キリスト教

日本的精神とキリスト教
日本人にとっての「旧約」と「新約」。
(使徒の働き 17:22〜31)


西郷隆盛。
「天は人も我も同一に愛し給(たも)うゆえ、
我を愛する心をもって人を愛するなり」


 昔ギリシャの国で、自然災害が続いたことがありました。人々はそのために苦しみ、もだえました。
 人々は、ギリシャの神々に祈祷をささげました。しかし、災害はやみませんでした。
 ギリシャの有名な神々の祭壇の前で、人々は一つ一つ、拝み残しがないように全部拝んでまわりました。それでも、災害はやみませんでした。
 そこで、ある人がいいました。
 「もしかしたら、私たちの知らない神がおられるのかも知れない。『知られない神に』と刻んだ祭壇をつくって、その前で祈祷を捧げよう。そうすれば、もしかしたら災害がやむかも知れない」。
 それで彼らは、ギリシャの首都アテネに、「知られない神に」と刻んだ祭壇をつくりました。その前でひれ伏して拝み、祈祷を捧げました。
 すると、災害はやんだのです。
 それからしばらく時代がたって、イエス・キリストの使徒パウロが、キリストの福音をたずさえて、アテネにやって来ました。彼は町の中を歩き、アテネの人々が拝んでいるものを見て回りました。
 すると、その中に「知られない神に」と刻まれた祭壇を見つけました。パウロは、人々に語り始めました。
 「アテネの人たち。あらゆる点から見て、私はあなたがたを宗教心にあつい方々と見ております。
 私が道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られない神に』と刻まれた祭壇があるのを見つけました。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう」(使徒一七・二二〜二三)
 みなさん、この「『知られない神に』と刻まれた祭壇」は、単にギリシャにだけあるのではありません。
 この日本にも、それと同様のものがあります。日本人にとっての「『知られない神に』と刻まれた祭壇」とは、いったい何でしょうか。


「何事のおわしますかは知らねども」

 それは仏教であり、また神道であり、古来の日本の伝統です。日本人は昔から仏教を通し、また神道を通し、また古来の日本の伝統を通して、「知られない神」を拝んできました。
 昔、一二世紀に、西行法師(さいぎょうほうし)という仏教のお坊さんが、伊勢神宮に参拝して、
 「何事のおわしますかは
  知らねども
  かたじけなさに涙こぼるる」
 とうたいました。そこにどんなことがあり、どなたがおられるのかはわからない。が、ともかく、ありがたさと、恐れかしこむ気持ちで一杯になって、涙がこぼれてしようがないと、うたったのです。
 仏教のお坊さんが、神道の神社に来て、このような気持ちになったというのです。それはまさに、「知られない神」に対する崇敬の気持ちでした。
 日本人は昔から、「知られない神」を拝んできました。神を拝んできたものの、その「神」がどういうお方なのか、よくわからないまま拝んできたのです。
 また明治時代に、西郷隆盛は、
 「天は人も我も同一に愛し給うゆえ、我を愛する心をもって人を愛するなり」
 と言いました。「天」は、他の人も私も同じように愛して下さっている。だから、自分を愛する心をもって、他の人をも愛するのだと。
 聖書の「あなた自身のようにあなたの隣人を愛せよ」が、ここにあります。この西郷隆盛の言葉には、おそらくキリスト教の影響があったのだと思いますが、彼は「天は・・・・」と言いました。
 クリスチャンなら「神は人も我も同一に愛し給うゆえ」と言うところを、彼は「天は人も我も同一に愛し給うゆえ」と言いました。「天」という、漠然とした言葉になっているのです。
 西郷隆盛はまた、「敬天愛人(けいてんあいじん)」と言いました。「天を敬い、人を愛すること」こそが、人間の生きる道なのだと。そして、「文明とは仁愛の道が広く行なわれることである」とも。
 ここでも、「天」という漠然とした言葉になっています。自分の拝んでいるお方が、まだ、ぼやけているのです。それはまだ「知られない神」なのです。


西郷隆盛書「敬天愛人」

 とはいえ、こうした言葉から私たちは、日本人は本来、非常に宗教的な民族であるということを知ります。
 日本人は古くから、神を尊び、祈る民でした。大義のためには自分を捧げることを厭(いと)いませんでした。西郷隆盛も、
 「身は君恩に答えて一死軽し」
 と言いました。主君のためには、自分の一身を捧げて死ぬのも軽いとしたのです。主君だけではありません。明治維新という国家の大義のためには、己を捨て、死を賭して、事にあたりました。
 西郷隆盛は、
 「人を相手にせず、天を相手にせよ」
 とも言いました。彼は「天」のためには、自分の命をかけたのです。明治天皇も、こんな和歌を残しています。
 「目に見えぬ神の心に通うこそ
  人の心の誠なりけれ」。
 この和歌など、まさしくクリスチャン的な感覚にも、ぴったりするものではありませんか。


明治天皇
「目に見えぬ神の心に通うこそ人の心の誠なりけれ」



日本人の精神性の高さ

 私たちは、こうした日本人の精神性を無視してはいけません。
 ザビエル以来、また明治以降には多くのプロテスタント教派が、西洋まわりで日本に入ってきました。それなのに、なぜそうした西洋まわりのキリスト教が、今日の日本に根づいていないのでしょうか。
 それはそうした西洋まわりのキリスト教は、日本人の精神性を無視して伝道しようとしたからです。日本人は愚かな偶像崇拝の民、あるいは無神論の民、精神性の低い民というような発想では、決して日本人に対する適切な伝道はできません。
 かつて内村鑑三は言いました。
 「外国伝来の教会のキリスト教では駄目である。神ご自身が日本人の中より起こし給いしキリスト教でなければ駄目である」
 と。日本人の精神性を理解し、それを尊重した上での伝道でなければ、決して大きな実をならすことはできないでしょう。新渡戸稲造(にとべいなぞう)もこう言っています。
 「日本におけるキリスト教伝道事業失敗の一原因は、宣教師の大半が日本の歴史に全く無知なためである」(武士道)
 宣教師の多くは、日本の歴史や伝統を否定することがキリスト教であるかのように、教えてこなかったでしょうか。私たちも、キリスト教信仰を持つためには日本の過去の伝統や精神性を否定する必要があるかのように、思ってこなかったでしょうか。
 しかし、そうではないのです。キリスト教信仰は、日本の歴史・伝統・精神性を否定するものではなく、むしろ完成するものです。それは日本人の心に連綿と続いてきた特別な精神性を包容し、純化し、完成するものです。
 日本人は古くから、玄妙な神霊の存在をありありと感じ、崇敬の心をもって神を拝し祈る民でした。神武天皇をはじめ、日本の歴代の天皇は、神を尊び、神を第一とする心を持っていました。
 それは、古事記や日本書紀にも見るとおりです。これは未開な社会での幼稚な宗教感情と笑うべきものではありません。
 「知られない神」ではあっても、神を尊び敬う気持ちは、人間にとって非常に大切なものです。神を畏れ、神を愛する心のない所には、真の宗教もありません。
 日本人は、「神」をどうとらえ、どのような心をもって「神」を愛してきたのでしょうか。ここに何人かの代表的日本人を取り上げ、彼らの信仰について見てみましょう。


内村鑑三(前列中央)と門下生。1910年



二宮尊徳の「天」

 まず、江戸時代後期の代表的日本人、二宮尊徳(にのみやそんとく)、またの名を二宮金次郎を見てみましょう。彼が日本人に与えた影響には、はかり知れないものがあります。
 二宮尊徳の名は、今日の日本人の間ではほとんど口にされることがありません。しかし、ロシアなどでは今でも、西郷隆盛と二宮尊徳の名は、人々が見習うべき大偉人として語り継がれているといいます。
 二宮尊徳は、非常に貧しい農民の家に生まれました。彼は家の作業を手伝うために、朝から夜遅くまで働きました。
 しかし、働くだけで、字も読めない人間にはなりたくないと考えた彼は、仕事の合間に、また薪を運ぶときに、または仕事が終わったあとに、本を読みました。
 彼は深夜、油に火をつけて、その明かりで勉強しました。しかし、叔父は彼のその姿を見て、
 「貴重な油をそんなに使うとは何事だ! 勉強などして何の役に立つものか!」
 と激しく叱りました。当時は、農民には勉強などいらない、と考えられていたのです。
 二宮尊徳は、そのために勉強を一時中止し、川の堤防の上に持ち主のないわずかな土地を見つけて、それを開墾。そこに油菜(あぶらな)のタネをまきました。
 彼は休日のすべてを、その栽培のために捧げました。一年の終わりには、大俵一俵のタネを得ることができました。
 それは彼の正直な労働への報いとして、「自然」が与えてくれたものでした。彼はその油菜のタネを製油場に持っていって、数升の油と取り替えてもらいました。
 こうして今こそ、叔父に面倒をかけることなく、自分の勉強を開始できるようになったのです。彼の喜びは言いようもないものでした。
 このようにして彼は、「自然」は人の正直な勤労に対して真実に答えてくれることを学んだのです。「自然」はその法則に従う者に対し、豊かな恵みをもって報いてくれるのです。
 二宮尊徳は、「天地を経文(きょうもん)とする」と言いました。天地自然は、最高の教科書となったのです。
 「音もなく、香もなく
 常に天地は
 見えざる経を繰り返しつつ」
 二宮尊徳のこの悟りは、その後の人生の大きな原動力となりました。彼は勤勉に働き、三四歳のときには四町歩あまりの地主となりました。
 また、その手腕を大名や幕府に買われて、貧しい農村の復興事業をまかされました。彼は次々に成果を上げていきました。彼は言いました。
 「誠を尽くして生きる所では、天地も共に動く」
 と。これは彼の信念だったのです。こうして、各地の農村を勤勉と「仁術(じんじゅつ)」とによって復興させ、繁栄をもたらした二宮尊徳は、「農民聖人」と称えられるに至ったのです。
 あるとき、農民のあいだに不満がつのり、どのようにしてもそれを抑えることができないことがありました。このとき二宮尊徳は、
 「天は、誠の心の足りない私を罰しておられるのだ」
 と言い、二一日間、遠くの寺(成田不動)にこもって断食をしました。それは民を導くために、なお多くの誠の心が与えられるようにとの祈りだったのです。
 このようなことは、ガンジーの生涯をも思い起こさせるものです。
 二宮尊徳のこの「天」への祈りは、いまだ「知られない神」へのものでした。しかしその神への誠の心は、古来、日本人の根底に流れる非常に鋭敏な精神性を表しているのです。


二宮尊徳。
「誠を尽くして生きる所では、天地も共に動く」



空海の信じたものに景教の影響

 つぎに、日本に「密教」をもたらした弘法大師・空海を見てみましょう。
 「密教」というのは、一応、仏教の一つと言われていますが、シャカの説いた本来の原始仏教とはだいぶ内容が違います。
 空海は九世紀の平安時代に、中国の唐にわたり、密教を学びました。しかし彼はこのとき、密教だけでなく、中国で景教(ネストリウス派キリスト教)にもふれています。
 景教というのは、ペルシャ方面からやって来たキリスト教です。景教徒たちは、中国で聖書や教理を漢文に訳して、ときの皇帝(太宗)にささげました。皇帝はそれを読んで大変感激し、
 「これほどの真理は、儒教にも仏教にもない。私自ら信じるから、全国民よ、私に学べ」
 と言ったのです。それで景教は、唐の時代にたいへん栄えました。中国の西安には、このときの様子を記した「景教流行碑」というものが立っています。
 また、日本の高野山、つまり空海の開いた山に、この景教流行碑のレプリカ(模造碑)が立てられています。これは、大乗仏教に対するキリスト教の影響を研究したゴルドン女史によるものです。


景教流行碑。
景教
(ネストリウス派キリスト教)は、
唐の時代に中国で流行した。

 空海が中国にわたっていた当時、そこには仏教の寺院だけでなく、景教寺院、ゾロアスター教寺院、道教寺院などが、軒を並べて建っていました。
 空海はこのような所にいたので、景教についても、かなりの知識を得ました。彼は景教徒の般若三蔵という人物と、かなりの議論を交えています。絶対者はシャカかイエスか、という議論を交えているのです。
 また学者によれば、空海は中国で「マタイの福音書」や十戒、その他のキリスト教文書も得たであろう、と言われています。
 以来、空海は表向きにはキリスト教徒にはならなかったものの、彼の思想の中には、キリスト教的なものが若干混入するようになりました。
 空海の信じた「密教」自体、じつは仏教の一つとはいうものの、キリスト教やペルシャの宗教の影響を受けて出来たものであることが明らかにされています。
 空海は中国で「灌頂(かんちょう)」を受けました。これは、頭から水をかける儀式で、キリスト教の洗礼です。
 また空海には、「遍照金剛(へんじょうこんごう)」という灌頂名が与えられました。「遍照」とは"広く照らす"の意味で、これはマタイ福音書五・一六の、
 「あなたがたの光を人々の前で輝かせ」
 の漢語からとったものだと言われています。
 密教ではまた、「大日如来(だいにちにょらい)」を信じています。これは宇宙の真ん中におられるという、光と慈愛に満ちた絶対者です。本来シャカの説いた仏教は無神論だったのですが、密教では、非常に有神論的になっているのです。
 また、空海は死が間近になったとき、弟子達にこう言いました。
 「悲しんではいけない。私は弥勒菩薩(みろくぼさつ)のそばに仕えるために死ぬが、五六億七千万年ののち、弥勒と共に再び地上に現われるであろう」
 と。弥勒というのは、未来に現われる救い主ですが、五六億七千万年後に現われると信じられています。――五、六、七と、続き数字だから覚えやすいでしょう。空海は、その弥勒の現われるときに、自分も復活すると言ったのです。
 これはまさに"キリストが再臨するときにクリスチャンは復活する"というキリスト教信仰と同じです。
 また、「ミロク」というもの自体、仏教研究家のゴルドン女史によれば、その思想的な起源は聖書のメシヤ思想だといいます。ヘブル語のメシヤが、インドではマイトレイヤとなり、中国ではミレフ、日本ではミロクとなったのです。
 このように空海は、表面上は「仏教徒」であったものの、その思想の根底にはキリスト教の影響も受けていました。
 しかし、キリスト教は全き形では彼の内に入っていなかったので、彼は純粋にキリスト教的になることはなかったのです。彼は混合宗教者でした。
 空海もまた、自分の拝んでいる対象がはっきりしていなかったのです。彼の信じたものもまた、「知られない神」でした。自分の仕えたお方を、彼は本当には理解していなかったのです。 
 今日の日本人もまた、空海と同じく、混合宗教的な性格から脱し得ていません。私たちに必要なのは、純粋な聖書の宗教なのです。


空海。
彼は中国で景教
(ネストリウス派キリスト教)にふれている。



親鸞の信じた無量寿、不可思議光の仏

 つぎに、親鸞についてはどうでしょうか。
 親鸞は一二世紀、鎌倉時代の仏教の僧侶で、浄土真宗の開祖です。
 親鸞は、煩悩また罪の意識に悩み続けたすえに、自分のような者は決して自力仏教では救われない、他力仏教によらなければならない、と悟りました。そして阿弥陀仏に頼る絶対他力の信仰に徹したのです。
 彼は浄土を信じました。これはキリスト教でいう天国に似ています。彼は阿弥陀仏という救い主を信じました。クリスチャンも、イエス・キリストという救い主を信じます。
 じつは阿弥陀仏のモデルは、イエス・キリストと言われています。阿弥陀仏は、「無量寿(むりょうじゅ)(永遠のいのち)と「不可思議光(ふかしぎこう)」という言葉で表されました。親鸞は、
 「永遠の生命なる如来に帰命(きみょう)せよ、不可思議な光に、合一せよ」(帰命無量寿如来、南無不可思議光)
 と説きました。これはヨハネ福音書一・四に、
 「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった」
 とあるのと同じ思想です。じつは阿弥陀仏思想というものは、紀元一〜二世紀にかけてできたもので、インドに伝道に来た使徒トマスに発するキリスト教の影響を受けていることが明らかにされています。仏教史学の権威アルティ氏は、
 「阿弥陀仏の教義は・・・・カシュミールやネパールに影響を与えたペルシャのゾロアスター教と、キリスト教に起因する」
 と述べています。阿弥陀仏は、キリスト教のメシヤの模倣なのです。
 ある意味では、阿弥陀仏の中に、キリストが隠されています。その阿弥陀仏を、親鸞が広めました。
 つまり、永遠の命であり、光である救い主という思想は、日本人にとっては本来、非常に親しみやすいものなのです。
 ただ、親鸞によってもたらされた教えは、純粋なキリスト教ではなく、キリスト教に影響された仏教に過ぎなかったために、日本人を真の神に導くものとはなりませんでした。
 いまだ不純物が多すぎるのです。彼の信じた救い主も、多くの不純物にまぎれて、「知られない神」となっていました。
 とはいうものの、阿弥陀仏の思想はキリスト教のメシヤ思想に似ているために、親鸞の信仰姿勢には非常にレベルの高いものが見られます。親鸞は言いました。
 「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」。
 善人が極楽往生をとげることができるなら、なおのこと悪人は極楽往生できる!
 普通なら反対に考えるかも知れませんが、宗教の世界は逆説的なのです。使徒パウロも、
 「罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました」(ロマ五・二〇)
 と言っています。自分を重い罪人と認める人ほど、神の恵みを受けて義と認められ、天国への往生をとげることができるのです。
 親鸞は、阿弥陀仏という救い主に対して、あれほど純粋な信仰を見せました。そうであれば、今日でも日本人は、本当の救い主イエス・キリストを知れば、どれほど純粋な信仰を見せることでしょう。
 日本人は、聖書の宗教を信じる民として、まことにふさわしい人々なのです。


親鸞。
彼の信じた阿弥陀仏の
ルーツの一つは、キリストである。



日蓮の信じた久遠実成の仏

 つぎに見たいのは、日蓮です。
 日蓮は、法華宗――別名・「日蓮宗」を始めた人です。仏教には念仏宗や、禅宗、その他がありますが、日蓮の宗派に限っては「日蓮宗」と、彼自身の名前をつけて呼ばれています。
 これは日蓮が、よほど個性の強い人物であったからです。現在の日本の巨大宗派・創価学会なども、日蓮の流れを汲むものです。
 日蓮は、一三世紀、鎌倉時代に忽然と現われ出た僧侶でした。彼は「法華経」こそ最高の真理と確信し、「南無妙法蓮華経」と題目を唱えました。
 これは"私は法華経に帰依します"の意味です。彼は人々に法華経を読み聞かせ、説き明かすとともに、ときに街頭に立って「辻説法」を行ないました。
 日蓮の路傍(ろぼう)伝道は、激しく、雄弁で、熱のこもったものでした。彼は自分を援助してくれる教団を、背後に持っていたわけではありません。彼は単独、誰にも頼らずに伝道を始めたのです。
 日蓮は他の宗派を激しく攻撃したので、訴えられ、多くの迫害の中を通りました。しかし彼の確信は揺るぐことなく、不屈の精神をもって切り開いていったのです。
 こう書くと、日蓮とはひどいカタブツのように思うかも知れませんが、実際は、非常に愛情細やかな人物でもありました。彼が男性あるいは女性の弟子たちに書き送った手紙などを読んでみると、その愛情の細やかさに、心を打たれます。
 だからこそ、あのように多くの弟子達が日蓮を慕って、彼についていったのです。
 彼は、一人の人間としてみた場合、非常に魅力のある人物です。キリスト者・内村鑑三も、彼について、
 「私たちは日蓮から、彼の教義にあらずとも、その信仰と勇気とを学ぶべきである」
 と書いています。
 日蓮の法華経信仰はまた、クリスチャンの聖書信仰にも比すべきものです。
 日蓮の法華経信仰は、法華経に記された言葉をそのまま受け取る信仰でした。日蓮はまさしく、"一書(いっしょ)の人"だったのです。
 日蓮は、法華経はシャカが最後に説いた最高の教えであると信じていました。しかし実際には、法華経はシャカが死んでから五、六百年以上もたって、インドの特殊な宗派の人々がつくった後世の創作であることが、今日では判明しています。
 しかも、その法華経の成立過程には、キリスト教の影響もあると指摘されています。インドの高名な宗教学者アーマンド・シャー博士は、キリストの使徒トマスの説く「永遠のキリスト」に対抗して、釈迦を聖人から「永遠の仏」に昇格させたのが法華経である、と言っています。
 法華経は、シャカを「久遠実成(くおんじつじょう)の仏」といって永遠の仏としますが、その思想などはキリスト教の「永遠のキリスト」の考えと同じなのです。
 つまり、法華経の中にキリストは隠されています。日蓮もまた、法華経を通し、はからずも「知られない神」を拝んでいたことになります。
 こうした教義の問題を別にすれば、日蓮は日本人の歴史の上で特筆すべき人物でしょう。内村鑑三はこう言っています。
 「私は、これ以上に独立なる人を、わが国の人の間に考えることはできない。実際、日蓮は独創と独立とによって、仏教を日本の宗教たらしめたのである。
 日蓮の宗派のみ、ひとり純粋に日本的である。他のすべての宗派は、その起源を、あるいはインドに、あるいは中国に、あるいは朝鮮の人々に持ったのである。・・・・
 彼は、受動的受容的な日本人の間にあって、一つの例外であった。・・・・争闘性を差し引いたところの日蓮は、われらの理想的宗教家である」(「代表的日本人」)
 と。他の仏教の僧侶が、インドから、あるいは中国から、あるいは朝鮮半島からの仏教を輸入していたのに対し、日蓮はただ一人、日本的仏教を切り開いたのです。
 今日、キリスト教界でも、多くの人々はアメリカから、あるいはドイツから、あるいは韓国から、キリスト教を輸入しようとしています。
 しかし、本当に必要なのは、そのような輸入されたキリスト教ではありません。必要なのは、日本人のために日本人の中に開示されたキリスト教です。
 キリスト教は本来、世界的なものですが、日本には日本のキリスト教のかたちがあってよいのです。
 アメリカにはアメリカのキリスト教のかたちがあり、韓国には韓国のキリスト教のかたちがあります。ドイツにはドイツのキリスト教のかたちがあり、メシヤニック・ジュー(ユダヤ人クリスチャン)には彼ら独自のキリスト教があります。
 同様に、日本には日本のキリスト教のかたちが確立されなければなりません。いくら外国のクルセードをそのまま持ってきても、キリスト教が日本に根づくものではありません。
 日本人の中に、本当にキリスト教を受肉した人物が現われて伝道するとき、日本人はキリスト教を本当に自分のものとすることができます。
 日蓮が法華経ただ一書を信じたように、聖書ただ一書を信じ切って実践する人物こそが、日本に必要なのです。


辻説法を行なう日蓮(野田九浦(のだきゅうほ)筆)



日本に隠された聖書の神

 こうして見てみると、日本に伝わった仏教は、何らかの形でキリスト教の影響を受けたものが多いことがわかります。
 しかし、その影響は非常に隠された形であるため、多くの人はそれに気づきません。けれども、仏教の成立過程などをよく調べてみれば、これは明らかな事実なのです。
 また、キリスト教の影響はあるものの、それはキリスト教そのものではないため、それらは日本人を真の神に導くものとはなり得ませんでした。
 私たちを真の神に導くものは、西洋まわりで輸入された西洋的キリスト教でも、また仏教の装いをもったキリスト教でもなく、イエスキリストと聖書によって啓示された本物のキリスト教でなければなりません。
 つぎに、今まで何人か仏教の僧侶を見たので、今度は神道関係について見てみましょう。
 レムナント誌においてこれまで何度か取り上げてきたように、日本神道の祭祀や風習が、そのおおもとのところで古代イスラエル宗教の影響を受けていることは、多くの学者によって指摘されています(レムナント九一号「日本神道のルーツは古代イスラエル宗教」)
 神社の構造や、おみこし、神主の服装、みそぎ、そのほか神道の風習は、あまりにも古代イスラエル宗教のものによく似ているのです。神道は決して、純粋に日本独自のものではなく、そのおおもとのところで聖書(旧約聖書)の宗教に起源を持っているのでしょう。
 神道の神は、本来は聖書の神と思われます。日本神道は、多神教を捨て、聖書の教える神に立ち帰るとき、本来のものとなり、完成・成就するのです。
 また、現在の神道の主流である「平田神道」は、キリスト教の影響も受けている、と指摘されています。この平田神道を始めた平田篤胤(あつたね)について、つぎに見てみましょう。


平田篤胤の信じた造化三神

 平田篤胤は、一九世紀、江戸時代後期の復古神道家です。
 彼の学問の範囲はたいへん広く、その博学ぶりと独創性とによって、多くの門下生を集めました。彼は儒教や仏教を退けて、日本古来の神道の道に帰ることを主張しました。その主張はこうでした。
 ――人が神の道を実践するためには、まず大和心(やまとごころ)を固めなければならない。また死後の霊魂の行方が解明されなければならない。そのためには、天地の形成過程を知り、神の功徳(くどく)を認識し、日本が万国の本源の国であり、すべてにおいて優れた国であり、天皇が最高の存在であることを十分に知らなければならない――
 このように平田篤胤は、日本をすべての本源とする日本中心主義に立っていました。
 これは聖書の教えるところとは異なるので、クリスチャンは受け入れることはできません。日本は、神の創造された世界の一部にすぎません。
 しかし、平田篤胤のいう、人が神の道を実践するための道――大和心を固めること、死後の霊魂の行方を解明すること、天地の形成過程を知ること、神の功徳を認識すること――などは、共感できます。
 平田篤胤は「天地の形成過程を知る」必要があると述べましたが、そのために彼は、古事記の解釈において「造化三神(ぞうけさんしん)」の考え方を導入しました。
 それは、古事記の冒頭に出てくる天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を宇宙万物主宰の絶対神とし、その神徳の発現である高皇産霊神(たかむすびのかみ)、神皇産霊神(かみむすびのかみ)を加えて「造化三神」とする、というものです。そしてこの三神が、天地を創造し、人類万物を生成し、人間に霊性を与える祖神であるとしました。
 古事記の文章自体は、そこまでは言っていないのですが、これは平田篤胤の解釈を入れたものなのです。これは明らかに聖書の「三位一体神」の組み入れである、と言われています。
 聖書を見ると、
 「はじめに神が天と地を創造した。・・・・神の霊は水の上を動いていた。そのとき、神が『光よ。あれ」と仰せられた」(創世一・一〜三)
 と記されています。ここに、宇宙万物主宰の絶対神である父なる神(はじめに神が)、また「神のことば」とも呼ばれる子なる神キリスト(・・・・仰せられた)、また聖霊なる神(神の霊は)の、三位一体の神が登場しておられます。
 天地万物の創造は、三位一体の神の共同のみわざであったのです。
 平田篤胤は、日本神道の理念を高度な宗教にしようと計っていたので、このようなキリスト教的な神観をも古事記の解釈に取り入れたようです。
 こうして平田篤胤は、日本神道の神を、聖書の教える神観に少しだけ近づけました。しかし、完全に聖書の教える神観にしたわけではなく、彼の崇拝した神は、いまだ「知られない神」であったのです。
 彼は、自分の拝んでいる方を、正しくは理解していませんでした。


平田篤胤
神の道を実践するための道――
大和心を固めること、死後の霊魂の行方を解明すること、
天地の形成過程を知ること、神の功徳を認識すること。



日本人の拝んできた「知られない神」

 以上、私たちは、様々な代表的日本人を見てきました。ほかにも、語り始めれば多くの人々を見なければならないでしょう。
 しかし、ここまでのことでも、私たちは日本人の精神性について、多くのことを知ることができます。
 西郷隆盛や二宮尊徳は、「知られない神」を「天」と呼んで崇敬しました。
 空海や、親鸞、日蓮は、仏教の名のもとに絶対者や救い主を信じましたが、その絶対者や救い主の思想の根底に聖書の影響があることに、気づいていませんでした。
 そのために聖書の神は、彼らの教えの中では「知られない神」となっていたのです。
 また、日本神道においては、古代イスラエル宗教に発する多くの風習や祭祀を持っているにもかかわらず、多神教に堕落し、聖書の教える神とは別の神観を形成しています。
 もともと古代日本人は、聖書の教える神ヤハウェを知っていたと思われますが(レムナント九六号「古代日本人はヤハウェを信じていた」)、やがて多神教に堕落し、聖書の神ヤハウェは神道においては「知られない神」となってしまったのです。
 しかし平田篤胤は、古事記を解釈する際にキリスト教の三位一体神の思想を取り入れて、若干ながらも神道の神観念を聖書のものに近づけました。
 けれども、聖書の教える真の神は、いまだ「知られない神」として崇拝されているに過ぎないのです。
 このように日本人は、古来、聖書の教える神に全く縁がなかったわけではありません。本当のところは、非常に深くかかわっていたのです。
 しかし、聖書の教える真の神は、多くの不純物的な教えによって忘れられたり、隠されたり、隅に追いやられたりしてきました。
 キリスト教の教える真の神は、日本人にとって全く新しい神ではないのです。真の神は、日本人の間では「知られない神」となってしまっているだけです。
 私たちに必要なことは、この「知られない神」が本当はどなたなのかを、知らせることにあります。日本人が知らずに拝んできたおかたは、じつは聖書の教える神なのだと知らせるのです。
 私たちは、「知られない神」をどのようにして本当に知り、また知らせることができるのでしょうか。
 それは、イエス・キリストによるのです。イエス・キリストは、真の神を完全に啓示・また体現された方です。
 私たちはイエス・キリストによって啓示された神を知るとき、真の神はもはや「知られない神」ではなく、「知られた神」になるのです。


真の神を求める

 仏教も、神道も、そのほか古来の日本の伝統もすべて、日本人にとっては「『知られない神に』と刻まれた祭壇」になっています。
 私たちは今や、このような祭壇をあとにして、真の神を尋ね求め、本当の神知識に至らなければなりません。使徒パウロは、アテネの人々に語りました。
 神は「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった」方であると。また神は「すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方」であると(使徒一七・二四、二五)
 「神は、ひとりの人から、すべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。これは神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです」(同一七・二六、二七)
 私たちは、真の神を「求める」必要があるのです。
 かつてイエス・キリストは、バプテスマのヨハネのふたりの弟子がご自身の後について来られるのを見て、
 「あなたがたは何を求めているのですか」(ヨハネ一・三八)
 と言われました。私たちは自分の「求める」対象がはっきりしていないといけません。
 あなたが、魂の奥底で本当に求めているものは何か――大宇宙の奥底へとつながるような魂の深い願い、これを仏教では「本願(ほんがん)」といいます。
 しかし、何も阿弥陀仏だけが「本願」を持つのではありません。私たち、神の子たるべき者もまた、すべてがこの本願を持ち、真の神を求めなければならないのです。
 私たちは、真の神を求めるという、魂の本願を自覚することです。そうでなければ、本当の幸福は決してやって来ません。
 主イエスは、このふたりの弟子たちに、
 「来なさい。そうすればわかります」(ヨハネ一・三九)
 と言われました。真の神を求めるという本願を持ったら、主イエス・キリストについて行くことです。そうすればわかります。
 イエス・キリストは、神の完全な啓示者であられるからです。彼のうちには、神のご本質と愛が満ち満ちています。
 使徒パウロはまた言いました。
 「確かに神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。私たちは神の中に生き、動き、また存在しているのです」(使徒一七・二七、二八)
 ある人々は、「神がいるなら見せてみよ」と言います。しかし、神は「ここにあります」とか「あそこにいます」と見せることのできるかたではありません。
 神は私たちを、大きく包んでおられるからです。私たちは森の中にいると、木は見えても森全体の姿は見えません。
 私たちは神の「中に生き、動き、また存在している」ので、神全体の姿は見えないのです。神は私たちよりはるかに大きな方なのです。
 パウロはまた言いました。
 「あなたがたのある詩人たちも『私たちもまたその子孫である』と言ったとおりです。そのように私たちは神の子孫ですから、神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません」(一七・二八、二九)
 聖書で、最初の人アダムは「神の子」と呼ばれています(ルカ三・三八)。その意味で、私たちは「神の子孫」です。私たちは、神のかたちを入れて神によって造られた者という意味で、「神の子孫」なのです。
 パウロは、ギリシャの詩人の言葉「私たちもまたその子孫です」を引用して、この真理を語りました。彼は福音を語るために、ギリシャ人に対してはギリシャ人の言葉を引用したのです。
 私がこの説教の中で日本人の言葉を引用するのも、日本人に主イエスの福音を語りたいがためです。
 しかし、パウロが引用したこの言葉は、じつはギリシャの多神教を信じる詩人の言葉です。にもかかわらず、パウロは聖書の唯一神を説くために、この言葉を引用しています。
 なぜでしょうか。それは、たとえ多神教が背景にある言葉であっても、引用した言葉自体が真理を表すものであれば、引用することは決して悪いことではないからです。
 私も、仏教徒の言葉を引用したり、神道家の言葉を引用したりしましたが、それはすべて主イエスの福音に人々が目覚めるためなのです。
 日本は、昔から「天孫(てんそん)民族」の国(天から下ってきた者たちの子孫の国)と言われてきました。私たち人間は、じつは天孫民族ならぬ「神の子孫」たちなのです。創造主なる神に発した者たちです。


日本の旧約から新約へ

 つぎにパウロは、人々に最後の勧めをします。それは古い時代をあとにし、主イエス・キリストを信じる新しい人生に入れ、というものでした。
 「神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます」(一七・三〇)
 パウロは、今までの時代は「無知の時代」だった、と言いました。事実、日本においてもそうではありませんか。
 いろいろな宗教が日本に入ってきたり、日本で起こったりしましたが、どれも真の神に関して真実を完全に伝えるものではありませんでした。
 「神は、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます」。
 この日本であれ、どこの国であれ、古い時代をあとにし、新しい時代に入らなければならないのです。
 私は、今までの日本の仏教にしても、神道にしても、日本の伝統にしても、すべてこれらは、日本人にとっては一種の「旧約」なのだと思っています。
 ユダヤ人にとって「旧約」とは、モーセの律法でした。しかし、そこにイエス・キリストが現われ、初代教会が形成されて、「新約」の時代が始まりました。
 一方、ギリシャ人にとっては、ギリシャのオリンポスの神々を信じる多神教が「旧約」でした。そこにパウロたちが伝道して、多くの者がキリスト教徒となり、ギリシャの「新約」時代が始まったのです。
 日本においては、仏教や、神道、また古来の伝統などが、日本の「旧約」となっています。私たちはこの旧約の時代をあとにして、新約の時代に進まなければなりません。
 新約は、旧約を廃棄するものではありません。それはむしろ、旧約を完成し、実現・成就するものです。
 私たちは、この日本において先輩たちが築き上げてきた伝統を、またその精神性を、否定するものではありません。私たちは日本の祖師たちの人格と、その功績を尊敬します。
 空海、親鸞、日蓮、平田篤胤、また二宮尊徳、西郷隆盛・・・・そのほか日本史上に名だたる多くの偉大な日本人は、みな日本における旧約の栄光です。
 しかし、私たちは今や、旧約の時代をあとにして、新約の時代へと大胆に進まなければなりません。キリスト教こそ――西洋的キリスト教ではなく日本人に開示された日本的キリスト教こそ――日本古来の伝統を完成するものです。
 日本人が、主イエス・キリストを受け入れ、聖書に学んで聖書の民となるとき、日本は新約の民となることができるのです。
 私たちは旧約の時代をあとにして、新約の時代に進もうではありませんか。そのときに、今までのすべての日本の伝統も、生きてきます。
 日本的精神、言い換えれば大和魂の中に、キリストの霊を迎え入れるとき、日本人は本当に輝かしい神の民となるでしょう。
 神は、「今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます」。「なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです」(一七・三一)
 そうです。最後の日が近づいています。すべての人の人生が神の御前に問われるときが、近づいています。
 ですから、日本は早く新約の真理を知らなければなりません。新約の真理を知るとは、イエス・キリストを知ることです。
 「神は、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです」(一七・三一)
 イエス・キリストの十字架と復活は、彼が真に神からの救い主であり、また来たるべき王であることの「確証」です。
 阿弥陀仏は、経典の話の中にしか出てこないもので歴史的な実在者ではありませんが、キリストは歴史的な実在者です。その十字架の死と復活は、私たちの置かれているこの歴史上で起こったことなのです。
 さらに、イエス・キリストは、単に二千年前におられたというだけのお方ではありません。彼はこの地上に来る前にも存在し、またこの地上を去ったあとも、今も存在しておられるかたです。
 彼こそ「久遠実成」(永遠の昔から)の救い主、「無量寿、不可思議光」(永遠の命と光)の救い主です。法華経や、そのほか多くの経典が説いた救い主は、聖書の説く救い主イエス・キリストにこそあります。
 私たちは彼を通して、真の神を知ることができるのです。

                                  久保有政(レムナント1997年9月号より)

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