真のメシヤと偽メシヤの間
真のメシヤはただおひとり、イエス・キリストである。
シメオン・バルコホバのコイン。A.D.135年頃。
「イスラエルの君シメオン」と刻まれている。
世界の歴史を見ると、多くの"偽メシヤが現れてきました。そこで、偽メシヤと真のメシヤとの違いについて、考えてみましょう。
「メシヤ」とは油注がれた者の意
「メシヤ」は、「救い主」の意味と考えてよいのですが、そのもともとの意味はと言えば「油注がれた者」です。
ヘブル語で「油注がれた者」を「メシヤ」といい、それをギリシャ語では「キリスト」といいます。「メシヤ」と「キリスト」は、同じ意味なのです。
古代イスラエルでは、王や祭司など重要な聖職に人が任命される際には、「油注ぎ」の儀式というものを執り行ないました。その人の頭に香油を注いで、任職したのです。
しかし神による聖職のうち、最も重要なのは、やはり「救い主」の職です。救い主は、神から直接油を注がれた者なのです。
そこで「メシヤ」(油注がれた者)という言葉は、しだいに来たるべき救い主を示す用語として、盛んに用いられるようになりました。
さて、多くの人は、「メシヤ」とは人々の心に希望と勇気を与え、抑圧から解放してくれる人物だと考えています。
人類の歴史は、抑圧の歴史でした。ですからそうした歴史の中で、自分をメシヤと自称する多くの偽メシヤが現れて来たというのも、決して不思議なことではありません。
偽メシヤの歴史
紀元一三二年、当時重んじられていたユダヤの律法学者アキバ・ベン・ヨセフは、シメオン・バルコホバという人物を迎えたとき、こう叫びました。
「この人こそ、王なるメシヤだ」。
バルコホバは、強力な軍隊を率いた力ある人でした。多くの人は、彼こそローマ帝国の圧政からユダヤ人を救ってくれる人物だと、考えました。しかしバルコホバは、結局敗北し、彼と共に何十万人もの人々が命を落としました。
五世紀には、ある人物が地中海のクレタ島を巡り歩き、自分がメシヤであると人々にふれ回りました。彼の実名は今日知るよしもありませんが、彼は自分では、モーセと名乗っていました。
彼はクレタ島のユダヤ人たちに、抑圧や、流刑、捕囚がまもなく終わる、と告げました。やがて、彼が言っていた「解放の日」が来ると、ユダヤ人たちは"モーセ"のあとについて行って、地中海を見おろす岬に着きました。
"モーセ"は人々に、海に身を投げさえすれば、彼らの前で海は分かれるであろう、と言いました。多くの人がその言葉に従い、分かれもしない海に飛び込んでいきました。
人々の中には船乗りや漁師に助けられて、ようやく命を取り留めた者もいましたが、ほとんどの者が溺れ死にました。モーセは、どこにも見つかりませんでした。彼も死んでしまったからです。
一二世紀には、ユダヤ人の別の"メシヤ"が、今度はイエメンに登場しました。当時のカリフ(支配者)は、彼に対して、
「自分がメシヤであるとの証拠を見せよ」
と迫りました。そこでこの"メシヤ"は、
「私の首を落としてご覧になれば、すぐに復活しますので、それがしるしになるでありましょう」
と答えました。カリフはその申し出に同意し、それがこのイエメンのメシヤの最期となりました。
また同じ一二世紀に、ダビデ・アルロイという男が、中東のユダヤ人たちに向かい、一緒に御使いの翼に乗って聖地に帰ろう、と呼びかけました。
多くの人が彼をメシヤと信じ、彼と一緒にバグダッドの家の屋根の上に登り、辛抱強く、御使いが迎えに来てくれる時を待ちました。
彼らは、泥棒が自分たちの持ち物を略奪しているのを見ても、気にも留めませんでした。気づいた時には、彼らの家の所有物は、何もかもなくなっていました。
一七世紀には、スミルナからサバタイ・ツェビという人が登場しました。彼はヨーロッパ全土のユダヤ人に、自分がメシヤであると宣言しました。
クリスチャンも、彼の言うことに耳を傾けました。ツェビは「解放」について語りましたが、その「解放」とは、何の制約もない欲望に生きることだったようです。
ツェビの側近たちは、ばか騒ぎ、ヌーディズム、淫行、近親相姦などを行なうのを常としました。
またその後、むちで体を打ったり、雪の中を裸でころげ回ったり、冷たい地面に穴を掘って首まで体を埋めたりして、自分自身を懲らしめたりしました。
ツェビは、トルコへ行ったときに逮捕され、"イスラム教への改宗か死刑か"の二者択一を迫られました。ツェビは改宗し、それを知った彼の信者は、ひどく落胆しました。
しかしその後も二世紀の間、ツェビは一部の人々から、まだメシヤと呼ばれていました。
偽メシヤは世界中に現われた
キリスト教世界にも、"メシヤ"が登場しました。
一二世紀にタンケルムという男が、支持者たちの軍隊を編成し、アントワープの町を支配しました。
この"メシヤ"は自分を神と呼び、彼をおぼえる秘跡として自分のふろの湯を信者たちに売って、それを飲ませることさえしました。
また一六世紀に、ドイツに現われたトマス・ミュンツァーは、国家権威に対する反乱軍を組織。自分の追随者たちに、これはハルマゲドンの戦いであると教えました。
ミュンツァーは、自分は敵の砲弾を袖でとらえてみせる、とも言いました。しかし彼に従った者たちは皆殺しにされ、ミュンツァーも首をはねられました。
16世紀のヨーロッパ人の戦いの様子。(デューラー画)。
ミュンツァーは、反乱軍を組織、「この戦いはハルマゲドン
の戦いである」と教えた。
他の宗教にも、メシヤのような人物がいます。イスラム教徒は、公正な時代を招来するマフディー、すなわち正しく導かれた者について語ります。ヒンズー教には、自らを神の権化、あるいは化身と呼ぶ人がいます。
また仏教にも、ある種のメシヤ待望があります。弥勒菩薩は、釈迦の死の五六億七千万年後――すなわち今から五六億六九九九万七五〇〇年ほど後に登場する救い主である、とされています。
弥勒はいま天界にあって修行中ですが、その時になると地上に現われて、釈迦の救いにもれた人を救うとされているのです。
いつの時代にも、多くの人々によって"メシヤ"が求められてきました。今日も世界の各地において、"メシヤ"が、現われては消えています。
二〇世紀の前半に、アフリカのコンゴでは、シモン・キンバングと、その後継者アンドレ・イエス・マツワが、メシヤとして信奉されました。
彼らは死にましたが、信奉者たちは、彼らが戻ってきてアフリカの至福の千年期を招来すると、今も信じています。
今世紀において"メシヤ"は、工業化された国々においても、数多く現われました。
その最も恐るべき実例は、やはりナチスのアドルフ・ヒトラーでしょう。当時のドイツは、第一次大戦後に諸国から突きつけられた天文学的な額の賠償請求によって、ひどく苦しんでいました。
ヒトラーは、そうしたドイツを救う者として、人々に歓呼をもって迎えられたのです。
1933年のナチス党大会。ヒトラーは、自分を救世主的存在とした。
彼は、
「ドイツ第三帝国(ヒトラーの帝国)は、千年間続くであろう」
と豪語し、人々はそれを夢見ました。ヒトラーは、自分を救世主的存在とし、
「ウソは大きいほど、人々は信じやすいものだ」
という言葉も残しています。
またなかには、政治哲学や政治機構で"メシヤ"の地位を手に入れたものもあります。マルクス・レーニン主義は長い間、多くの人々においてメシヤ的な存在でした。
モスクワの「赤い広場」にあるレーニン廟には、社会主義革命家レーニンについて、次のように記されています。
「彼は、あらゆる時代の、あらゆる人々の、最も偉大な指導者であった。彼は新しい人類の主であった。彼は世界の救い主であった」。
彼は世界の「救い主であった」、と過去形で記されているのです。事実、社会主義が崩壊した今では、彼は過去の人です。
さらに現代社会においては、実際に自分を"再臨のキリスト"とし、"メシヤ"とする人々も、多く現われました。
統一教会の教祖である韓国の文鮮明(ムン・ソンミョン)は、自分がイエス・キリストの後継者であると自任し、自分をもって「成約時代」が到来したと言っています。そして彼の信者たちによって、世界を清めることを目指しています。
日本にも、多くの"メシヤ"が現われました。
かつて昭和の初期に、出口王仁三郎は、自分を「再臨のキリスト」と自称していました。彼は自分の髪を、主イエスのように長く伸ばし、また両手の甲を着色して、
「これは、私がかつて十字架にかけられた時の傷あとだよ」
と信者に語っていました。
出口王仁三郎は、昭和三年三月三日を「立て直し」の日とし、その日、白馬に乗って信者の間を闊歩しました。彼は自分を、聖書・黙示録一九・一一に描かれた「白馬に乗っておられる方」(キリスト)に模したのです。
またそのとき七人の信徒たちに、まわりでラッパを吹かせました。彼ら信徒たちを、同八・六に描かれた「七つのラッパを持つ七人の御使い」に模したのです。
つい最近の記憶に新しいところでは、アメリカにディビッド・コレシュという自称キリストが現われ、マスコミをにぎわせました。彼は終末は近いと信者に語り、数々の武器を集めて信者たちと共に建物内にたてこもりました。
FBIは、彼らに武器を捨てるよう警告。建物を包囲して説得を続けましたが、彼らは従いませんでした。
そのためFBIは強制的に建物に入ろうとしましたが、その瞬間、建物から火の手が上がりました。そして大きな爆発音と共に全建物が炎上、中にいた信者とコレシュ容疑者は、あえなく死亡してしまったと考えられています。
真のメシヤの条件
このように"メシヤ"運動の歴史のほとんどは、思い違い、空虚な夢、また失望の歴史でした。ですから今日、多くの人々が"メシヤ"に対して冷笑的であるのも、無理のないことかも知れません。
しかし、「メシヤ」と言われながら、じつはそうでなかった人が世の中に多くいるからと言って、それは、本当のメシヤがいない、ということになるでしょうか。
私たちは、メシヤへの希望を完全に捨て去ってしまう前に、真のメシヤについて考えてみなければなりません。
私たちはイエス・キリストのことを調べてみると、彼は、今まで述べてきたような"メシヤ"とは全く違うかたであることがわかります。どのように違っているのでしょうか。
まず第一に、イエス・キリストは二千年たった今も、多くの人々に救い主として信じられているということです。これは、歴史上に現われては消えていった他の多くの"メシヤ"とは、きわめて対照的です。
今も多くの人々が、イエス・キリストを信じている。
(台湾の教会)
キリスト教は現在、世界で最も信者数の多い宗教です。約一八億いる信者のすべてが敬虔な信仰の持ち主ではないにしても、世界人口の約三分の一はクリスチャンなのです。
世界には今も、キリストの十字架の死によるあがない(罪と滅びからの救い)、キリストの復活、またキリストが今も天で生きておられることを、文字通り信じている人々が大勢います。
かつてキリスト教は、ヨーロッパが中心地でした。しかし今は、全世界に広がっています。それは今や、普遍的な教えとなっているのです。
「ヨーロッパなどでは、キリスト教は今は単なる伝統に過ぎない」
と思っているかたも、多いかも知れません。しかし、そのヨーロッパでも各地で新しい動きが起こり、次々に敬虔な信仰者が起こされています。共産圏だった国々でも、イスラム教圏でも、そのような動きが広がっています。
主イエスは二千年前に、
「この御国の福音は、全世界に宣べ伝えられる」(マタ二四・一四)
と語られました。それが今や、現実となっているのです。
第二に、イエスは"預言(予言)された救い主"である、ということです。
イエス・キリストが今から約二千年前に降誕されたことは、今から二千五百年ほど前に記された旧約聖書ダニエル書の中に、預言されていたことでした(ダニエル書九・二五。預言の詳しい解説は、本誌九三年一月号をご覧下さい)。
その預言は、キリストが紀元二六年頃に公生涯を始められることを、明確に示していました。
そして事実、イエス・キリストは紀元二六年秋〜冬に宣教を始められ、その三年半後の紀元三〇年春に十字架にかかられたのです。
また、キリストが降誕される場所も、ユダヤのベツレヘム村と、その七〇〇年前に預言されていました(ミカ五・二)。その通りイエス・キリストは、ベツレヘム村のある馬小屋の飼い葉おけの中で、産声をあげられました。
キリストがどのような生涯を歩まれ、どのような死に方をし、また復活されるかということも、旧約聖書は預言していました。
これらの預言書が、キリスト降誕より以前に存在していたことは、考古学的にも確証されています。
キリストに関する預言は、旧約聖書の中に約三〇〇あると言われています。そのすべてが、イエスというおかたにおいて実現成就したのです。
自分がいつ生まれ、またどこで生まれ、どのように死ぬかというようなことを、ふつうの人間が自分で決めることができるでしょうか。しかしキリストは、旧約聖書の預言通りにお生まれになり、預言通りのご生涯を歩まれました。
神は、イエスが真のメシヤであるということを人々に示すために、そのような預言を旧約聖書の中に記されたのです。
イエス・キリストには神ご自身からの"油注ぎ"があった
第三に、他の"メシヤ"は自分でメシヤと主張するだけだったのに対し、イエス・キリストに関しては神ご自身からの認証があった、ということです。
イエスは、公生涯をお始めになったとき、ヨルダン川で洗礼(バプテスマ)をお受けになりました。その時、神の御霊(聖霊)が天より下り、イエスの上にとどまりました。
「(イエスは)水の中から上がられると、すぐそのとき、天が裂けて御霊が鳩のように自分の上に下られるのを、ご覧になった。そして天から声がした。『あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ』」(マコ一・一〇〜一一)
と記されています。
「キリストの洗礼」 ピエロ・デルラ・フランチェスカ画。
キリストの洗礼の時、天から声があった。
この"御霊が下った"ことこそ、イエス・キリストへの"油注ぎ"であり、神からのメシヤ(油注がれた者)としての任職だったのです。また、
「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」
という天からの声は、別の日にも、もう一度ありました。それは、弟子ペテロ、ヤコブ、ヨハネと共に、イエスが高い山に登られた時のことです。
イエスの御姿が本来の栄光の姿に変わり、
「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい」(マタ一七・五)
と、もう一度天からの声がありました。この時のことについて、その場に居合わせたペテロは、後にこう書いています。
「私たちはあなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨とを知らせましたが、それは、うまく考えだした作り話に従ったのではありません。この私たちは、キリストの威光の目撃者なのです。
キリストが父なる神から誉れと栄光をお受けになったとき、おごそかな、栄光の神から、こういう御声がかかりました。
『これはわたしの愛する子、わたしの喜ぶ者である』」(Tペテ一・一六〜一七)。
このように、イエス・キリストは神ご自身からの認証を受けた"メシヤ"なのです。
第四に、イエス・キリストは数多くの力あるわざをなされた、ということです。
イエスは人々の前で、盲人の目をあけ、足なえを歩かせ、てんかんをいやし、死人をよみがえらせられました。そして最後には、ご自身が、死後三日目に復活してみせられました。
「そんなこと、現実にはあり得ない」
とあなたは言うでしょうか。では、イエスがわずか三年半の伝道によって、あれほどの影響力を持ち得たのは、一体なぜだと思いますか。
単なる言葉だけの伝道によって、わずか三年半で、あれほどの影響力を持つことが可能だったと思いますか。
あなたは、ローマ帝国の時代にクリスチャンたちがどんなに激しい迫害を受けたかを、ご存知でしょう。クリスチャンたちは激しい拷問にあい、たとえ人々の前でライオンにかみ殺されるようなことがあろうとも、決して信仰を捨てませんでした。
彼らは、何を信じていたのですか。
「(私たちは)イエスの復活の証人とならなければならない」(使徒一・二二)
と、使徒ペテロは叫びました。彼らはみな、イエスが力あるわざをなされたメシヤであること、またイエスの輝かしい復活を、死に至るまで信じていたのです。
彼らの中には、現実に復活後のイエスに会い、その教えを受け、四〇日目にイエスが昇天される光景を見た人々も、大勢いました。それ以外の人々も、イエスが現実に体を持って復活された真のメシヤであることを、堅く信じていました。
使徒ペテロは、自分の殉教のとき、迫害する者たちの手によって十字架刑に処せられようとしました。しかし彼は言いました。
「自分が、救い主イエス様と同じように十字架につけられるのでは、もったいない。私を、十字架に逆さまにつけてほしい」。
そう言って自ら願い、"逆さ磔"になったのです。
あなたは、"ウソ"のために命をかけることが出来るでしょうか。ウソのために命をかける人など、一体どこにいるでしょう。
人は、真実のためでなければ、命をかけることができません。イエスの弟子たちは、イエスの復活を、また彼こそ真のメシヤであることを、命をかけて宣べ伝えたのです。
イエス・キリストは私たちを罪と滅びから救う真のメシヤ
第五のことは、イエスは十字架のあがないのみわざと復活とによって、真のメシヤとなられた、ということです。
「あがない」とは、"代価を払って買い戻す"という意味で、神が私たちを罪と滅びから救うために、犠牲を払われたということです。その犠牲とは、御子イエス・キリストの死でした。
イエスが人々のあがないのために死なれることは、旧約聖書の中に預言されていました。
「彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、各々、自分かってな道に向かって行った。しかし主は、私たちすべての咎を、彼に負わせた」(イザ五三・五〜六 紀元前七五〇年頃の預言)。
イエスは私たちのために、身代わりに死なれました。イエスはご自身が人々のあがないのために死なれることを、弟子たちにこう予告されました。
「人の子(キリスト)が来たのも、仕えられるためでなく、仕えるためであり、また、多くの人のためのあがないの代価として、自分の命を与えるためなのです」(マコ一〇・四五)。
そして旧約聖書の預言通り、またご自身の予告通り、イエスは十字架にかかり、あがないの死を全うされました。こうして彼は"罪と滅びからの救い主"となられたのです。
私たちを、罪と、その恐ろしい結末である滅びから救ってくれるメシヤは、イエスのほかにいるでしょうか。疑いもなく真のメシヤは、私たちを罪と滅びから救う者でなければなりません。
イエス・キリスト以外に、そのようなメシヤはいません。死の三日後のイエスの復活も、イエスが真のメシヤであられることを、確証するものです。
神は、イエスの死が事実、人々をあがなう死であったことを示すために、イエスを死からよみがえらせられたのです。それはまた、神が私たちに「永遠の命」をお与えになるというお約束の、確証でもありました。
主イエスは、十字架のあがないの死と復活とによって、神ご自身から真のメシヤとして立てられたおかたなのです。
最後に、イエスが真のメシヤであることは、あなた自身が自分の人生の中で、個人的に体験できます。
イエスは復活後、四〇日間地上におられ、そののち弟子たちの見ている中を天に昇られました。天に帰られるとき、イエスは弟子たちに言われました。
「わたしは天においても、地においても、一切の権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。
そして父、子、聖霊の御名によってバプテスマ(洗礼)を授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ、わたしは世の終わりまで、いつも、あなたがたと共にいます」(マタ二八・一八〜二〇)。
イエスは、いつもあなたと共にいてくださいます。あなたが苦難に打ちひしがれるときも、愛するものを失ったようなときにも、淋しいときにも、イエスは共にいてくださいます。
あなたが人々の間でたった一人のとき、あなたは決して独りではありません。自分に力が足りないと感じるとき、あなたには大きな後ろ楯がついています。
あなたが苦しいとき、あなたを慰め、力づけるかたがおられます。敵に囲まれたときも、あなたには力強い味方がついています。どの道を選ぶべきかわからないときも、あなたを導くかたがおられます。
そうしたことを、あなたは自分の人生で体験できます。主イエス・キリストは、今も生きておられるのです。イエスこそ、罪と滅びからの唯一の救い主であり、真の幸福を与えられるかたであることを、あなたは体験できます。きょう、
「イエス様、私の心にお入り下さい。あなたのあがないを信じます。永遠の命の道を歩めるよう、私をお導きください」
と心から祈ってください。主はあなたの人生を、祝福へと導いてくださいます。
あなたは聖書を学びつつ、主イエスの御教えに従いながら、歩んでいってください。それは、決して大変な道ではありません。やがてあなたは、豊かな平安と、愛と、尽きない喜びに満たされている自分に、気づくようになるでしょう。
久保有政著(レムナント1993年11月号より)
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