摂理

キリストの初来と再来
キリスト初来前後の歴史が、
キリスト再来前後の歴史において繰り返す。


「イエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが
見たときと同じ有り様で、またおいでになります」。
(使徒1:11)

 キリストの初来(初臨)と再来(再臨)の前後には、一連の似た出来事が起きます。初来の前後におきた出来事と同様のことが、少しかたちを変えて、再来の前後にもおきるのです。


初来前後の歴史

 まず、キリストの初来の前後にどんなことがおきたかを、見てみましょう。これは、六段階におよぶ出来事から成っていました。

 第一段階は、紀元前六〇〇年頃におきた、エルサレム滅亡の出来事です。
 紀元前六〇〇年頃、パレスチナにバビロン帝国(新バビロニア帝国)が攻め入り、イスラエルの民を捕らえてバビロンへ連れ去ってしまう、という出来事がおきました。いわゆる「バビロン捕囚」です。このとき、都エルサレムは火で焼かれ、無惨にも荒廃してしまいました。
 神殿も破壊され、あとかたもなくなりました。このとき破壊された神殿は、ソロモン王の建造によるものであるため、ソロモン神殿、または第一神殿と呼ばれています。

 つぎに第二段階は、この連れ去られたユダヤの民が、捕囚先から帰還したことです。
 ユダヤ人を捕囚の民としたバビロン帝国は、やがてペルシャ帝国に滅ぼされたのです。ユダヤ人はやがて、故郷パレスチナに帰還しました。

 第三段階は、神殿の再建です。エルサレムに帰還した民は、ゼルバベルの指導により神殿を再建しました。これが、ゼルバベル神殿、または第二神殿と呼ばれるものです。

 次に、時は第四段階に入ります。
 紀元前二世紀になって、第二神殿すなわちゼルバベルの神殿が異邦人に踏み荒らされる、という出来事が起きました。
 当時パレスチナは、ギリシャ帝国の支配下にあったのですが、アンティオコス四世・エピファネスという悪名高い人物が、神殿を踏み荒らしたのです。
 彼はこともあろうに、神殿にゼウス神(ギリシャの神)の祭壇を設けました。そこに偶像を設置したのです。
 じつは、これが起きる四〇〇年ほど前に、預言者ダニエルは、この偶像を「荒らす憎むべきもの」と呼んで、次のように予言していました。
 「彼(エピファネス)から軍勢がおこって、神殿と城郭を汚し、常供の燔祭を取り除き、荒らす憎むべきものを立てるでしょう」(ダニ一一・三一)。
 この「荒らす憎むべきもの」が第四段階です。ユダヤの神殿はけがされ、荒廃してしまい、長い間そのままでした。
 しかし、紀元前二〇年頃になって、ときのユダヤ地方の領主ヘロデ大王は、この神殿を修理増築し、再建することに着手しました。
 これが、ヘロデ神殿と呼ばれるものです。これはゼルバベル神殿と全く別のものではなく、それを修理増築したものであったので、基本的にはゼルバベル神殿と同様であり、第二神殿とも呼ばれています。

 そののち、イエスが世に来られました(紀元前四年頃といわれる)。このイエス初来が、第五段階です。

 さらに、紀元七〇年になって、エルサレムでユダヤ人の反乱が起きたため、ローマ軍はエルサレムを攻撃し、エルサレムを完全に破壊しました。ヘロデ神殿もそのとき炎上し、壊滅させられました。このエルサレム滅亡が、第六段階です。
 ところで、この紀元七〇年のエルサレム滅亡のとき、クリスチャンが一人も死ななかったことは、有名です。クリスチャンたちは、
 「エルサレムが軍隊に包囲されるのを見たならば・・・・ユダヤにいる人々は山へ逃げよ」(ルカ二一・二〇〜二一)
 という主イエスの言葉を聞いていたので、みなヨルダン川の向こうのペレアに避難していたのです。それで彼らは、このとき一人も死にませんでした。

 以上見たように、キリスト初来前後において出来事は、
   (1)エルサレム滅(ソロモン神殿滅)
   (2)ユダヤ人帰還
   (3)神殿再建
   (4)荒らす憎むべきもの
   (5)イエス初来
   (6)エルサレム滅(ヘロデ神殿滅)
 という順序でおきました。そしてじつは、同様のことが、この順序で、キリスト再来前後の歴史においてもおきるのです。

 ところで、ここで興味深いことは、ソロモン神殿滅亡の日とヘロデ神殿滅亡の日が、同日であったことです。
 初来前後の歴史の起点となる(1)ソロモン神殿滅亡の日(紀元前六〇〇年頃)は、聖書の記録によると(エレ五二・一二、二列王二五・八)、ユダヤ暦第五月(アブの月)の七日〜一〇日頃でした。また初来前後の歴史の終点であり、かつ再来前後の起点ともなる(6)ヘロデ神殿滅亡の日(紀元七〇年)は、歴史学の上で第五月の九日であることが知られています。
 ソロモン神殿(第一神殿)滅亡の日と、ヘロデ神殿(第二神殿)滅亡の日は、くすしくもほとんど同日、あるいはまさしく同日だったのです。ユダヤ人の伝承においても、両神殿の滅亡の日はまさしく同日だったとされています。
 つまり、あたかも両神殿滅亡以後の歴史が同様の歴史になる、ということを示すかのように、両神殿は同じ日に滅亡したのです(下図参照)。


キリスト初来前後の歴史と、キリスト再来前後の歴史。

再来前後の歴史

 つぎに、キリスト再来前後の歴史を見てみましょう。これも六つの段階から成っています。

 第一段階は、紀元七〇年のエルサレム滅亡です。
 当時建っていたヘロデ神殿は、かつてのソロモン神殿と同日に破壊されました。そしてユダヤ人は、この日以来、全世界に離散したのです。


ソロモン神殿復元模型。第一神殿ともいう。
B.C.586年第5月の9日頃、バビロン軍
によって破壊された。ヘロデ神殿が破壊されたのも、
やはり第5月の9日である(A.D.70年)。

 第二段階は、このユダヤ人の全世界よりの帰還です。
 かつてバビロン捕囚の民が長い年月ののちに帰還してエルサレムを再建したように、彼ら離散のユダヤ人は、一九世紀後半から故国に帰還し始め、ついに一九四八年イスラエル共和国を建国しました。

 さて、ここまでは皆すでに起きたことであり、過去に属する事柄です。次に、段階は未来に入ります。キリスト再来前後の歴史における第三段階です。

 第三段階は、エルサレムにユダヤ教の神殿が再建されることです。
 かつて第一神殿、および第二神殿があった場所には、現在イスラム教の建造物「岩のドーム」が建っています。しかし、そこにやがて第三神殿が建てられなければならないのです。
 そこに第三神殿を建てることは、今もユダヤ人の国家的願望です。ユダヤ教徒はみな、第三神殿建設のための祈りを毎日唱えています。
 また第三神殿に使われる門や、ラッパ等の祭具の一部は、もうすでに用意され、保管されているといいます。


第三神殿のために準備された祭具。

 第三神殿が建てられる日は、そう遠くはないでしょう。一九六七年の「六日戦争」によってユダヤ人にエルサレム旧市街が奪回されたとき、イスラエルの著名な歴史家イスラエル・エルダッドはインタビューの席にあらわれ、
 「あなたの同胞たちは、神殿の再建に着手するつもりですか」
 との記者の質問に対し、こう答えました。
 「ダビデ王が初めてエルサレムを占領して以来、ソロモンが神殿を建てるまで、たった一世代しか経っていません。だからわれわれの場合も、一世代のうちに再建するでしょう」。
 ユダヤでは「一世代」といえば、ふつう四〇年を意味します。この返事に驚いた記者は、こう質問しました。
 「しかし、神殿の跡地に建っている岩のドームはどうなるのですか」。
 これに対し、エルダッドはあっさりとこう答えました。
 「もちろん問題なのははっきりしていますよ。どうなるって、わかりゃしない。地震でも起こって倒壊してくれるんじゃないかな・・・・」。
 いずれにしても、神殿は、遠からず再建されるに違いありません。


エルサレム「神殿の丘」。手前が御霊のドーム。
至聖所はここにあったという説もある。向こう側が岩のドーム。
やがてここに第三神殿が建つことだろう。

 つぎに、第四段階の出来事は、「獣」の出現、および、再建されたエルサレム神殿に再び「荒らす憎むべきもの」が立てられることです。
 主イエスは、終末やご自身の再来が近くなったとき、その前兆として、
 「エルサレムは、異邦人の時期が満ちるまで、彼ら(異邦人)に踏みにじられているであろう」(ルカ二一・二四)
 と言われました。またそのときには、
 「預言者ダニエルによって言われた荒らす憎むべきものが、聖なる場所(神殿)に立つ」(マタ二四・一五)
 とも言われました。主イエスは、終末の近づいた時代に「荒らす憎むべきもの」がもう一度神殿に立つ、と言われたのです。
 すなわち、神殿再建後しばらくして、エルサレムは異邦人の軍隊によって踏みにじられます。そして神殿は荒らされ、そこに「荒らす憎むべきもの」が立てられるのです。
 「荒らす憎むべきもの」とは、エピファネスのときと同じように、偶像のことでしょう。黙示録は、終末の時代に「獣」と呼ばれる世界的独裁者(反キリスト)の彫像が造られること、また人々がそれを拝むことを、予言しています。
 「(獣に仕える偽預言者は)あの獣の像を造るように、地上に住む人々に命じた」(黙示一三・一四)。
 この「獣の像」が、「荒らす憎むべきもの」でしょう。さらに、「獣」(独裁者)自身も「荒らす憎むべきもの」となるはずです。
 「(獣は)自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する」(二テサ二・四)
 と予言されているからです。
 聖書によれば、この「獣」は、過去に生きた人物の再来です。
 「獣は、(使徒ヨハネ以前の時代)はいたが、今(使徒ヨハネの時代)はおらず、やがて底知れぬ所(よみの最も深い所)から上ってきて、ついには滅びに至る者」(黙示一七・八)
 であると述べられています。「獣」は、使徒ヨハネの時代である紀元一世紀より前の時代に生きた人物の、再来なのです。キリスト再来の前に、反キリストの再来があります。
 終末の「獣」は、あの紀元前二世紀の悪名高い人物アンティオコス四世・エピファネスの、再来的性格を有するでしょう。ちょうど、バプテスマのヨハネが「エリヤの霊と力」(ルカ一・一七)をもって現われ、"エリヤの再来"と言われたように、「獣」はエピファネスの再来と言われるでしょう。
 「獣」の名は「六六六」である、と黙示録に述べられています(黙示一三・一八)。アンティオコス四世・エピファネスも、その略名であるA・4・エピファネスをギリシャ語で表し、各アルファベットに対応する数字をみな足せば、ちょうど六六六です(ギリシャ語アルファベットは、数字に対応しています。これは「獣」が、エピファネスの再来であることを示しています。
 かつてエピファネスが、ゼウス神の偶像を神殿に立てたように、「獣」も、自分の像を神殿に立てるでしょう。
 またエピファネスがユダヤ教の根絶に最大の努力を払ったように、「獣」は、ユダヤ教とキリスト教の根絶に最大の努力を払うことでしょう。「獣」は、エピファネスがなしたと同じようなことをするのです。
 かつて、紀元前二世紀にエピファネスがエルサレムを踏みにじったとき、その期間が"約三年半"だったことも重要です。
 当時の様子を記した記録である『マカベア書』によると、エピファネスがエルサレムを本格的に踏みにじり始めたのは、紀元前一六七年のことでした(何月かは不明)。
 そして「しばらくして」、その年の一二月に、彼はゼウス神の祭壇を神殿に設置しました。
 神殿は、遊女の歓楽するところとなり、淫乱と遊興に満たされました。その後反乱が起きて、「マッカビーのユダ」という指導者によって、エルサレムはユダヤ人に奪回され、神殿は清められました。紀元前一六四年一二月のことでした。
 このように、エピファネスによってエルサレムが踏みにじられた期間は、三年と少しの間であり、約三年半でした。
 同様に終末の時代に、エピファネスの再来である「獣」は、三年半の間エルサレムを踏みにじる、と言われています。
 「彼ら(異邦人)は、聖なる都(エルサレム)を四二か月の間、踏みにじる」(黙示一一・二)。
 四二か月――すなわち三年半なのです。異邦人によってエルサレムが踏みにじられるこの三年半という期間が、いわゆる「異邦人の時期」です。
 「エルサレムは異邦人の時期が満ちるまで、彼ら(異邦人)に踏みにじられる」(ルカ二一・二四)。

 次に、時は第五段階に入ります。キリストが再来されるのです。
 「天が開けて」(黙示一九・一一)、エルサレムに、キリストがご自身の栄光の姿を現わされます。彼は地上の悪に終止符を打ち、神を愛する人々を救われます。

 最後は、第六段階です。世は終末を迎えるのです。現在の世の事物の体制は終わり、来たるべき世の新しい体制が、神によって始められます。「終末」とは、この世と来たるべき世との、境界をいうのです。


イエス再来前後の出来事はイエス初来前後の出来事に似る

 キリスト初来前後の歴史の第六段階は、「エルサレム滅亡」であり、キリスト再来前後における第六段階は、「世の終末」です。じつは「エルサレム滅亡」は、「世の終末」の出来事の一つの予型であり、対応関係にあります。
 というのは、かつて紀元七〇年のエルサレム滅亡の時に、エルサレムは猛火で焼かれました。一方、主イエスの再来のときは、
 「主イエスが、炎の中に、力ある御使いを従えて天から現われ」(二テサ一・七)
 世界に火による審判を下されます。
 紀元七〇年のエルサレム滅亡は、明らかに終末における世界の破滅の一つの"絵"であり、予型なのです。
 それは、主イエスがマタイ福音書二四章などで、紀元七〇年のエルサレム滅亡と終末の滅亡とを、"二重写し"に語られていることからもわかります。
 ちょうど、二つの隔たった山を遠くから見ると、重なって見えるのと同じです。イエスは、紀元七〇年のエルサレム滅亡と終末の滅亡という二つの大きな"山"を、二重写しに予言されたのです。


イエスは、A.D.70年のエルサレム滅亡の
出来事と終末の出来事を二重写しに予言された。

 当時のエルサレムは、「神の都」として立てられたものでありながら、堕落して偽善に満ちており、イエスもそこで十字架につけられたのでした。
 同様に現在の世界も、本来は神の世界として造られながら、神を捨て、邪悪と淫乱とに満ちています。
 紀元七〇年にエルサレムが、「その石一つでもくずされずに、そこに他の石の上に残ることもなくなる」(マタ二四・二)ほどに壊滅したように、やがて邪悪な世界の事物の体制がまったく滅び、根本から改革されて、神が「すべてのものを新たにする」(黙示二一・五)時が来るでしょう。
 ある意味では紀元七〇年のエルサレム滅亡は、終末の世界の滅亡の"縮図"だったのです。

 かつて紀元七〇年のエルサレム滅亡の時、クリスチャンは一人も死にませんでした。終末の滅亡の時も、クリスチャンは一人も死なないでしょう。それは聖書が約束していることです。キリストは言われました。
 「(その時)あなたがたの髪の毛一すじも失われることはありません。あなたがたは忍耐によって、自分のいのちを勝ち取ることができます」(ルカ二一・一八〜一九)。

 以上見てきたように、イエス再来の際も出来事は、
   (1)エルサレム滅
   (2)ユダヤ人帰還
   (3)神殿再建
   (4)荒らす憎むべきもの
   (5)イエス再来
   (6)終末
 という順序で起きていくのです。
 各項目が、イエス初来の前後の出来事と対応関係にあることに、注意してください。同じような出来事が、イエス再来前後の歴史の中に繰り返していくのです。
 再来前後の歴史において、(1)と(2)はすでに起きました。(1)から(2)の時までは、約二千年の年月を要しました。
 しかし、やがて(3)の時、すなわちエルサレムにユダヤ教神殿がたてられ、さらに(4)の「荒らす憎むべきもの」によってそれが踏みにじられる時が来れば、そののち主が私たちの救いのために再来してくださるまでの期間は、そう長くはありません。それは主が、
 「選ばれた者(クリスチャンたち)のために、その日数は少なくされます」(マタ二四・二二)
 と言って下さったからです。

                                 久保有政(レムナント1994年1月号より)

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