UFOブームの実態
UFO目撃談の真偽は?
「宇宙人との出会い」を多くの人々が夢見るようになったのは、とくに近代に入って、宇宙の広がりがよく認識されるようになってからのことです。
地球以外の遠い惑星から見知らぬ異星人がやって来て、私たちが彼らに出会う、というようなことがもしあったら――こうした想像は、多くの人々の興味を強く駆り立ててきました。
UFOブーム
現代の映画界において、宇宙人との遭遇を題材にしたヒット作は少なくありません。
過去においては、H.G.ウェールズの「宇宙大戦争」、最近ではスティーブン・スピルバーグ監督の「未知との遭遇」など。「未知との遭遇」は、宇宙人との印象的な出会いを描いた映画でした。
「E.T.」は、不格好だが非常な能力を持つ宇宙人との友好を描いたもの、「スター・ウォーズ」は、地球人が善の異星人と協力して悪の異星人と戦う物語でした。こうした映画は、人々に宇宙人の存在を身近に想像させてきました。
さらに、現代においてはテレビや雑誌などが、「UFO(未確認飛行物体)を目撃した」とか、「宇宙船らしきものを見た」等と語る人々の話を盛んに取り上げて、人々の興味をあおっています。
そうした報告の中には、「私は異星人に会った」とか「私は宇宙船に連れ込まれた」などという話も、少なくありません。最近ではUFOの専門誌も本屋で発売され、かなりの売れ行きを見せています。
またこの前の参議院総選挙では、「UFO党」という政党が現われました。彼らはNHKの政見放送で、「宇宙人との友好」をまじめに訴えました。もっとも、当選した人はいなかったようですが。
日本のある県には、最近「UFO村」なるものができました。「町起こし」の一環で、そこへ行けばUFO関係のおみやげが、多数販売されています。どうもUFOブームにあやかって、観光客を呼び寄せようということのようです。
異星人は、本当にいるのでしょうか。異星人の「UFO」は、本当に地球にやって来ているのでしょうか。
異星人はいるか
しかし私たちはここで、「はたして異星人はいるのか」という問題と、「異星人の宇宙船は、本当に地球にやって来ているのか」という問題を、切り離して考えなければなりません。実際、両者は全く別の問題だからです。
まず「異星人はいるか」ということですが、これについては人々の間に、
「いるに違いない。宇宙はこんなに広いし、宇宙のどこかには、地球と同じ様な好環境の惑星もあるだろう。そうすれば、そこに何かの生命体がいることは充分考えられる」
という意見を持つ人が多いようです。クリスチャンの中にも、
「もしいるとすれば、彼らもやはり全宇宙をお造りになった神の被造物だ。そして彼らにもし救いが必要ならば、愛の神は彼らにも、私たちと同様に救いの道を開かれるだろう」
と述べる人もいます。
しかし現時点では、私たちは様々な想像をするだけで、明確なことは何もわかりません。これはやはり、聖書の述べているとおり、
「隠されていることは、私たちの神、主のものである」(申命29:29)
と考えて、主におゆだねすべきでしょう。したがって「他の星にも生命体はいるか」という問題に関しては、明確なことはわからない、と答えるほかありません。
しかし「宇宙船は地球にやって来ているか」という問題に関しては、次にのべるように、大多数の科学者は、否定的な意見を述べています。
「宇宙人はいるか」と「宇宙船UFOは地球に来ているか」は別の問題である。
宇宙船は地球に来ているか
カール・セーガン博士(米国コーネル大学教授)といえば、その広い惑星科学の知識と、わかりやすい解説のゆえに、知っている人も多いでしょう。
彼には「コスモス」「コンタクト」、そのほか惑星科学に関する多数の著書があります。
彼は異星人との遭遇を期待して、NASAから打ち上げられた探査ロケット・パイオニア10号に、「宇宙人への手紙」をのせることを提唱した人です。
現在、宇宙のはるかかなたに向かって飛行しつつあるパイオニア10号の船内には、地球の位置を記した地図や、人間の絵、地球の様々な音を録音したレコードなどが積まれているのです。
このセーガン博士は、最近のUFOブームについて、どう考えているでしょうか。彼はこう言っています。
「1947年以来、UFOの目視記録は何十万件にものぼっている。しかし「異星人の宇宙船」と思われるものとの接近、あるいは遭遇に関する報告を、多数の人間が個々に信頼できるかたちでなしている確かな例は、ただの一件もない。
陳述的証拠に欠けているばかりか、物的証拠も見当たらないのである」(『サイエンス・アドベンチャー』新潮選書)。
この「物的証拠」というのは何かというと、たとえば地球にはない物質や、地球では作られていない合金等からなる宇宙船の小片などです。
現在の私たちの分析技術はかなり進んでいるので、異星人が造ったものであれば、すぐにそれと見分けがつくはずです。
しかしそうした物的証拠は、何一つ見出されていません。セーガン博士はまた、こう述べています。
「かつて私も、レストランで食事をしている時に、明るく輝きながら一か所で回っている「旋回UFO」を発見したことがある。それを同席の友人数人に指差して見せた後は、大変な騒ぎになった。
店の前の路上には、お客をはじめ、ウェイトレス、コック、さらには店の主人まで集まって、空を差しては口々に、『円盤だ』 『宇宙船だ』 と叫んでいる。面白がる人もいれば、恐がる人もいた。
しかし私が双眼鏡をとって来て観察した結果、その正体が空飛ぶ円盤などではなく、見慣れない飛行機にすぎないことがわかった時には、みな一様にがっかりしていた。
後でわかったことだが、それはNASAの気象観測用飛行機だったのだ。ただの飛行機に大騒ぎしてしまい、ばつの悪そうな様子の人もいたが、異世界からの訪問者というせっかくの「面白い話」「突拍子もない話」がふいになってしまったと、ひたすら
天文観測家の中に、UFO目撃者はいない。
がっかりする人もいた」(同)。
そう述べて博士は、最近のUFOブームには「面白い話」を求める人間の感情が、多分にからんでいるようだと分析しています。
たしかに、私たちとは全く異なる別の文明が他の星にあるとすれば、私たちの思いは大きく広がるでしょう。
高度な文明を持つ異星人が幾度となく地球にやって来ていて、もし彼らと友好な関係を持つことができるとすれば、私たちの人生はもっと「面白く」なるかも知れません。
けれどもセーガン博士の言っているように、「こうした話がどんなに魅力的であろうと・・・それが真実であるかどうかは全く別の問題」 なのです。
「これらの話が真実であるか否かは、「決定的な証拠」があるかないかにかかっている。そして(残念に思うこともあるのだが)、私の判断では決定的な証拠は、全くないのである」(同)
と博士は述べています。
UFO目撃談の問題点
UFOに関する物的証拠がない、ということのほかにも、UFO目撃談には次のような問題点もあります。
第1に、プロ・アマの天文観測家は一晩中夜空を観測しているのに、彼らの中にUFOの目撃者がいない、ということです。
それについては、「UFOはそうした観測家を避けているのだ」と反論するUFO研究家もいますが、そうした主張には説得力がないでしょう。
第2の問題点は、目撃されたというUFOの飛び方の多くは、物理法則をことごとく破っている、ということです。
「空飛ぶ円盤は、空中に止まっていたかと思うと、次の瞬間にはアッという間に他の場所に移動して止まった・・・」。
などという目撃談が多いのですが、急激に動き出したり、急激に止まったりすると、中にいる生命体はみんな大ケガをするか、死んでしまうはずなのです。
第3の問題点は、太陽系内には地球以外に生命はいないようなので、異星人がやって来るとすれば太陽系外からということになりますが、これには大変な困難が伴う、ということです。
たとえば太陽系外の星で、最も近い星は、ケンタウルス座のアルファ星で、地球からの距離はじつに4.3光年もあります。4.3光年といえば、光の速度で行っても4.3年かかるということです。
星はみな、それよりも遠いところにあります。私たちが夜空に見ている星の大多数は、何万光年、何億光年という遠い所の星です。
アインシュタインの相対性理論によれば、どんなものも、光速より速いスピードで移動することはできません。
また科学者によれば、光のように質量ゼロのものならまだしも宇宙船のように大きな質量を持ったものが、光速に近い速度で飛ぶことは、たとえ科学技術が相当進歩していたとしても、大変な困難が伴うとのことです。
こういったことを考えあわせてみると、太陽系外の星から地球にやって来ることは、想像を絶する困難であることがわかります。
もしそれでも彼らが地球にやって来るというのであれば、地球に対してよほどの用事がある、と言わなければなりません。
ではその用事は何なのか、ということになります。また、用事があるのに地球人の前に堂々と登場しない理由は何なのか、という疑問を提出する人もいます。
UFOブームはある意味で多神教に似ている
セーガン博士は、今日のUFOブームはある程度、古代ギリシャの「オリンポスの神々」の来訪の話に似通っている、と指摘しています。
古代ギリシャには、オリンポスの神々がしばしば地球に降りてきて、人間と親しく言葉を交わした、という話が数え切れないほどありました。
ギリシャの「神々」は多くの場合、人間に似た姿を持ちながら、人間とは違った、人間以上の能力を持った存在とされています。
ギリシャ神話には、こうした神々がしばしば地球に降りてきて人間と交わった、という物語がたくさんあるのです。
人々は、神々がしばしば地上に降りてきたという話を語り合いながら、自分の思いの広がるのを感じました。
同様に現在多くの人々は、人間以上の文明を持つ異星人がしばしば地球にやって来て、人間世界に関わり合いを持っている、という話を語り合って、自分の思いを広げようとしているのです。
その意味では、現代のUFOブームは「神々」を「異星人」に取り替えただけである、と言えなくもありません。
「異星人」来訪の話は、たしかにオリンポスの「神々」より多少近代的になってはいるものの、こうした多神教と本質的に非常によく似ているのです。
異星人の来訪説は、古代の多神教が現代的なベールに包まれて生き続けているもの、と見ることも可能ではないでしょうか。
高度な能力を持つ、人間とは異質の生命体が、しばしば地上にやって来るのだとすれば、私たちの思いは広がり、人生はもっと「面白く」なるかもしれません。
昔も今も、そうした話を求める人間の心は同じなのです。ですから今日のUFOブームは、人々の宗教的欲求が真に満たされていないために、必要以上に盛んになっているという部分もあるようです。
久保有政著
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