聖書

律法の温かさ
旧約聖書の律法は、血の通った、じつに温かいものである。


石の板に書き記される十戒。聖書には、
十戒をはじめ、様々の律法がしるされている。

 旧約聖書には、有名な「十戒」をはじめ、様々の「律法」が記されています。
 聖書の「律法」は、しばしば単なる"うるさい規律"または"冷たい規則"のように思われていることがあるようです。しかし律法を詳しく学んでいくと、じつはそれが非常に血の通った、温かいものであることが、わかってきます。
 律法の中には、"貧民救済法"と呼べるような様々の条項や、"弱者保護法""外国人保護法""奴隷虐待禁止法"、そのほか"安息法""裁判の公正維持法""温情法"と呼べるものなどがあります。それらについて、一つずつ見てみましょう。


貧民救済法

 イスラエルの律法においては、貧民を救済するために、とくに細かな配慮がなされていました。
 たとえば、貧民に金を貸す場合、それは必ず無利子でなされなければならないとされていました。旧約聖書にこう記されています。
 「あなたのところにいる貧しい者に金を貸すのなら、彼に対して金貸しのようであってはならない。彼から利息を取ってはならない」(出エ二二・二五)。
 また、貧民に日払い賃金を払うときは、日没前にはすべて支払うよう命じられていました。
 「貧しく困窮している雇い人は、あなたの同胞でも、あなたの地であなたの町囲みの中にいる在留異国人でも、しいたげてはならない。彼は貧しく、それに期待をかけているから、彼の賃金は、その日のうちに、日没前に支払わなければならない」(申命二四・一四〜一五)。
 賃金の支払いは、翌日ではいけなかったのです。貧民から担保をとっている場合も、その日の日没頃には返すように命じられていました。
 「もしその人が貧しい人である場合は、その担保を取ったままで寝てはならない。日没のころには、その担保を必ず返さなければならない」(申命二四・一二〜一三)。
 さらに、イスラエルでは、七年ごとに負債の免除が行なわれました。
 「七年の終わりに、負債の免除をしなければならない。その免除の仕方は、次の通りである。貸し主はみな、その隣り人に貸したものを免除する。その隣り人やその兄弟から取り立ててはならない。・・・・そうすれば、あなたのうちには貧しい者がなくなるであろう」(申命一五・一〜四)。
 つまり、誰かから借金をしていて、その返済を行ない、七年ごとにやってくる特別な年の終わりにまだ残金がある場合、その残金の返済はもうしなくてもよかったのです。
 もちろん、返せるなら返せばよいのですが、たとえ返せない場合でも、貸し主は取り立ててはなりませんでした。しかし、
 「もしそうなら、貸し主は貸ししぶるのではないか」
 という疑問がわいてくるかもしれません。けれども、律法は次のようにも命じていました。
 「あなたの兄弟のひとりが、もし貧しかったなら、その貧しい兄弟に対して、あなたの心を閉じてはならない。また手を閉じてはならない。進んであなたの手を彼に開き、その必要としているものを十分に貸し与えなければならない。
 あなたは心に邪念を抱き、
 『第七年、免除の年が近づいた』
 と言って、貧しい兄弟に物惜しみして、これに何も与えないことのないように気をつけなさい。その人があなたのことで主に訴えるなら、あなたは有罪となる。
 必ず彼に与えなさいまた与える時、心に未練を持ってはならない。このことのために、あなたの神、主は、あなたのすべての働きと手のわざを祝福してくださる」(申命一五・七〜一〇)。
 このように、貧しい人々への憐れみが、律法によって強く命じられていたのです。


社会的弱者保護法

 イスラエルでは、みなしご(孤児)や、やもめ(未亡人)など、社会的に弱い立場に置かれやすい人々を守るために、様々な律法が施行されていました。
 「在留異国人や、みなしごの権利を侵してはならない。やもめの着物(貧しい者にとって着物は貴重品)を質にとってはならない。・・・・
 あなたが畑で穀物の刈り入れをしていて、束の一つを畑に置き忘れたときは、それを取りに戻ってはならない。それは在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない」(申命二四・一七〜一九)。
 置き忘れた穀物は貧しい人に取らせよ、という教えです。それだけでなく、収穫を刈り入れるときは、貧しい人のために、収穫を少し残しておくように命じられました。
 「あなたがたが土地の収穫を刈り入れるときは、畑の隅々まで刈ってはならない。あなたの収穫の落ち穂を集めてはならない。
 また、あなたのぶどう畑の実を取り尽くしてはならない。あなたのぶどう畑の落ちた実を集めてはならない。貧しい者と在留異国人のために、それらを残しておかなければならない」(レビ一九・九〜一〇)。


「落ち穂拾い」ミレー画。落ち穂は、貧しい人々が取って
自分のものとするため、そのままにしておくよう、
イスラエルの律法は命じていた。

 さらに、誰でも、道を歩いていておなかがすいた場合、その道に面した他人の畑に入って、果実や穀物を取ってもよいことになっていました。
 「隣り人のぶどう畑に入ったとき、あなたは思う存分、満ち足りるまでぶどうを食べてよいが、あなたのかごに入れてはならない。隣り人の麦畑に入ったとき、あなたは穂を手で摘んでもよい。しかし隣り人の麦畑で、かまを使ってはならない」(申命二三・二四〜二五)。
 つまり、その時に自分が食べる分だけなら、他人の畑に入って取ってもよかったのです。それは"泥棒"とは見なされませんでした。


イエスの弟子たちは、おなかがすいてひもじくなった
ので、他人の麦畑に入って穂をつんで食べ始めた。
これは律法のもとに許された行為であった。

 福音書を読むと、ある日イエスの弟子たちが、おなかがすいてひもじくなったので、他人の麦畑に入って穂を摘んで食べ始めた、という記事が載っています(マタ一二・一)。これは、律法のもとに許された行為だったのです。


外国人保護法

 イスラエルにおいては、在留異国人の権利も、律法によってあつく保護されていました。
 こう記されています。
 「在留異国人を苦しめてはならない。しいたげてはならない。あなたがたも、かつてはエジプトの国で、在留異国人であったからである」(出エ二二・二一)。
 今日の世界を見ると、ドイツではネオ・ナチによる外国人排斥運動が持ち上がり、心ない人々によって外国人が暴力を受けています。
 政治情勢や経済情勢が悪くなると、人々はとかく、それを在留異国人のせいにする傾向があります。少数者である在留異国人が、しばしば多数者の不満の標的にされるのです。
 しかしこのようなことは、イスラエルにおいては厳に禁じられました。外国人といえども、その権利はあつく保護されたのです。
 この律法が施行されたのは、今から三四〇〇年も昔のことです。当時の世界においては、外国人は虐待されたり排斥されたりするのが常でした。しかしイスラエルにおいては、そうではなかったのです。


奴隷虐待禁止法

 モーセがイスラエルの民に律法を与えた当時、奴隷制は、ひろく世界の各国に見られるものでした。
 当時は、イスラエルにおいても奴隷制は許容されました――イスラエルにおいては、それは非常に厳しい制限のもとでのことでしたが。
 当時は、相次ぐ戦争等のため、家族を失った身寄りのない人々が大勢いました。また、産業といえるようなものはなかったこの時代において、彼らの就職は簡単なことではありませんでした。
 彼らにとって、だれか裕福な人の家に奴隷となって住み込むことは、救われる唯一の道である場合もあったのです。こうした状況下において、イスラエルでも奴隷制は許容されましたが、そこには厳しい条件が付されました。
 たとえば、こう記されています。
 「あなたがヘブル人の奴隷を買う場合、彼は六年間仕え、七年目には自由の身として無償で去ることができる。もし独身で来たのなら、独身で去り、もし彼に妻があれば、その妻は彼とともに去ることができる」(出エ二一・一〜二)。
 七年以上奴隷とすることは、禁じられたのです。これは、終身の奴隷制を施行していた当時のオリエント世界の常識から考えると、驚くべき寛容さでした。
 奴隷は、七年目になって自由の身とされました。しかし、もし主人が良い人で、奴隷がそのもとにもっと長くいたいと欲した場合は、ある手続きを行なったうえで、そうすることも許されました(出エ二一・六)。
 また、奴隷が七年目に去っていく場合でも、主人はその人に謝礼を持たせることが命じられていました。
 「彼を自由の身にしてやるときは、何も持たせずに去らせてはならない。必ず、あなたの羊の群れと、打ち場と、酒ぶねのうちから取って、彼にあてがわなければならない。あなたの神、主があなたに祝福として与えられたものを、彼に与えなければならない」(申命一五・一三〜一四)。
 このようですから、もちろん奴隷に対する虐待は、厳に禁じられていました
 「自分の男奴隷、あるいは女奴隷を杖で打ち、その場で死なせた場合、その者は必ず復讐されなければならない」(出エ二一・二〇)。
 「自分の男奴隷の片目、あるいは女奴隷の片目を打ち、これをそこなった場合、その目の代償として、その奴隷を自由の身にしなければならない」(出エ二一・二六)。
 「(男奴隷または女奴隷の)歯一本を打ち落としたなら、その歯の代償として、その奴隷を自由の身にしなければならない」(出エ二一・二七)。


安息法

 イスラエルにおいては、「安息年」、また「安息日」に関する律法がありました。
 「安息年」に関しては、次のように言われています。
 「六年間は、地に種を蒔き、収穫をしなければならない。七年目には、その土地をそのままにしておき、休ませなければならない。民の貧しい人々に食べさせ、その残りを野の獣に食べさせなければならない」(出エ二三・一〇〜一一)。
 土地というものは、あまり連作をすると、土地がやせ、かえって収穫が減ってしまいます。しかし周期的に土地を休ませると、土地の力が回復します。ですからこの安息年の教えは、まことに知恵にかなったものでした。
 イスラエルでは、七年目には耕作をやめて、その土地の農業を行なわなかったのです。しかし、とくに耕作をしなくても、前年に落ちた種から多少は穀物ができたり、果実がとれたりするでしょう。
 それらは収穫を禁止され、貧しい人が自由に食べられるように、そのままにされました。安息年の規定は、貧民のためでもあったのです。
 また、七日ごとに休むという「安息日」も、律法によって定められました。
 「六日間は自分の仕事をし、七日目は休まなければならない。あなたの牛やろばが休み、あなたの女奴隷の子や在留異国人に、息をつかせるためである」(出エ二三・一二)。
 人間も、周期的に休まなければ、効率の良い仕事はできません。動物もそうです。このように、安息日、安息年は、きわめて賢明な規定でした。この安息法は、最低限の労働基準法となっていたのです。
 かつて産業革命(一八世紀)後の資本主義の発達期において、多くの労働者は休日もなく、一年三六五日、また毎日一六時間程度働かせられた、というようなことがありました。しかしイスラエルにおいては、安息法により、決してそのようなことがなかったのです。


裁判の公正維持法

 イスラエルにおいては、裁判の公正を維持するために、様々の律法が施行されていました。たとえば、次のように記されています。
 「どんな咎でも、どんな罪でも、すべて人が犯した罪は、ひとりの証人によっては立証されない。ふたりの証人の証言、または三人の証言によって、そのことは立証されなければならない」(申命一九・一五)。
 どうして、ひとりの証言で決めてはならないのか――読者には、その理由がすぐおわかりでしょう。
 たとえひとりの人が証言をしても、じつは証人になりすましたその人が真犯人で、無実の他の人を悪意をもっておとしいれようとしている、という場合もあるからです。
 したがって、罪の立証のための証人は少なくとも二人以上必要、とされました。また証人の証言の真実性は、厳しくチェックされたのです(出エ一九・一六)。さらに、
 「偽証してはならない
 は、十戒の中にも一条項としてあげられ(出エ二〇・一六)、それに反した者は厳しく処罰されました。
 権力者の側にたって不当な証言をすることも、かたく禁じられました。
 「悪を行なう権力者の側に立ってはならない。訴訟にあたっては、権力者にかたよって、不当な証言をしてはならない。また、その訴訟において、貧しい人を特に重んじてもいけない」(出エ二三・二〜三)。
 「不正な裁判をしてはならない。弱い者におもねり、また強い者にへつらってはならない。あなたの隣人を正しく裁かなければならない」(レビ一九・一五)。
 あくまで、正義が重要視されたのです。
 「裁判を曲げてはならない。偽りの告訴から遠ざからなければならない。罪のない者、正しい者を殺してはならない。わたし(神)は、悪者を正しいと宣告することはしないからである」(出エ二三・六〜七)。
 民事事件においても、公正が重要視されました。たとえば、当時の人々の重要な財産の一つであった「牛」について、次のように記されています。
 「ある人の牛が、もうひとりの人の牛を突いて、その牛が死んだ場合、両者は生きている牛を売って、その金を分け、また死んだ牛も分けなければならない。
 しかし、その牛が以前から突くくせのあることがわかっていて、その持ち主が監視をしなかったのなら、その人は必ず牛は牛で償わなければならない。しかし、その死んだ牛は自分のものとなる」(出エ二一・三六)。


「のがれの町」法

 イスラエルには、あやまって誰かを殺してしまった人を、復讐者から保護するために、「のがれの町」というものが定められていました。こう記されています。
 「あなたの神、主があなたに与えて所有させようとしておられるその地に、三つの町を取り分けなければならない。あなたは距離を測定し、あなたの神、主があなたに受け継がせる地域を、三つに区分しなければならない。殺人者はだれでも、そこにのがれることができる
 殺人者がそこにのがれて生きることができる場合は、次のとおり。知らずに(あやまって)隣人を殺し、以前からその人を憎んでいなかった場合である。
 たとえば、木を切るため隣人と一緒に森に入り、木を切るために斧を手にして振り上げたところ、その頭が柄から抜け、それが隣人に当たってその人が死んだ場合、その者はこれらの町の一つにのがれて生きることができる。
 血の復讐をする者が、憤りの心に燃え、その殺人者を追いかけ、道が遠いためにその人に追いついて、打ち殺すようなことがあってはならない。その人は、以前から相手を憎んでいたのではないから、死刑には当たらない。だから私はあなたに命じて、『三つの町を取り分けよ』と言ったのである」(申命一九・二〜七)。
 このように律法は、故意でない殺人をしてしまった者を保護するために、「のがれの町」を三か所設けることを定めていました。
 あやまって誰かを殺してしまったような人は、復讐者から身を守るために、そこにのがれることができたのです。
 しかし、なかには故意の殺人や、計画的殺人を犯した者が、「のがれの町」に逃げ込む場合もあるでしょう。そうした場合は、町の長老たちはその者を町から引きずり出し、死刑にすべき、と律法は定めていました(申命一九・一二)。


温情法

 律法は、同国人、在留異国人、貧民、しいたげられた人々、また敵に対しても温情を示し、愛を示すよう教えていました。まず、同国人に対する愛について、こう記されています。
 「復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。あなたの隣り人をあなた自身のように愛しなさい」(レビ一九・一八)。
 また、在留異国人への愛については、こう記されています。
 「もしあなたがたの国に、あなたと一緒に在留異国人がいるなら彼をしいたげてはならない。あなたがたと一緒の在留異国人は、あなたがたにとって、あなたがたの国で生まれたひとりのようにしなければならない。
 あなたは彼を、あなた自身のように愛しなさい。あなたがたもかつてエジプトの地では、在留異国人だったからである」(レビ一九・三三〜三四)。


律法は、同国人であれ外国人であれ、
等しく隣り人として、自分を愛するように愛すべき
ことを教えている(絵・良きサマリヤ人)。

 また、社会的弱者への愛については、たとえば次のように言われています。
 「あなたは、耳の聞こえない者を侮ってはならない目の見えない者の前に、つまずく物を置いてはならない。あなたの神を恐れなさい。わたしは主である」(レビ一九・一四)。
 老人への愛については、こう言われています。
 「あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない」(レビ一九・三二)。
 さらに律法は、敵に対してさえ温情を示すよう教えています。
 「あなたの敵の牛とかろばで迷っているのに出会った場合、必ずそれを彼のところに返さなければならない。
 あなたを憎んでいる者のろばが荷物の下敷きになっているのを見た場合、それを起こしてやりたくなくても、必ず彼と一緒に起こしてやらなければならない」(出エ二三・四〜五)。


 このように律法は、貧民の救済、また弱者や、しいたげれた者、在留異国人の保護、裁判の公正、社会的正義、知恵、愛、温情等を教えています。
 これらの優れた律法が、日本に弥馬台国が成立するよりさらに一千年以上前に、イスラエルですでに施行されていたのです。


律法を記している「トーラー」。「トーラー」とは
「モーセの五書」のことで、創世記、出エジプト記、
レビ記、民数記、申命記の五書をさす。

 ここに記した律法は、数ある律法のうちのほんの一部にすぎません。しかしこうした律法の精神にふれると、私たちは聖書の律法が"何かの冷たい規律"とか"うるさい規則"ではなく、むしろひじょうに温かいものであると、感じるようになるのです。
 

                                 久保有政(レムナント1994年1月号より)

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