黙示8・3)
Αγιων(ハギオン)
1+3+10+800+50
=144×6
天の御国(マタ3・2)
Βασιλεια των Ουρανων(パシレイア トーン オウラノーン)
2+1+200+10+30+5+10+1+300+800+50+70+400+100+1+50+800+50
=144×20
このように、144は肉によるイスラエルの数字ではなく、霊によるイスラエル、すなわち一般的クリスチャンをさす象徴的ゲマトリアであることが明らかになった。
また144は、三位一体聖数であり三角数でもある36の倍数であり(144=36×4)、三位の神を信じるすべてのクリス一体チャンたちを象徴するゲマトリアだということも理解される。
黙示録7章をみると、14万4000人の幻の後に、すぐ続けて、
「あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、誰にも数え切れぬほどの大勢の群衆」(7・9〜17)
すなわち、贖われたクリスチャンたちの幻が描かれている。なぜこの幻が、続けて記されているのか。
それは、多くの神学者も述べているように、「14万4000人」とこの「大群衆」とが、同一だからであろう。「大群衆」は実際の姿であり、14万4000人はその象徴的姿なのである。
「14万4千人」(黙示7:1―8)は、「大群衆」(7:9―17)の象徴的姿である。
(キリストの復活を描いたヴェネチア、聖マルコ寺院の壁画)
というのは、黙示録にはキリストの象徴的姿として「小羊」が、サタンの象徴的姿として「竜」が、独裁者の象徴的姿として「獣」が登場する。
これらをもし別々のものと考えたら、おかしなことになってしまうであろう。黙示録には常に、主要な登場人物に関しては実際の姿と、象徴的姿の両方が存在しているが、両者は同一なのである。
こうしたことを考え合わせれば、「14万4000人」は、"あらゆる民族からなる数え切れぬほど大勢の群衆"すなわち新エルサレムに入るべきすべてのクリスチャンたちの象徴的姿であるということが、わかってくるのである。
六芒星(ろくぼうせい)数
六芒星とは、ユダヤのマークである「ダビデの星」のことである。六芒星数は、小さな三角形(または点)をダビデの星の形に集めるときに現われる数をいう。
具体的には、次ページの図を見ていただきたい。小さな三角形(あるいは点)を集めてダビデの星の形にするとき、最小のものでは三角形を13個使う。
数学的には、1が六芒星数の最初とされ、13は2番目の六芒星数、3番目は37、4番目は73・・・・と続く。
このうち13は、サタンに深く関係し、37はイエス・キリストに深く関係している。それについて、これから詳しく見ていこう。
まず、37がイエス・キリストに関係する数字だということから始めよう。
ユダヤの「ダビデの星」
六芒星数37とイエス
私たちは「イエス」のギリシャ語のゲマトリアが888、「キリスト」は1480であることを見た。これらは両方とも、37の倍数である。
イエス Ιησουs(イエスース)
10+8+200+70+400+200
=888
=37×24=37×(8+8+8)
=37+37+・・・・+37
キリスト Χριστοs(クリストス)
600+100+10+200+300+70+200
=1480=37×40
=37×(8+8+・・・・+8)
=37+37+・・・・+37
また「神性」というギリシャ語のゲマトリアは592であって、やはり37の倍数である。
神性 Θεοτηs(セオテース)
9+5+70+300+8+200
=592
=37×16
=37+37+・・・・+37
ここで興味深い事実に注目しよう。「イエス」の888と、「神性」の592を足したものは、「キリスト」の1480になるのである。
イエス+神性=キリスト
888 + 592 = 1480
すなわち、人としての「イエス」に、神性が合体して、神からの救い主としての「キリスト」になっている。
また、「主なるキリスト」「神の御子」「人の子」「ダビデの子孫から」「キリストはダビデの子」という言葉も、すべて37の倍数である。
主なるキリスト
Τω Κυριω Χριστω(トー キュリオー クリストー)
300+800+20+400+100+10+800+600+100+10+200+300+800
=37×120
=37+37+・・・・+37
神の御子 Τη Υιου Του Θεου(テー ウイウー トゥー セウー)
300+8+400+10+70+400+300+70+400+9+5+70+400
=37×66
=37+37+・・・・+37
人の子 Υιοs Του Ανθρωπου(ウイオス トゥー アンスロプー)
400+10+70+200+300+70+400+1+50+9+100+800+80+70+400
=37×80
=37+37+・・・・+37
ダビデの子孫から οτι εκ τουσπερμ ατοs Δαυιδ
(ホティ エク トゥースペルム アトス ダウィド)
70+300+10+5+20+300+70+400+200+80+5+100+40+1+300+70+200+4+1+400+10+4
=37×70
=37+37+・・・・+37
キリストはダビデの子
τον Χριστον ειναι Δαυιδ υιον
(トン クリストン エイナイ ダウィド ウイオン)
300+70+50+600+100+10+200+300+70+50+5+10+50+1+10+4+1+400+10+4+400+10+70+50
=37×75
=37+37+・・・・+37
キリストに関するこれらの称号はみな、このように37の倍数である。
それだけではない。キリストの十字架上のご最期を述べた福音書の次の記述も、そのゲマトリアはすべて37の倍数である。
息を引き取られた(マタ27・50)
Αφηκε το πνευμα(アフェケ ト プニューマ)
1+500+8+20+5+300+70+80+50+5+400+40+1
=37×40
=37+37+・・・・+37
イエスは大声をあげて息を引き取られた(マコ15・37)
Ιησουs αφειs φωνην μεγαλην εξεπνευ(イエスース アフェイス フォーネーン メガレーン エクセプニューセ)
10+8+200+70+400+200+1+500+5+10+200+500+800+50+8+50+40+5+3+1+30+8+50+5+60+5+80+50+5+400+200+5
=37×107
=37+37+・・・・+37
霊をお渡しになった(ヨハ19・30)
Παρεδωκε το πνευμα(パレドーケ ト プニューマ)
80+1+100+5+4+800+20+5+300+70+80+50+5+400+40+1
=37×53
=37+37+・・・・+37
六芒星数(star number)――37は六芒星数である。
イエスキリストと真理
このように37は、キリストに深く関連した数字であることがわかる。
先に「イエス」は888、「キリスト」は1480であることを見た。両方とも37の倍数であるから、これらを合わせた「イエス・キリスト」=2368も、当然37の倍数である。それは37×64に等しい。
イエス・キリスト=2368
=37×64
ところで、ギリシャ語の「真理」という言葉のゲマトリアは、64である。
真理 Αληθεια(アレセイア)
1+30+8+9+5+10+1=64
つまり、真理の数値64に37をかけると、イエス・キリストの数値2368になるのである。
真理×37=イエス・キリスト
64×37 = 2368
イエス・キリストはまさに、真理の体現者であられる。
ところで、真理の64は、4の3乗に等しい(4×4×4=64)。
私たちは、1の3乗は父なる神の数字であり、2の3乗(=8)はイエスの数字であり、3の3乗(=27)は聖霊の数字であることを見た。そして4の3乗(=64)は真理の数字である。すなわち、
父なる神=1の3乗
イ エ ス=2の3乗
聖 霊=3の3乗
真 理=4の3乗
そしてこれら全部をたすと、
(1の3乗)+(2の3乗)+(3の3乗)+(4の3乗)=100
=10×10
となって、完全数10の2乗に等しいことがわかる。これは完全性の強調と理解できる。
現わされた真理と隠された真理
さらに、「真理」の64に関して、もう一つ興味深い事実を見てみよう。
64は、4の3乗に等しいが、これはつまり、一辺の長さを4とする立方体の体積に等しいということでもある。あるいは、一辺の長さを1とする小さな立方体を64個集め、大きな立方体を作ったと理解してもよい。
あなたが、この小さな立方体を64個集めて作った大きな立方体を、眺めてみる。そうすると、あなたはどんなにしても、その64個のうち37個しか、一度に目に入らない。
残りの27個は、常にあなたの視界から隠されている。見えている37個と、隠されている27個とで、合計64となり、これは「真理」のゲマトリアに等しい。
これは、「真理」というものの持つ側面を、私たちに教えているものと理解していい。すなわち、真理のすべては私たちには見えない。私たちに見えるのは、真理の一部分である。残りの部分は私たちの目から隠されている。
64個の小さな立方体からなる大きな立方体。
この64個のうち、一度に見えるのは37個だけである。
ここで、「神のかたち」というギリシャ語のゲマトリアを見てみよう。
神のかたち Εικων Θεου(エイコーン セウー)
5+10+20+800+50+9+5+70+400=1369
=37×37
これは、37を37個集めたものになっている。
神は、人を「神のかたち」に似せてお造りになった。またイエス・キリストは、神のかたちの完全な啓示である。「神のかたち」は、完全な神性のうち現わされた部分を象徴している。
一方、隠された部分についてはどうだろうか。「神の秘密」という言葉のゲマトリアについて調べてみる。
神の秘密 Ο Απορρητοs(ホ アポルレートス)
70+1+80+70+100+100+8+300+70+200=999
=37×27
これは、37を27個集めたものになっている。
このように、神性の現わされた部分(神のかたち)は37の37倍、一方、隠された「神の秘密」は27倍である。37と27の合計は64。
64は「真理」のゲマトリアであり、そのうちの37と27は、それぞれ真理の現わされた部分と、隠された部分とを現わしているのである。
さらに、「神のかたち」のゲマトリア1369と、「神の秘密」の999をたすと、2368になる。これは先に述べたように、「イエス・キリスト」のゲマトリアに等しい。
イエス・キリストは、現わされた「神のかたち」と、隠された「神の秘密」の双方を、合わせ持ったお方であられる。彼は「真理」の体現者なるお方だからである。
153と370の不思議
読者は、
"各桁の数字を3乗してたす"
という"立方体化"の作業をしたのを、覚えておられると思う。この作業を「イエス」の888に施すと、
イエス=888
888→(8の3乗)+(8の3乗)+(8の3乗)=1536
となるが、この1536に、また同じことを繰り返す。すると、6回目には153に帰結する。途中の計算を省略して答えだけ書くと、
888→1536→369→972→1080→513→153
この153は、先に見たように、この作業を施すと再び153になる数字であるから、以後は何度やっても153のままである。
153→(1の3乗)+(5の3乗)+(3の3乗)=153
一方、「キリスト」のゲマトリア1480にこの作業を施したら、何になるであろうか。
1480→(1の3乗)+(4の3乗)+(8の3乗)+(0の3乗)=577
この577にまた同じことを繰り返す。途中の計算を省略して書くと、
1480→577→811→514→190→730→370
というように、6回目に370になる。37と、0からなる数字である。
370は、"3乗してたす"という作業を施すと、再び370になる。
370→(3の3乗)+(7の3乗)+(0の3乗)=370
つまり、以後は何度やっても370のままである。このように、「イエス」のゲマトリア888は153に帰し、一方「キリスト」の1480は370に帰する。
両方とも、同じく6回目にその数になる。6は、前回見たように数学的完全数である。
イエス → 153
キリスト→ 370
ところで聖書には、7や、70という数字がよく出てくる。これは神のみわざやご計画の期間などに見られるものである。
7日間の創造の週、7日目ごとの安息日、7年ごとの安息年(レビ25・4)、ダニエル預言の「70週」(ダニ9・24)、バビロン捕囚の70年(紀元前586〜516年)前などである。
ここで、70という数字に"各桁の数値を3乗してたす"という立方体化の作業を施してみよう。
70→(7の3乗)+(0の3乗)=343
以後、この343に同じ作業を繰り返す。すると6回目には370に達する。
70→343→118→514→190→730→370
以後は、ずっと370のままである。これは70だけでなく、7で始めても同じである。やはり370に帰結する。
37、また370という数字は、このように神のみわざ、また神のみわざであるキリストに深く関係している。
六芒星数13とサタン
つぎに、13という六芒星数について見てみよう。
13は、ユダヤでは、もともと良い数字である。
ユダヤ人の男子は、13歳で元服式を行なう。またユダヤ教では、神の属性を13数えている(あわれみ深く、赦しに富み、怒るのに遅く、情け深く、親切であり、厳格で、忍耐強く、義なる、正しい、忠実な、恵み深い、まことに富む、良い御方)。
しかし、良いものを悪くするサタンは、もともと良い13という数字を、自分に用い、良いものを悪くしてしまった。
13は、聖書においては、しばしば"サタン""サタン的な事柄""反逆"等に深く関係した数字として現われる。「サタン」のギリシャ語ゲマトリアは、13の倍数である。
サタン Σαταναs(サタナス)
200+1+300+1+50+1+6=559
=13×43
=13+13+・・・・+13
ヘブル語の「サタン」も、13の倍数である。
サタン (ンタサハ)
50+9+300+5=364
=13×28
=13+13+・・・・+13
とくにこの13×28の「28」は、前回述べたように、6と同様に数学的完全数であることが注目される。
サタンを象徴的に言った「竜」(黙示12・9)という言葉も、13の倍数である。
竜 Δρακων(ドラコーン)
4+100+1+20+800+50=975
=13×75
=13+13+・・・・+13
おまけに、「竜」は新約聖書においてヨハネの黙示録だけに現われ、黙示録中13回使われている。
そのほか、「へび」「試みる者」「ベリアル」「人殺し」「ベルゼブルによって」「悪魔」など、サタンに関する呼称は、すべて13の倍数である。
(ヘブル語)へび (フラャシ)
800+200+300
=1300
=13+13+・・・・+13
「あらゆる野の獣のうちで、蛇が最も狡猾であった」(創世3・1)
314+418 +90+316 +20+363
=1521
=13×13×9
=13+13+・・・・+13
(ギリシャ語)へび Οφιs(オフィス)
70+500+10+200=780
=13×60
=13+13+・・・・+13
試みる者(マタイ4・3)
πειραζων(ペイラゾーン)
80+5+10+100+1+7+800+50
=1053
=13×81
=13+13+・・・・+13
ベリアル(サタンの別称 Uコリ6・15) Βελιαλ(ベリアル)
2+5+30+10+1+30=78
=13×6
=13+13+・・・・+13
人殺し (ヨハ8・44)
ανθρωποκτονοs(アンスロポクトノス)
1+50+9+100+800+80+70+20+300+70+50+70+200=1820
=13×140
=13+13+・・・・+13
ベルゼブルによって
(サタンの別称 ルカ11・15)
εν Βεελζεβουλ(エン ベルゼブル)
5+50+2+5+5+30+7+5+2+70+40+30=611
=13×47
=13+13+・・・・+13
悪魔
Διαββολοs(原型のつづり)
(ディアボロス)
4+10+1+2+2+70+30+70+6
=195
=13×15
=13+13+・・・・+13
そのほか聖書を調べてみると、単に単語だけでなく、サタンに関して述べた多くの文章や句の全体が、13の倍数になっている。とくに、黙示録12・9の次の言葉は、13×13×13である。
「悪魔とかサタンとか呼ばれた、あの古い蛇」=2197
=13×13×13
これは、13を"立方体化"したものに等しい。
「竜」「へび」「サタン」等のゲマトリアは、
すべて13の倍数である。13は六芒星数である。
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13は敵対や反逆の数字
先にヘブル語の「サタン」という言葉を見たが、これはもともと"敵対する者"という意味である。そのため、"敵対""反逆""離反"などに関して、13という数字が聖書によく現われる。創世記14・4に、
「彼らは12年間ケドルラオメルに仕えていたが、13年目にそむいた」
と記されている。謀反(むほん)は13年目に起こった。
またエステル記によると、アガグ人ハマンは、ユダヤ人虐殺計画を第一月の「13日」に立て(エス3・12)、その実行日を第12月の「13日」と定めた(同3・13)。
しかも、「アガグ人ハマン」のヘブル語ゲマトリアを調べてみると、13の倍数になっている。
アガグ人ハマン (ギガアハ ンマハ)
10+3+3+1+5+700+40+5=767
=13×59
=13+13+・・・・+13
ハマンの妻ゼレシュの名も13の倍数である。
ゼレシュ (ユシレゼ)
300+200+7=507
=13×39
=13+13+・・・・+13
おまけに、エステル記9・7〜9に記されているハマンの十人の子どもたちまでが、そのゲマトリアの合計が13の倍数になる(13×788)。つまりハマン一家全体のゲマトリアが、13の倍数なのである。
さらに、「反キリスト」のギリシャ語ゲマトリアも、13の倍数である。
反キリスト(Tヨハ2・22)
ο Αντιχριστοs(ホ アンティクリストス)
70+1+50+300+10+600+100+10+200+300+70+20=1911
=13×147
=13+13+・・・・+13
反キリストたち(Tヨハ2・18)
Αντιχριστι(アンティクリスティ)
1+50+300+10+600+100+10+200+300+70+10=1651
=13×127
=13+13+・・・・+13
患難時代中に現われる「獣」(独裁者)や、「獣」に関する次の言葉も、みな13の倍数である。
獣 Θηριον(黙示13・1)
(セーリオン)
9+8+100+10+70+50=247
=13×19
=13+13+・・・・+13
獣の刻印(黙示16・2)
το χαραγμα του Θηριου
(ト カラグマ トゥー セーリオン)
300+70+600+1+100+1+3+40+1+300+70+400+9+8+100+10+70+400=2483
=13×191
=13+13+・・・・+13
獣の数字(黙示13・18)
τον αριθμον του Θηριου
(トン アリスモン トゥー セーリオン)
300+70+50+1+100+10+9+40+70+50+300+70+400+9+8+100+10+70+400=2067
=13×159
=13+13+・・・・+13
背教(Uテサ2・3)
η αποστασια(ヘ アポスタシア)
8+1+80+70+200+300+1+200+10+1=871
=13×67
=13+13+・・・・+13
また千年王国後の背教者たち「ゴグ」の名も(黙示20・8)、13の倍数である。
ゴグ Γωγ(ゴグ)
3+800+3=806
=13×62
=13+13+・・・・+13
ここで、誤解のないように一言つけ加えておきたい。西欧では「13日の金曜日」は不吉な日として嫌われてきた。これはキリストの十字架の日と理解されているかも知れないが、じつはキリストの十字架死の日は、13日ではなかった。
それは西暦30年4月7日だったと言われている。ユダヤ暦でも、それはニサンの月の14日であった。「13日の金曜日」が十字架の日とするのは俗信であり、間違いなのである。
キリストの十字架の日は、不吉な日であるどころか、神の恵みに満ちた贖いの日であり、勝利の日なのである。
ただ「13」という数字を不吉な数とする感覚は、あながち間違いではないとは言える。しかし、私たちはキリストの贖いの力によって、一切の不吉なものを追い払うことができるのである。
六芒星数と14万4000人
私たちは六芒星数13、また37について見たが、六芒星数をその後も見ていくと、156番目に、14万5081という数字が現われる(n番目の六芒星数=6n2-6n+1)。
この14万5081は、14万4000に、1080と、1をプラスしたものである。
145,081=144,000+1,080+1
14万4000は、8で割り切れる数である(8×18000)。8は、前回述べたようにイエス・キリストに関係する数字であるから、14万4000はクリスチャンたちである。
8は、2の3乗である。2は、前回述べたように、三位一体の第2位格の2である。
一方、1080は、前回述べたように「聖霊」のゲマトリアに等しい。
聖霊
Το Αγιον Πνευμα(ト ハギオン プニューマ)
300+70+1+3+10+70+50+80+50+5+400+40+1=1080
この1080は27の倍数である(1080=27×40)。27は、3の3乗である。3は、三位一体の第3位格の3である。
最後の1は、父なる神の1である。1は、1の3乗にも等しい。この1は、三位一体の第1位格の1である。
これら14万4000(キリスト信者たち)、1080(聖霊)、1(父なる神)を合わせると、六芒星数14万5081になる。
この数はまさに、三位一体の神が患難時代の聖徒たち――「14万4000人」と共におられることを、象徴している。
14万4000人は、三位一体の神と合わさって、巨大なダビデの星の形になっているわけである。
患難時代のキリスト者達、聖霊、父なる神を象徴する数をたすと、
ダビデの星の形の数(六芒星数)になる。
神の六芒星数は1に帰する
私たちは今まで、六芒星数として、13、37、そして14万5081を見てきた。このうち13はサタンの数であるが、37と14万5081は神に属する聖数である。
ここで37と、14万5081という聖数の、各桁の数値をよく見てみよう。
各桁の数字をすべてたしてみる。たとえば37は、各桁の数字は3と7だから、3+7を考えると10である。この1と0をまたたすと、最後には1になる。
同様に14万5081も、各桁の数値をすべてたしてみる。すると、1+4+5+0+8+1=19であるが、さらに1+9=10、最後に1+0=1となる。このようにやはり、父なる神の数1に帰する。
しかし、13はそうではない。13は1にはならない。それはサタンを象徴する数だからである。
じつはすべての六芒星数において、このように最後に1に帰する数と、13(さらに1と3をたせば4)に帰する数の、2種類しかないことが知られている。
六芒星数は、各桁の数値をたすという計算を繰り返すと、
必ず1、または13(ないし4)に帰する。
(例:793の場合――7+9+3=19 この19に対し1+9=10 そしてこの10に対し1+0=1)
聖書の最初と最後の句のゲマトリア
もう一つ、六芒星数に関して、興味深い事実を見ておこう。それは聖書の最初と最後の聖句のゲマトリアである。
聖書巻頭の言葉――創世記1・1のヘブル語ゲマトリア、および聖書最後のヨハネ黙示録22・21のギリシャ語ゲマトリアは、ともに37の倍数になっている。37は、私たちが今まで見てきた六芒星数である。
創世記1・1
「初めに神が天と地を創造された」
(2+200+1+300+10+400)+(2+200+1)+(1+30+5+10+40)+(1+400)+(5+300+40+10+40)+(6+1+400)+(5+1+200+90)
=2701
=37×73
2701は、37×73に等しい。しかも、37と73は、両方とも六芒星数である。
それだけではない。じつは2701は、73番目の三角数でもある。
1+2+3+・・・・+73=2701
このように創世記1・1は、じつに神的な聖句である。では、聖書の最後の聖句はどうだろうか。
ヨハネの黙示録22・21
「主イエスの恵みがすべての者と共にあるように。アーメン」。
Η χαριs του Κυριου ημων Ιησου Χρισ
παντων υμων Αμην
8+(600+1+100+10+200)+(300+90+400)+(20+400+100+10+70+400)+(8+40+800+50)+(200+300+70+400)+(40+5+300+1)+(80+1+50+300+10+8+200+70+400)+(600+100+10+800+50)+(400+40+800+50)+(1+40+8+50)=8991
=37×243
=37+37+・・・・+37
聖書の最後の句のゲマトリア8991もまた、37の倍数である。六芒星数37は、このように全聖書に深くかかわっている。
さらに、聖書の最初の句の2701、最後の句の8991、また37、イエスの888は、互いに次のような不思議な相関互関係にある。
2701= 888+ 888+ 888 + 37
8991=2701+2701+2701 +888
8991= 37 +37 +37+(888×10)
イエス(ゲマトリア888)は、聖書の最初の句にも、最後の句にも深くかかわっているのである。
「わたし(キリスト)はアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである」(黙示22・13)
[参考文献]
The Pattern & The Prophecy, James Harrison, Issaiah
Publications, USA.&CANADA
久保有政著(レムナント1998年3,4月号より)
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