キリスト教とは何か
中心宗教と周辺宗教 真理の知識の本流について
アダム以来、人類の中を脈々と流れてきた
唯一神教は、イエス・キリストにおいて大成した。 ブロック画
宗教について書いた本の中
には、しばしば次のような叙述がみられます。
「宗教は、古代の精霊信仰・アニミズム(霊魂信仰)などの未開信仰や、多神教に始まった。その後、多くの神々の中からただ一つの神を拝する"拝一神教"や、高度な倫理を持ちあわせた"唯一神教"が出現した」。
宗教は未開宗教に始まり、後に高等宗教へと発展したという、こうした進化論的な考え方が、世の中ではなされてきました。
しかし、この考えは正しかったでしょうか。そこには何か確かな根拠が、あったでしょうか。
いいえ、この考えには何も根拠がなく、単なる憶測でしかなかったのです。実際、最近見出された多くの証拠は、事実が全く逆であったことを、明らかにしました。
はじめにあったのは、精霊信仰でも多神教でもありませんでした。唯一神教だったのです。唯一神教は、人類創世以来、今日まで途絶えることなく、歴史の中を大河のごとく流れてきたのです。
最初の宗教は唯一神教だった
最近の考古学的発見によると、時代を古くさかのぼればさかのぼるほど、昔の人は、少ない神々に対して信仰を持っていました。
たとえば、考古学上最も古い民族の一つと言われる「スメリヤ人」は、その文化の終わり頃には、五千の神々を持っていました。しかし初期には、ただ一つの神である「空の神」がいただけです。この「空の神」とは、もともと聖書でいう「天の神」と同じに違いありません。
また有名なエジプトの考古学者フリンダース・ペトリー卿は、エジプトの宗教は、はじめは「一神教」だったと言っています。
オクスフォード大学のスティーブン・ラングドン博士は、バビロニアで碑文を発見し、その研究から、世界最古の宗教が何であったかについて、言及しています。それによるとその碑文は、人類最初の宗教は唯一神の信仰であって、そこから急速に多神教と偶像崇拝に傾いていったことを、示していたとのことです(ラングドン著『セム族の神話』)。
W・シュミット、W・コッペルスなどの有力な学者たちも、豊富な資料にもとづき、一神教こそはあらゆる原始的宗教の基本となるもので、これが後に堕落変形して、他の様々な宗教形態が生じた事実を、明らかにしています。
これらのことは、まさに聖書の記述に一致しています。
聖書によれば、人類最初の宗教は唯一神教でした。唯一神教は人類誕生とともにあり、その後に、堕落した宗教形態である多神教や、偶像崇拝が広まっていったのです。
では聖書によると、唯一神教は、どのようにして伝えられてきたのでしょうか。
唯一神教は宗教の本流
はじめアダムの持っていた唯一神教は、その子孫たちに語り伝えられていきました。アダムやエバは、神ご自身から聞いた天地創造の経緯などを、子や孫たちに説明し、伝えていったことでしょう。
アダムから七代目にあたるエノクは、敬虔な唯一神教徒でした。彼は、真実に「神とともに歩み」(創世五・二二)ました。
ノアの時代になって、ノアは先祖から伝えられてきた唯一神教の教えを、堅く守って生活していました。
「ノアは正しい人であって、その時代にあっても全き人であった。ノアは神とともに歩んだ」(創世六・九)
と聖書は記しています。
しかし一般的には、世界は悪が満ち、暴虐がいたる所に見られました。それで神は、地に大洪水を起こし、ノアの家族を残して、他の人々はすべて滅ぼされました。
生き残ったノアの三人の息子──セム、ヤペテ、ハムは、その後の全人類の先祖となりました。
ノアには3人の息子――
セム・ヤペテ・ハムがいた。
セムは、のちのヘブル人(イスラエル人)や、アラビヤ人の先祖となりました。
ヤペテは、欧米人や、アーリア人の先祖となりました(おそらく黄色人種もヤペテ系です──中国の苗族やミャンマーのカレン族等の間には、自分たちの先祖がヤペテであるとの言い伝えがあります)。
ハムは、エジプト人、バビロン人、ペリシテ人、カナン人等の先祖となりました。これらのことは、聖書・創世記一〇章に記された系図の研究によって明らかです。
ノアは大洪水後に、これら三人の息子たちの子孫に関して、預言を語りました。その中でノアは、こう語りました。
「セムの神、主はほむべきかな。・・・・神はヤペテを大いならしめ、セムの天幕に住まわせられるように」(創世九・二六〜二七)。
この言葉には、セムの子孫と、ヤペテの子孫に関する預言が含まれています。この預言は、次の意味で成就しました。
真の神の知識はセムの子孫に受け継がれた
はじめに、
「セムの神、主はほむべきかな」
を見てみましょう。この言葉は、真の神の知識がセムの子孫に受け継がれたことによって、成就しました。
神はセムの子孫の中から、のちにヘブル人(イスラエル人)をお選びになり、彼らに神の言葉──『聖書』をお授けになりました。真の神の知識は、セムの子孫に受け継がれたのです。
つぎに、
「ヤペテを大いならしめ」
を見てみましょう。ヤペテの子孫である欧米人の国々では、のちの時代に大きな文明がさかえました。
科学技術の進歩や産業の発展は、ヤペテ系の国々を大国となしました。神は、「ヤペテを大いならしめ」られたのです。
ヤペテ系の国々では、単なる物質文明だけでなく、様々な宗教・哲学も生まれました。ギリシャ神話、プラトンやアリストテレスの哲学、また近代の西洋哲学等が、その代表です。
ヤペテ系宗教の一つ――ギリシャ神話
(ペルセウスが怪物メドゥーサを退治するところ)
しかしヤペテ系民族は、欧米人だけではありません。じつはペルシャ人やインド人なども、ヤペテ系である、と考えられるのです。
ペルシャ人やインド人の主要民族は、アーリア人です。そしてアーリア人は、ヤペテの息子マダイの子孫(創世一〇・二)なのです。
「アーリア人」の名は、古代の大国マダイ=メデア帝国(ペルシャ人と同起源)の人々が、アーリア人と呼ばれたことから来た名です。このようにペルシャ人やインド人なども、ヤペテ系民族です。
実際、古代ペルシャ語や古代インド語はヨーロッパ諸国の言語とよく似ていて、民族的に近縁関係にあることは明らかです(これらの言語はみな「インド・ヨーロッパ語族」に属する)。
ペルシャやインドでも、多くの宗教が生まれました。ペルシャではゾロアスター教、インドではバラモン教、仏教、ヒンズー教などが生まれました。
ゾロアスター教も、ヤペテ系宗教の一つだ。
(ゾロアスター教の司祭)
ヤペテの子孫は、世界の主要な宗教・哲学をも、多く生み出したのです。しかしノアは、これらヤペテ系の文明・宗教・哲学はすべて、
「セムの天幕に住まわせられるように」
と語りました。ヤペテの子孫にも様々な文明・宗教・哲学が生まれるであろうが、それらより一段高い所にセムの宗教があることを、ノアは知っていたのです。
真理の知識は、セムの宗教に受け継がれたわけです。ノアは、セムの宗教こそ"中心宗教"であることを、知っていました。他の宗教は、すべて"周辺宗教"に過ぎないのです。
中心宗教は人類創世以来、今日まで"大河"のごとく、歴史の中を流れてきました。そして今も脈脈と流れています。一方、周辺宗教は、不純物が多く入り混ざった"支流"に過ぎません。
周辺宗教の代表的なものとしては、ヤペテ系の宗教からあげると、ギリシャ神話、ゾロアスター教、グノーシス主義、マニ教、バラモン教、仏教、ジャイナ教、ヒンズー教などがあります。
仏教もヤペテ系宗教である。
ハム系のものとしては、フェニキアのバアル信仰、アシタロテ信仰、エジプトの太陽神ラー信仰、オシリス神話、バビロンのマルドゥク神話、その他の民族信仰などです。
これらのうち、バアル信仰、アシタロテ信仰は、旧約の預言者たちが戦った異教の信仰として、しばしば聖書の中に出てくるものです。また初代教会の時代に、キリストの使徒たちがグノーシス主義と戦ったことは、よく知られています。
ハム系宗教――バアル信仰は、
しばしばイスラエルを悩ました。
一般的に言って、ヤペテ系宗教には思弁的なものや禁欲的なものが多く、一方ハム系宗教は、すべて偶像崇拝であり、多神教であるのが特徴です。
エジプトの多神教も、ハム系宗教である。
セムの唯一神教は聖書に記録された
さて、ノアの子セムの時代から数百年が経過して、神はセムの子孫の中から、アブラハムを、メシヤ(救い主)の民の祖とするためにお選びになりました(紀元前二〇世紀頃)。
アブラハムは、当時多神教や偶像崇拝の広まっていた中で、真の神を信じて歩んでいる人物でした。神は彼を、メシヤを来たらせる民の祖としてふさわしいとご判断になり、彼に幾つかの信仰的な訓練をお与えになりました。
このアブラハムから、イサクが生まれ、イサクからヤコブが生まれました。ヤコブは、のちに自分の名を、神の命令により「イスラエル」と改めました。
このヤコブ=イスラエルの子孫が、イスラエル民族です。イスラエル民族は、決して強大な民族ではなく、道徳的に特に高潔な民族というわけでもありませんでした。
むしろ弱小で、多くの欠点をもった民族でした。しかし神はそれでも、全世界のすべての民族の中で彼らこそ、訓練すればメシヤを来たらせる民として最もふさわしい民族となる、と判断されたのです。
神は、全世界のためにメシヤを来たらせる"パイプ役"として、イスラエル民族を創始し、育成されました。イエス・キリストは、この民のひとりとして降誕され、全世界のために来られたのです。
アダム──エノク──ノア──セム──アブラハム──イサク──ヤコブ・・・・というように受け継がれてきた唯一神の信仰は、やがて『聖書』として記録されました。
アダム以来語り継がれてきた唯一神教は、
セム系民族に引き継がれ、イエス・キリスト
によって大成された。それらすべての経緯は、
『聖書』に記された。聖書宗教こそ"中心宗教"
であり、キリスト教はその本流である。
アダムは、神から教えられた天地創造の経緯を、子孫に語り継げました。エノクは、文字の体系を発明した人物と言われ、彼はそれらの知識を、粘土板などに記して後世に残しました。
やがてイスラエル民族の指導者モーセ(紀元前一五世紀)は、それらの記録の断片を編集し、『創世記』をまとめ上げました。
またモーセは、神の命令と力のもとに敢行した「出エジプト」の出来事や、神からの啓示の言葉を、いくつかの書物に書き残しました。
以後も神は、イスラエル民族にその時代その時代に、ふさわしい預言者を送られました。預言者たちの言葉もやはり記録され、それらの書物はのちに、『旧約聖書』としてまとめられました。
また、旧約聖書の預言していた救い主であるイエス・キリストが世に来られたとき、『新約聖書』が書き記されました。新約聖書には、キリストのご生涯やその教え、使徒たちの教えなどが記録されています。
このように、人類誕生とともにあった唯一神の信仰、および神からの啓示のみ言葉は、今日私たちが『聖書』と呼ぶ書物の中に、記されているのです。
ユダヤ教かキリスト教か
つぎに、いわゆる「聖書の宗教」のうち、ユダヤ教でもイスラム教でもなく、なぜキリスト教を私たちが信じるのか、ということを見てみましょう。
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教は、いずれも旧約聖書から発した宗教です。簡単にいうと、キリスト教は旧約聖書+新約聖書、ユダヤ教は旧約聖書+タルムード(釈義集)、イスラム教は旧約聖書+コーランの教えです。
このうち、最も古くからあったのは、ユダヤ教です。そこでユダヤ教とキリスト教について、まず考えてみましょう。
ある人々は、
「キリスト教は、ユダヤ教の"分派として"発生した」
と説明します。しかし、これは正しい見解ではありません。キリスト教はむしろ、ユダヤ教が失い始めていた聖書の真の精神を、継承し、成就し、完成させたものなのです。
イエス・キリストが出現された頃、聖書・福音書によれば、ユダヤ人の宗教は概して表面的・形式的なものとなっていて、ときには偽善的なものに堕していました。
「パリサイ派」(ユダヤ教の源流の一つ)の人々や「律法学者」らは、人通りの多い所で祈ることを好み、自分たちが義人であると称して、他人を見下げていました。そうした彼らに対して、キリストは容赦ない批判を浴びせ、彼らは旧約聖書の真の精神を忘れている、と指摘されました。
キリストに従う弟子たちが増えてくると、パリサイ派などの人々は、キリストをねたみ始めました。キリストが十字架に追いやられたのも、こうしたねたみが、背後にあったからです(マタ二七・一八)。
その後、キリスト教会が誕生し、クリスチャンたちは世界に向かって伝道を始めました。もちろんユダヤ人に対しても伝道は行なわれ、一部のユダヤ人は回心しました。
しかし、パリサイ派や律法学者を中心とする人々は、かたくなになって、イエスをキリスト=救い主として受け入れることを、拒み続けました。こうしてユダヤ教とキリスト教は、訣別したのです。
では、ユダヤ教とキリスト教は永久に訣別したままなのでしょうか。いいえ、ユダヤ教はやがて、キリスト再来の日に、キリスト教に合流するでしょう。聖書は言っています。
「イスラエル人の一部がかたくなになったのは、異邦人の完成のなる時(異邦人伝道完成の時)までであり、こうしてイスラエルはみな救われる」(ロマ一一・二五〜二六)。
またこう言われています。
「わたし(神)は、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは自分たちが突き刺した者、わたし(キリスト)を仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き・・・・」(ゼカ一二・一〇、黙示一・七参照)。
こうしてキリスト再来の日には、ユダヤ教徒もすべて、キリスト者になるでしょう。彼らは、自分たちの先祖が十字架につけ、やりで突き刺したおかたがメシヤであったことを知り、激しく嘆きながら、回心するのです。
「嘆きの壁」の前で、神殿再建を祈るユダヤ教徒
イスラム教かキリスト教か
イスラム教とキリスト教については、どうでしょうか。
イスラム教は西暦六世紀、つまりキリストより六世紀ほどあとに、アラビア人の間に生まれた唯一神教です。
しかし、急に唯一神教が生まれたわけではありません。アラビア人の間には、もともと"漠然とした一神教"が存在していました。
これは、アブラハムの子「イシマエル」に由来する一神教と言われています。
アブラハムには、妻サラとの間にできた子イサクのほかに、女奴隷ハガルとの間にできた子イシマエルがいました。イシマエルは、大きくなってからアラビア地方に住みつき、彼の一神教は、アラビア人の間に先祖代々語り継がれていました。
しかしその一神教も、やがて多神教の影響を受け始めていました。そこに現れたのが、マホメットです。彼は、
「真の神はおひとりである。アッラー(アラビア語でthe God=その神の意)
以外に神はない」
と叫んで、宗教を一新しました。マホメットは先祖伝来の宗教を、ふたたび厳格な唯一神教に戻したのです。
彼ははじめ、ユダヤ教徒やキリスト教徒に対して、親和策をとりました。彼はユダヤ教徒を「啓典(聖書)の民」と呼び、神から聖書を与えられた民族として尊敬しました。またキリスト教徒に対しては、その行状や品性をほめています。
しかしやがてマホメットは、ユダヤ教徒やキリスト教徒を、敵視するようになりました。それは彼らが、マホメットを決して「神の使徒」、あるいは「預言者」と認めようとしなかったからです。
マホメットは、自分が旧約聖書に預言された来たるべき「モーセのような預言者」(申命一八・一八)だと、主張しました。
けれどもユダヤ教徒にとって、その「預言者」がユダヤ人以外の民族に現れることは考えられませんでしたし、キリスト教徒も、しばしばマホメットの聖書知識の不正確さを見て、ついて行けなかったのです。
このようにイスラム教は、同じ聖書宗教の流れの中に発生しましたが、真の流れから外れたものとなってしまいました。イスラム教はある意味では、聖書宗教の異端的な存在なのです。
ですから、ユダヤ教やイスラム教は同じ聖書宗教であるとはいえ、中心宗教というよりは周辺宗教の部類に属する、と考えたほうが良いでしょう。
聖地メッカに巡礼するイスラム教徒
聖書宗教の本流はキリスト教
聖書宗教の本流は、イエス・キリストの宗教です。
聖書の中心テーマは、神から来られた御子イエス・キリストだからです。
キリスト到来に関する予言は、すでに旧約聖書の巻頭の書である『創世記』に出てきます。キリストが、イスラエル民族のユダ族の王家の子孫としてお生まれになることが、すでに『創世記』に予言されています(四九・一〇)。
また『申命記』には、解放者的性格をもった預言者(キリスト)が到来するという予言が(一八・一八)、『ミカ書』にはキリスト降誕の場所(五・二〜四)、『ダニエル書』にはキリスト降誕の時(九・二五)、『イザヤ書』にはキリストの受難(五二・一三〜五三・一二)、『エレミヤ書』にはキリストによる「新しい契約」(三一・三一)に関する予言が、述べられています。
ほかにもたくさんありますが、これらすべては、キリスト降誕の時より数百年から二千年も前に預言され、そのすべてが成就しました。旧約聖書は、キリストの降誕を予告し、人々に準備させるために書かれた書物なのです。
また新約聖書は、降誕されたキリストの生涯と教えを記すことにより、人々が、
「このかたこそ、旧約聖書に預言されていたメシヤなのだ」
と知るために書かれました。唯一神の信仰は、イエス・キリストにおいて頂点に達したのです。
キリストが世に来られた目的は、おもに二つありました。
ひとつは、目に見えない永遠の神を、人々にもっと身近なかたとし、そのご本質を具体的に示すこと。もうひとつは、罪に捕らわれた私たち人間のために、救いの道を開くことでした。
私たちはキリストを通して、人類創世以来、脈脈と流れ続けてきた、唯一まことの神の信仰にあずかることができ、約束された救いに入ることができるのです。
キリスト教は、聖書宗教の本流である。
(イスラエル 山上の説教の教会)
まとめ
以上、見てきたことを簡単にまとめると、次のようになります。
(1) ヤペテ系民族にも、ギリシャ神話や、ゾロアスター教、仏教など、様々な宗教が生まれたが、それらは"中心宗教"ではあり得ない。ハム系の宗教も同様である。
唯一まことの神に関する真の知識は、セム系に受け継がれた。
(2) セム系の人々に啓示された神の知識は、『聖書』に記録された。旧・新約聖書には、神の啓示の御言葉が記されており、イエス・キリストに関する預言、そのご生涯の記録、また教えがおさめられている。
聖書宗教こそ"中心宗教"である。
(3) しかしキリストが到来したとき、ユダヤ人の一部はかたくなになって、キリストを拒み、ユダヤ教を形成した。
また六世紀になると、マホメットが唯一神教を説いたが、彼の聖書知識は不正確なうえ、自分が神の使徒であると強く主張したので、彼の宗教は独立した一つの宗教となった。
(4) "聖書宗教の本流"は、イエス・キリストの宗教である。キリストによって、旧約聖書の示していた人々の救いが、すべて成就する。
このように、世界には様々な宗教が生まれましたが、その中心宗教は聖書宗教であって、その本流がキリスト教です。そこには、唯一まことの神に関する知識の富が、十全なかたちで宿っています。
人となって来られた神の御子キリストの仲介によって、偉大な全能の神は、私たちにとって非常に身近なかたとなりました。そして、私たちが神のもとに立ち返って救われる道も、また確かなものとなったのです。
世界のおもな宗教
ヤペテ系宗教
ギリシャ神話
素朴な多神教で、主神ゼウスやオリンポスの神々、また神々の妻たちに関する数多くの説話からなる。
ギリシャ神話によると、人間のみならず、神々、また主神ゼウスさえも支配するのが「運命」であった。
ゾロアスター教
紀元前六世紀にペルシャで活動したゾロアスターを開祖とする。世界を、善神と悪神の闘争とみる"二元論"に立つ。
終末には救世主が現れ、悪を滅ぼし、最後の大審判が行われるとする。今日では、信者はわずかしかいない。
ゾロアスター教の終末論や救世主の思想が、のちにユダヤ教やキリスト教の形成に影響したという考えは、間違いである。終末論や救世主の思想は、ゾロアスターより百年以上前に、すでに預言者イザヤが説いていた。
グノーシス主義
西暦一世紀に起こり、三世紀に盛んになり、五世紀には滅びた哲学的宗教。ギリシャ思想や、ゾロアスター教などの教えを取り入れている。
初期のキリスト教会は、この思想と戦った。二元論的世界観、二元論的神観を持ち、肉体を悪とみなす傾向があった。
マニ教
三世紀に、ペルシャ人のマニが起こした教えで、中世には滅びた。グノーシス主義やゾロアスター教の教えを取り入れた二元論的宗教で、光と闇、神と物質という相反
する永遠の原理があるとする。
四世紀には、キリスト教会の大きな脅威だった。有名なアウグスチヌス(四世紀)は、マニ教の信者だったが、のちにキリスト教に回宗した。
バラモン教
古代インドにおいて、バラモン(司祭) 階級の人々を中心に展開された。ヤペテ系民族であるアーリヤ人の持ちこんだ多神教が、変化したものである。
輪廻思想と、厳格なカースト制度(階級制度)に立つ。このカースト制度に対する不満から、のちに仏教やジャイナ教が生まれた。
仏教
紀元前六〜五世紀に、シャカ(ゴータマ・シッダルタ)が開いた。バラモン教のカースト制度は捨てたが、輪廻思想は引き継いでいる。
シャカの教えは無神論・無霊魂・自力救済の教えだったが、「大乗仏教」になると、他宗教の思想も取り入れて、有神論や、他力救済の傾向が強くなった。
かつて仏教はインドや中国で栄えたが、今日これらの国々には、仏教徒は少数である。むしろ現在は、小乗仏教が東南アジアで、大乗仏教が日本で引き継がれている。
ジャイナ教
仏教の成立とほぼ同じ頃に、ヴァルダマーナが開いた。徹底した禁欲、苦行によって、輪廻からの解脱を目指す。
仏教と異なるところもあるが、似た教えが多い。今日インドに、わずかだが信者が残っている。
ヒンズー教
今日のインド人の大半は、ヒンズー教に属している。これは原住民の民間信仰、バラモン教、仏教、ジャイナ教などが混合しながら展開してきた教えで、わずらわしいほど多くの宗派と、雑多な教義がある。
特定の創唱者のいない国民宗教である。この点では、日本の神道に似ている。
ハム系宗教
バアル信仰・アシタロテ信仰
バアルとは太陽神で、アシタロテはバアルと並べられた女神。偶像崇拝や淫行的儀式を特色とする。
ハム系民族のシドン人(創世一〇・一五)を中心に崇拝された。イスラエル民族の信仰は、しばしばこの信仰に汚染された。そのために預言者たちは、この偶像信仰と戦わねばならなかった(一列王一八・一九、一一・五他)。
ラー信仰
エジプトでは、太陽神信仰が盛んだったが、とくに太陽神ラーが崇拝された。あるいはアトゥム・レともいう。
ピラミッド時代以来、エジプト王(パロ=ファラオ) は「ラーの子」と呼ばれた。そのほか、死者の審判者であるオシリスの神話なども信仰された。
マルドゥク信仰
バビロンでは、いくつかの神々が崇拝されたが、とくに「マルドゥク」が広く崇拝された。これは、バビロニア王ハムラビが治めていた都バビロンの守護神であった(バベルの塔の建設者ニムロデを神格化したものであろう、と言われる)。
セム系宗教
ユダヤ教
この名前は、のちにキリスト教が起こったとき、キリスト教と区別して呼んだものである。
ユダヤ人の多くは、旧約聖書の真の精神を失いかけていた。またイエスが、旧約聖書に予言されていたキリスト(救い主)であることを認めようとしなかった。
彼らはクリスチャンにはならず、旧約聖書と、後に律法学者が編集したタルムード(釈義集)を信じ続けた。しかしこうしたユダヤ教徒も、やがてキリスト再来の日には、みなキリスト教に合流するであろう。
イスラム教
西暦六世紀にマホメットが開いた。彼の信じた唯一神は、もともとは聖書の神と同じであり、初期の頃、彼はユダヤ教やキリスト教に対して親和策をとった。
しかしユダヤ教徒もキリスト教徒も、彼を決して「神の使徒」「預言者」とは認めなかったので、以後彼は彼らを敵視し始め、独立した教団を形成した。
キリスト教
今から約二千年前に、神の御子イエス・キリストが創始された。神の真の啓示による教えである。
キリストの降誕、生涯、苦難、復活は、あらかじめ旧約聖書の中に予言されていた。キリストの出現は、旧約聖書の成就・完成である。
クリスチャンは、唯一の神、キリストの十字架による贖罪、信仰による救い、現世における祝福、来世における永遠のいのちを信じる。
現在、世界総人口の約三分の一は、キリスト教徒といわれる。今日も欧米諸国にはクリスチャンが多いが、韓国、中国、その他のアジア諸国や、東欧諸国、ロシア、アフリカ、南米等においてクリスチャンの数は急増している。
久保有政著(レムナント1996年2月号より)
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